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うまく転べるようになればいい

朝日新聞の一面の「折々のことば」というコラムを毎朝読んでいる。

11月3日のことばは
「人の身体は、転ばないようにではなく、うまく転ぶように作られていく」

法哲学者 那須耕介氏の遺稿集「つたなさの方へ」からのことばらしい。

この朝、これを読んで、さほど時間をおかずにこの言葉をかみしめることになろうとは・・・

私がこのことばを読んでいたころ、息子は車(私の)を運転して、二つ先の駅に住む会社の上司を迎えに行っていた。
この日は会社の仲間たちとバーベキューをすると言う。

大学生の時に運転免許を取った次男は、ずっとペーパードライバーだったけれど、ここ半年くらい仕事で必要に迫られ、ちょくちょく運転するようになった。

始めは恐る恐る・・・
でも変な度胸のある次男は、いきなり高速で遠出をしたりし始めた。

だいたいのことは、ちょっと調子に乗ってきたころが何かと危ない。

ほどなくして、「サイドミラーを壊した」と次男から電話が入る。

やっぱりやったか、と私は思った。

上司の住んでいるあたりは、道が狭くて、電柱が車道にはみ出して立っている。

大きなトラックが反対側からやってきたのを少しよけようとして、サイドミラーを電柱にぶつけてしまったらしい。

あの辺は道が狭いからまだ無理なんじゃないの?
と注意したのに・・・

私の言う「狭い」をナメていたらしい。

「だから言ったでしょ!」という言葉を飲み込み、
「人にぶつかったんじゃなくてよかったじゃない」とかろうじて言った。

「ちょっと慣れてきて、調子に乗りそうだから、大きな事故になる前に神様が注意してくれたんだよ(信仰はありません・・・)」


先の折々のことばの解説は次のように続く

「歩けるというのは、上手な転び方をわきまえていることだ」


もう二度と車は貸しません!
と次男に宣言するのは簡単だ。

だけど、転ばないために歩かせない、というわけにはいかない。
小さな不注意にドキッとして、ちょっと初心に戻って大きな事故を起こさないように気をつけることを学習しないと。

かくいう私も、ちょっとこすったりしてきたし、相手に原因があるとはいえ、交通事故にもあってけがをしたこともある。

転ぶのは仕方ないけれど、よりダメージが少なく転べるように、なっていきたいものだ。

解説はさらに続く。

「感情を豊かで安定したものにするにも感情の受け身を習得することが大事」だと。
う~ん、深い!

身体も心も上手に転ばないとね。

翌朝、車はレッカー車でディーラーに運ばれていった。
サイドミラーが割れている車には乗ってこないでください、と修理担当者に言われたのでJAFにお願いしてレッカーで運んでもらったのだ。

修理代は来月の給料で払います、と息子。

高い授業料になっちゃったね。




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