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「人に教える、という恐怖体験」

大学1年生の夏。教育実習のオリエンテーションがありました

その中で当時のチューターの教授がおっしゃっていた言葉を今でも覚えています

「教壇に立つものは常に恐怖を持って臨まなくてはいけない」

そう。人に教えるって、実はとても怖い行為だと思うんです

それを実感したのはアルバイトで後輩ができた時。重くのしかかったのは教育実習の授業の直前

大学2年生になって1ヶ月ほど
浪人を挟み、「後輩」という存在が3年ぶりだった私はそれははしゃぎました。るんるんという擬音が街ゆく人々にも見えていたのではないかと思うほど

自分もまだ入って丸一年経っていないのによくもあんなに先輩面ができたものだと今では思いますが

私が先輩になんて慣れていなかったと気づくのは2ヶ月ほど経ってから。入ってきた新人の試用期間が終わり、一人前としてシフトに入り始めた頃

反省会で彼は怖い怖いバイトリーダーにそれはそれは長いお説教を受けていました、バイトリーダー曰く
「この時期にしていい仕事のレベルではない」

それを可哀想半分、残りの半分は聞き流していた私
流れ弾は突然にやってきました

「お前の教え方が悪いからできてない。後輩ができないのは先輩が悪い」

今思い返してもこの発言には賛同できない点が多々ありますが、賛同できる点も

私ではないベテランの先輩が彼に教えていたら、彼がこんなに怒られていない可能性が存在します。確実に
もちろん私だけが彼に教えたわけではないけれど、接する機会が多かったのもまた事実

「先輩」として。そして何より「教えるもの」として。私の言葉はあまりに軽かった。そう反省しました

時は移り教育実習
四苦八苦しながら授業を作り、始めての授業がやってきました

教室内は賑やかなもの。生徒達にとっては日常の中に教育実習生というスパイスのような非日常、さあどんなもんやと値踏みをされていました
その時私は。ガッチガチに緊張していました

「教壇に立つものが持つべき恐怖」

その言葉が背中にも、なんならお腹側にもベッタリと張り付き
これはどうしたものかと一周回って自分を客観視できました

自分が発する言葉を生徒は正しいと思うかもしれない
自分が発した情報が生徒の頭の中にずっと残ってしまうかもしれない

1対40とかいう四角形の教室の中での圧倒的四面楚歌を味わうとは思ってもいない

結果的に乗り切った方法として
テーマパークでのアルバイト経験を思い出し、別人格に体を明け渡す
という荒技で授業は成り立ちました

私は教育学部に通った上で教師とは違う道を進みますが
「教える」という行為は人生に初期設定としてあるものです

私は人に教えるのが好きですが、すぐ調子に乗って自慢にシフトする悪癖があるので、折に触れ、この言葉を思い出したいと思います






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