「人と違う=人より劣っている」という思い込みに気づいた話
こんにちは。とあるベンチャー企業でひとり人事をしている朱夏です。
今回はタイトルそのまま、自分の気づきのお話。
ことの発端
先日、とあるホテルのスイーツビュッフェに行ってまいりました。
ビュッフェではアリスモチーフの可愛らしい装飾とスイーツを堪能してまいりました(*′ω`*)
密を防ぐためにビュッフェは3組ずつ順番に取りに行くということで、しばらくは飲み物とテーブルに運ばれるお食事を楽しみつつ、キョロ……と周りと見渡していました。
会場にはいたる所にトランプの飾りやハンプティの置物などなど、控えめながらも可愛らしい演出がされていて、こういうのってやっぱり雰囲気が大事だよなぁ〜なんて思っていると、あることに気づきました。
他のお客さんのテーブルには食器の他にビュッフェのメニューと演出のトランプのカード、そして小さな花瓶が置かれていました(披露宴のテーブルコーディネートでよく見るやつ)。
ところが、自分たちのテーブルにはメニューとトランプのみ。
他のテーブルにあるような花瓶がなかったんです。
実際のところはわかりませんが、私から見える範囲のテーブル全てに花瓶があって、私たちのところにだけ、ない。
その時の私は心の中でこんなことを呟いていました。
私たち、何か他の人と違うことをしたか…?
実はこのビュッフェにはグレードがいくつかあって、私たちは一番下のグレードだから無いのか…!?
とか
予約したときにブラックリストみたいなのがあって、それを暗に示すための合図なのでは…!?
とかみたいなことを悶々と考え出してしまったんです。
(何だよブラックリストって)
ここには人と違うことを極度に恐れる心理が働いているみたいでして、
上の思考にも表れているのですが特に私の場合は
人と違う=人より劣っている
という思考パターンが染み付いてしまっているんだなというのを痛感しました。
人と同じでなければならないという強迫観念
振り返ってみると、これまでも同じような思考になっていたなぁと気づきました。
*クラスの子が旅行のお土産を配っていた際、
自分がもらったものが他の子と比べて不格好だった時
*部活の練習中に遊びにきたOBが FBをくれた際、
自分(たち)へのフィードバックコメントが少なかった時、etc…
これらの思考に共通するのは「人と同じでなければならない」という強迫観念でした。
特に私は保育園の転園、小学校の転校×2回の体験が根底にある気がします。
転園、転校をすると、大体は使う教科書、体操着等々の必需品の標準が違ったり、その学校なり保育園でのルールがこれまでと異なるんですね。
そのときに毎回「あの子、なんか私たちと違う〜」「普通〇〇じゃないの〜」と言ってヒソヒソ笑われるのがとても嫌でした。
こういった体験を経て、
人と違う→笑われる→自分が貶められている→嫌な事
という思考パターンができ上がっちゃったんじゃないかと。
それゆえに、人と違うと何かネガティブな状態なんじゃないかと勝手に判断して、その理由とか説明がつくものを必死で探そうとしてしまう。
人と違うことに理由が見つからないとこれまたどんどん不安になって、挙句、理由を自分で勝手に作ってしまいドツボにハマっていく。
そんな(とてつもなくめんどくさい)思考スパイラルを自分の中に見つけてしまったわけです。
周囲からの一言で視界が開けることもある
で、その自分の気づきを夫に話してみると、一言。
夫「気になるなら聞けばいいじゃん」
……それは嫌。
夫「じゃあ気にしなきゃいいじゃん」
……それもそうだ。
自分の中で勝手にネガティブ思考フルスロットルして、
勝手に落ち込んで、勝手に自分を貶める。
すっっっっごく無駄だこれ。
と思った瞬間に気にならなくなりました。
人との違いは、必ずしもネガティブだったり誰かと比べて劣っているということではない。
どうしても気になるなら、勝手に妄想しないで聞けばいいだけの話。
当たり前といえば当たり前ですが、少なくとも幼少期、思春期の自分では気づけなかった。
「あの時それに気づかせてくれる大人がいたら」と思わなくもないですが、まぁ過去のことを言っても仕方ないので、今その思い込みを解き放てたことは僥倖かなと思います。
そして、それに気づかせてくれた夫にプチ感謝。
積年の思い込みを解き放てた、とある昼下がりのお話でした。
それでは今日はこの辺で( ˘ω˘)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?