感情の記憶はホントに消えないのか?
聞こえてきた会話
一人で演劇を観た帰り道
今観たばかりのお芝居の余韻に浸りながら
渋谷の雑踏を歩く
と、前を歩く二人の高齢の女性の会話が漏れ聞こえた
二人でどこかに行ってとても楽しかったらしい会話のあとに
一人が
「もう少し歳を取ったら、こんな風に会えなくなるかと思うとね~」
するともう一人が
「でも、あの時あんなことを思ったな~って思うことがたくさんあったらいいよね」
そして、二人はお互いに、そうだそうだ、と言いながら私とは違う方向へ
この日観た芝居の中で、愛人に妻の座を奪われたのちも
その二人を応援する女性がいた
女性は認知症になっているらしく、現在の妻に対して仏のような笑顔で
「今の夫があるのはあなたのおかげ、ありがとう」
と言った少し後に、突然険しい顔になり
「この泥棒猫!」と罵り、首を絞めるシーンがあった
観劇後、「私が認知症になったら一体何を口走るんだろう?」
なんて思いながら歩いていた時に、この会話が聞こえてきたのだ
感情の記憶は消えないらしい?
数年前、義母に認知症の症状が見え始めたころ
夫や夫の姉弟はそのことを受け入れられていなかった
そんな時に友人が、自身がサポートする団体で開催される介護のセミナーに誘ってくれたので、その時すでに実母を介護していた友人を誘って二人で参加してみた。
「ユマニチュード」というフランスで開発されたケアの技法についてのセミナーで、実際の動画を見ながらの講座は、とても分かりやすく、心に響いた
ユマニチュードの説明は下記の通り
この講座の中で講師の先生がおっしゃっていたことが心に残っている
それは
「感情の記憶は消えない」
というもの
たとえ目の前にいる人の名前や、どういう関係だったのかがわからなくなったとしても、その人のことを好きだとか、愛おしいとか、その人といると心地いいとか、もう一度会いたい、とかそういう感情は覚えているのだと・・・
逆もまた然り
会いたくない人、居心地が悪い人などのことも忘れないらしい
先のお二人のように楽しい思い出をたくさん作って共有したら
お互いの中に刻まれた幸せな時間は、形を変えても心の中にずっとあるのかな、と思うとなんとなく私も幸せな気持ちになる
若い時に、そこそこひどい目にあったけど
そのあとにはたくさんの幸せな時間もあった
これからも、豊かな時間を重ねていくことができたら
いつか私も年をとって、なんだかわからないけど幸せな気持ちでいられるおばあちゃんになれるだろうか
そして、私に幸せを感じさせてくれた人たちのことを、誰が誰だかわからなくなっても、その人たちの顔を見たら温かい気持ちになってまた会いたいな、と思えたらいいな
なんてことを思いながら少し幸せな気持ちで電車に乗った