カオマンガイとソムタムに思うもの
最近、お腹の調子があまり良くなかった。
膨満感でなんとなく苦しくて、消化不良を起こしていた感じ。
食欲がないわけではないけれど「あれ食べたい!」「今日はこれ作ろう!」とか、そんな気分になれない日が続いて、何を食べても、すぐにお腹が張るもんだから、素直に美味しい!と思えなくて、私もいよいよ歳だ、なんて思いながら、久しぶりに梅干し入りお粥を作ったら、それがびっくりするほど美味しかった。
そして、その次の日にはしばらく作っていなかったお味噌汁を作った。これまた驚くほどに美味しく、身体に染み渡った。
あぁ、やっぱり、なんとなく調子が悪い時に食べて美味しいと思うものは、お粥とお味噌汁なんだなぁと改めて気づく。私は、特別和食が好き、というほどでともなくて、美味しければ中華でもフレンチでもイタリアンでも、イギリス料理でもなんでもいいと、意識では思っているのだけれど、やはり弱った体が求めるものは、幼い頃から食べ慣れたものなのだろう。お粥とお味噌汁、ほんと最強です。
そして蒸し野菜などで胃腸を労る食事をして、徐々にお腹の調子が戻ってきたら、次に食べたくなったのは、カオマンガイとソムタムだった。カオマンガイは、結構脂っこいし、ソムタムはちょっと辛いし、お腹に優しいメニューとは言えない。それでも、私の食欲を大いに刺激するのだ。
私がタイに居たのなんて、わずか9ヶ月なのに、タイ料理はいつの間にか私の身体が求める第二の味になっていた。初めて暮らした異国の地の味は、自分で思う以上に、私の身体に深く深く染み込んだのだろう。
甘くて辛くてしょっぱくて、いろんな味と食感が混ざっているそれは、バンコクの雑踏そのもののようでもある。そして、食べるとあの常夏の国の太陽と、そこに居た人たちの優しい笑顔を思い出すのだ。
食べものというものは、その味や匂いだけでなく、その時食べた場所の景色、聞こえた音、一緒に食べた人、いろんなものと紐付いている。
だから、たとえどんなに高級で美味しいものを食べたとしても、それが1人で家でスマホを片手に食べたものなら、きっとそれほど記憶には残らないだろう。
でも、誰かと一緒に楽しく食べたものならば、例えそれが安い屋台のごはんだったとしても、その時食べた"楽しさ"が"美味しさ"に変換されて記憶に残るのではないかと思う。
タイでの生活は、たくさんの素敵な人やものに出会った、ある意味で私の人生におけるターニングポイントのような日々だったので、そこで食べたものは、私の身体に"大好きなもの=元気になれるもの=美味しいもの"としてインプットされたのだろう。
そして、これからイギリスで出会う味もまた、いつの日か同じように感じる日が来るのだろうか。