息子の上司の訃報が届いた。 上司と言ってもまだ33歳。 数か月前まで同じ営業所だったが、移動して今は違う営業所。 でも、隣の駅に独り暮らししているので、休みの日などは変わらず一緒に遊びに出かけたりしていた。 最初にLINEで連絡が来たとき、息子も私たちもまだ半信半疑だった。 だって、先週末、彼や彼の友達や会社の先輩と一緒に息子はキャンプに行っていたのだから。 勤労感謝の日から2泊3日、キャンプを楽しみ、 帰りには牧場に寄って、そこで解散したらしい。 この日彼は、キャン
53年前の今日、大阪万博が開幕した、という記事を読んだ。 なんと、私、リアルで行ってる! しかも小学生! 通りで最近あちこち痛いわけだ・・・ 自分が思っている以上に年を取っていた。 はっきり言って記憶があやふや。 3日間くらい滞在したような・・・ 「月の石」の展示を見るためにアメリカ館に何時間も並んだこと。 今は無くなってしまったチェコスロバキア館できれいなガラスの花瓶を母へのお土産に買ったこと。 妹へのお土産にフランス人形を買ったら、とても怖がられたこと。 な
布で作ったふわふわのオーナメント この手作りのリースやツリーは、私の叔母がうちの息子たちが小さいころに作って送ってくれたもの。 子供のいない叔母は、私たち姉妹を娘のように、私たちの子供たちを孫のように気にかけてくれた。 息子たちはすっかり大人になり、このオーナメントたちも少し色あせてきたけれど、毎年飾らずにはいられない。 母を連れて仙台へ 11月の中旬、89歳の母を連れて、母の実家のある仙台に行ってきた。 94歳の伯母がお世話になっている施設を訪問するために・・・
朝日新聞の一面の「折々のことば」というコラムを毎朝読んでいる。 11月3日のことばは 「人の身体は、転ばないようにではなく、うまく転ぶように作られていく」 法哲学者 那須耕介氏の遺稿集「つたなさの方へ」からのことばらしい。 この朝、これを読んで、さほど時間をおかずにこの言葉をかみしめることになろうとは・・・ 私がこのことばを読んでいたころ、息子は車(私の)を運転して、二つ先の駅に住む会社の上司を迎えに行っていた。 この日は会社の仲間たちとバーベキューをすると言う。
日が暮れるのが早くなり、すっかり暗くなった夕方5時半ごろ、インターホンのチャイムが鳴る。 夫が応対していたが、だんだんと語気が荒くなる。 のぞき込むと知らない年配の女性が、ご自分の猫が我が家にいるはずだ、というようなことをおっしゃっている。 「とにかく出てきて猫の写真を見てください」と言う。 夫が切れ気味に出て行こうとするのをなだめ、私が対応することにした。 そう、夫は気が短いのだ。 きっと怒鳴りつけちゃうに違いない。 家の前にいたのは、杖をついた年配の女性。 「
2017年から始まった障がい者グループホームの建設。 建設地は北海道秩父別町。 生まれ育った町の隣町だ。 1棟目から設計をさせていただき、昨年12月に3棟目が竣工し、これをもってすべての計画が終了となった。 本当は今年1月に、竣工した建物を見に行く予定でチケットも取っていたのだけれど、コロナの感染が拡大し、キャンセルとなってそのままになっていた。 3棟並んだ姿が見られて本当によかった。 地元を離れて大学で建築を学んだ頃には、まさか自分の設計した建物が故郷に建つ日が
「年齢」についての座談会に参加した。 ふと気が付くといつのまにか今の年齢になっていて、年齢に気持ちが追い付いていない。 ただ、体は確実に衰えいて、あちこち痛かったり、イメージ通りに体が動かなかったり、たくさん食べられなくなったり・・・ 年齢には5つの種類があるという 1,暦年齢 2,生物学的年齢 3,社会的年齢 4,主観的年齢 5,精神年齢 1は誰しもが1年に1つ増えていく誕生した時からの年齢 2は肌年齢とか血管年齢などの生き物としての年齢。寿命や健康寿命に関係す
聞こえてきた会話 一人で演劇を観た帰り道 今観たばかりのお芝居の余韻に浸りながら 渋谷の雑踏を歩く と、前を歩く二人の高齢の女性の会話が漏れ聞こえた 二人でどこかに行ってとても楽しかったらしい会話のあとに 一人が 「もう少し歳を取ったら、こんな風に会えなくなるかと思うとね~」 するともう一人が 「でも、あの時あんなことを思ったな~って思うことがたくさんあったらいいよね」 そして、二人はお互いに、そうだそうだ、と言いながら私とは違う方向へ この日観た芝居の中
夫が62歳の誕生日を迎えた。 家族みんながケーキが苦手な我が家では誕生日にはサーティワンのアイスケーキを買うことが多い。 サーティワンの店先にあるかわいいケーキの見本の前で人相の悪い夫がスヌーピーのケーキを選ぶ。 さて、ローソクは何本にしようか? というと、 「還暦で一周回ってリセットされてゼロになるから2歳で2本だ!」 何言ってるかよくわからないけど、本人がそう言ってるんだから まあいいか・・・ 「プレートのお名前は?」というお姉さんの問いに 「かずくんで」
玄関に飾っているスパティフラムの花が咲いた ごくごくたまにだけれど、 この花の部分がまるで照明のように光っているときがある まるでスイッチが付いていて誰かがパチってつけたの? ってくらいの光具合 初めて見たときは 「え?」って動きがとまったものだ これは自然のいたずら おひさまからのプレゼント 偶然の重なり合いだ なにかの条件がそろうと 玄関のハイサイドライトからいい感じに西日が差し込み それがちょうど花にあたると、ほんの数分間こんな風になる 家に帰ってきてドアを
先日、夫の親戚のお通夜に参列したときのこと (写真は旅行の時の物) 「親戚」とは言っても血縁はそこそこ遠い 夫の母のイトコのお嫁さん・・・ 血のつながりはないですね 夫の親戚は周囲2kmのあたりにたくさん住んでいて、 みんな親交が深い イトコたちもとても仲良し このおばさんも親戚一同のイベントには必ず顔を出していた さて、お通夜が終わり、 このご時世なので、斎場でお食事などすることなく、 お弁当をいただいてすぐに解散 ちょ
少し前のことになるが・・・ 穏やかな春の日、夫の親戚から訃報が届く 近くに住む92歳のおばあさんが亡くなった、と 夫の父の従弟の奥さん、と血縁はわりと遠いが、家が近いのでちょこちょこ交流はあった ただ、もっぱらお会いするのは94歳のおじいさんのほう このおじいさんは お話がそれはそれは面白くて、集まるときがあればいつもみんなを笑わせてくれる 早速夫とともにお宅に伺うと、ちょっと憔悴したおじいさんが出迎えてくれた 眠っている間に亡くなっていて、ご家族はそのこと
5月の初めに30歳になった長男。 夕食後、急に夫と私が座っている食卓の横に立ち、 「自分も無事に30歳を迎えることができました。 これもお二人のおかげです」 などと芝居じみたことを、棒読みで言う。 え?なになに? と思ったら、 風呂敷に包まれた大きな桐の箱をそれぞれに差し出す。 開けてみたら・・・ それぞれの生まれた日から2020年までの誕生日の新聞の1面とテレビ欄の縮刷版! 長く生きてるのでそこそこの枚数! アポロ10号とかソ連とか、そんなこともあったな~
昨日は母の日。 結婚してからというもの、「母の日」というのは義母のための日だった。 母の日には夫の姉弟家族と一緒にお食事をしてプレゼントを渡す。 近所に住む実母にはプレゼントをするだけで、食事などはできない。 私自身が母となってからもそれは変わらず、私はいつまでたっても、妻でも母でもなく、「嫁」のままだ。 でも、息子たちが大人になるにつれ、私に気遣いを見せてくれるようになってきた。 就職してからは、誕生日とか母の日とかに花を贈ってくれるようになった。 昨日も 例
仕事部屋の作業台の足元にある、箱の中を整理していたら、 手紙の束を発見。 こんなの読んじゃうと先に進まない、 ってわかってるけど ついつい眺めていたら、 こんな年賀状がでてきた。 いよいよ4月から大学4年生になろうか という年のお正月のもの。 差出人は大学の同級生の女の子。 工業大学の建築学科に 女子は4人しかいなかった。 そのうちの一人だ。 大学に入学した年、家庭内で人生が変わるような最悪の出来事があり、 その後、私は、大学中退という選択を迫られた。 切羽詰まっ
「1年前の思い出」の写真がスマホに現れた。 この日のことをよく覚えている。 この日の午後、東銀座のレトロな喫茶店でグループセミナーを受けたときに、カフェラテをオーダーしたら、これが出てきて、あまりの立体感に度肝を抜かれたものだ。 そしてその夜は、新橋でお食事会があり、銀座をぶらぶらして時間をつぶしながら、新橋方面に向かって歩いていた時に、高校時代の友人から電話が。 声がひどく疲れている。 実は、前月の終わりに、彼の経営する会社が倒産した。 職種が同じこともあり、私