「私に見えているのは、あなたの何割でしょうか」
やっぱり視野が狭いのは良くないよなという話です
こんなことを実感したのはもちろん体験があったから
先日地元で飲み会がありまして。その帰りに終電を駅のホームで待っていました。電車で立つのがとても苦手なので30分待つとしても待合室には行かず直立不動で待つタイプです
横に男女が現れます。列とは少しズレたところ。すわ割り込みかと警戒を始めます。なんなら疲れているのもあってすでに苛立ち始める私。瞬間湯沸かし器
じーーーっと牽制がてら見つめていると、何やら手を忙しなく動かし始めました。よく見ると二人で向かい合うのではなく向かいのホームに向かって一生懸命手を動かしている
つられて向かいのホームに目を向けると、そこには一人の男性がいました
この時点で私は猛烈に恥ずかしくなりました。彼ら彼女らを勝手に非常識な割り込みだと判断した結果、相手は向かいのホームにいる仲間に手話で何かを伝えたかっただけだった。
私は何ぶん視野が狭く、一面を見て相手や物事の全てを決めつけてしまうところがあります。ネットの情報を鵜呑みにしたり、初対面の人の第一印象がなかなか消えなかったり。
こんな私と対照的にいる存在がいまして。母なんですけど
私は母のことを太陽だと思っていて。人のいいところを見つける天才です。私が勝手に決めつけて四角にまとめたことを「こんな面もあるんじゃない?」とコロコロ転がしてくれます。私が人生ギリギリ道を踏み外さず明るいところにいる時間が長いのは母の影響です。
母のような人には多分なれないのだけど、辛い時に母の言葉を振り返ることで、気づいたら日向に手を置いていたような暖かさを感じることができます
ちなみに私の母の呼び方の変遷なんですが
ママ→マミー→おかん。ですなぜか一度マミーの時代がありました
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