10年間を振り返って(14歳〜24歳) 2003年8月20日 取り巻いていたものの多くが 私から何かを剥ぎ取って 遠くへ行こうとしている。 私は信じていたことと眼に映ったことが 同じラインには並ばないことを知って 深く失望した瞬間を思い出した。 あんなに求めていて、あんなに欲していた 光が落ちる瞬間のきらめき。 それを手にできることを知って 私は次へ移行する時を待っている。 あなたがいつ、どこで私に手を差し伸べ、 引き上げてくれたのか、 そのひとつひとつを辿って思
photo by Karen 社会人になる 2002年 7月17日 24歳 人生の師、高橋佳子先生に出会う。 彼女が大天使ミカエルで、私にメッセージを送り続けてくれていた「セリカル王子」だったことをその時初めて知った。 聖ミカエル = セリカル だった! 「今」 自分自身の立っている場所。 今までは人との接点があまりなかった。 人と少しでも関わることができればそれだけでよかった。 文章ばかり書いていても、歌ばかり歌っていても、どうにもならないことは多くて。 この
photo by Karen 未来を予測する力 2001年2月21日 23歳から28歳までの5年間、主に音楽を手段として現在の社会システムを変えていきたい。 未来の予測 ●DNAの全解読 ●化石の発見 ●天体の発見 ●アメリカの失敗 ●経済の落ち込み ●本当の世紀末 ●大陸移動 ●火山噴火 ●大地震 ●ノーベル化学賞 ●ノーベル平和賞 ●ドキュメンタリー映画 ●貧困からも脱出 欧米、日本が作り上げたシステムの根本改革 骨が全面的に浮き彫りになる(クリスタル)
photo by macoto.n コスモスの修正体験 2000年 1月27日 22歳 なんか、本当に自分ってつくづく馬鹿だなぁって思う。 自分で理想の男性「セリカル」を作って、必死に探し続けて。 日本人じゃないって思い込んで。 英語、英語って大騒ぎして、お金と時間を費やした。 イギリスやスイス、ヨーロッパに憧れ、空想に浸った。幸せな空間という幻想。 セリカルという幻想。 英語もイギリスもスイスも国際法もインテリアもフランス語も、たとえまったく意味のないものだっ
私は大学は国際学科で学び、卒業論文のテーマは「国際法とジェノサイド(集団虐殺)」にした。 卒論のために、ユダヤ人のホロコーストについてなど毎日たくさんジェノサイドに関連する本を読んでいた。 そのせいか悪夢を頻繁に見るようになり、精神的にも追い詰められるようになっていった。 狂気の根源とブラックホール 2000年11月、12月、2001年1月まで 卒論の大詰め期間 22歳〜23歳 2001年 1月7日 23歳 1人でいることが、とてつもなく寂しいと思うことがある。でも
これから10年間でしたいこと(22歳〜32歳) 2000年10月18日 22歳 現実的思考と空想的思考。 脳と身体を強固に結びつけたい。 言葉と行動。 知識と愛。 今後、どんなに強烈なエネルギーが舞い込んできても、今、自分がどこを見て進んでいるのかをしっかりと見極めよう。 常に自分自身に問いかけよう。 私にとって音楽はエネルギーの開花と放出そのもの。 考える力と実行する力。 決断したい。 10月20日 これから10年後の自分の理想像(32歳までに) ★シンガー
photo by Karen 5年間の振り返り(予備校〜大学4年間) 自分の中の陰と陽の性質 2000年10月15日 22歳 18歳から19歳の予備校の1年間。 大学試験直前の1ヶ月間、有料自習室で毎日勉強した。誰とも会わず毎日ただ黙々と勉強したことで、私の中の「陰の性質」が100%の状態になり強化された。 20歳の時、純粋な恋愛感情を経験し、Coccoの歌を聴いてその痛みを感じ続けた。 そこから女性として美しくなりたいという気持ちが生まれ、ダイエット(エステや
人生の実験と研究 2000年10月12日 22歳 私にとってダイエットとは何の象徴だったのだろう? 私は自分の身体のことをもっと知りたいという興味、好奇心から様々な実験を毎日繰り返した。 でも自分のベストプロポーションを維持することはなかなか出来なかった。 痩せてから何をするのか? 痩せたら何が手に入るのか? それが最大の問題だった。 特に何も考えなくても、細い体を保っている女の子たちを羨ましいと思った。 本当はみんな色々考えているのかもしれないけど。 だ
セリカルの再定義 2000年9月19日 22歳 セリカルからの声が聞こえない。 カレンからのお告げもない。 とても悲しい。 私は今、一体何をしているの? 私は今、どこで生きているの? タイムリミットがせまってる。 だけど何も感じない。 あの日の満天の星空。 うまく話せなかった英語。 私が歌った歌。 あなたは私に “Your voice so impressed with me ” (君の歌声にとても心を動かされた)と言った。 恋愛以上の私の夢。 それが唯一、私
イギリス生活で太った体 10ヶ月間イギリスで過ごし、たくさんの人と接し、話して、関わって、いろんな場所に旅して、食事を楽しみ、至福を味わい、私はまるまる太って日本に帰ってきました。 2000年9月13日 22歳 いつか見たあなたは 後光がさして 気品のある 美しい凛とした瞳。 私はあなたに恐れおののき 決してあなたに逆らわないと あの青白い月に誓ったのでした。 この変形してしまった私の姿をあなたは醜いと言った。 私はこの姿があなたを否定すると分かっていながらも
最終目的の喪失 2000年 9月8日 22歳 私は強くなった。 日本や東京が少しも怖いとは思わなくなった。 何も感じない。 そう、生きていることが苦しいと思わなくなった。 人と接することも苦にならない。 むしろ楽しいし、もっと話したいと思う。 私は強くなった。 一人で街を歩くことが辛いと思わなくなった。 赤ちゃんや犬や猫には微笑んで見つめることもできるし、電話をかけたいと思った相手にすぐに電話をかけられるようになった。 いつベルが鳴ってもおどおどせずに話せるよ
これから先に進むためのメッセージ 2000年 9月2日 22歳 とどまってはいられない。 愛する人ができて、幸せになったらそれでいいのか? そこにとどまってはいけない。 何のために愛するのだ? もう一人の自分と出会って何をするのだ? 出会うことが奇跡なのではない。 もう一人の自分と何をするのか? 何を成し遂げるのか? とどまってはいられない。 先に進め。 前を見るのだ。 恋愛を超えるのだ。 恋愛より強いもの、恋愛より尊いもの、 恋愛よりも苦しいものに飛び込め
私はイギリスで様々な困難を乗り越えながら、スコットランドやウェールズ、アイルランドを旅して、最後はバスでヨーロッパを一周し、日本に帰ってきました。 日本に帰国して これからの計画 2000年8月8日 22歳 これからの10年間の計画を立てたい。 1つ1つ確実に、焦らず落ち着いて 現実に形にしていく。 楽に生きようとしているわけじゃないけど、 わざと辛く苦しく重く生きる生き方はもう終了した。 ソウルパートナー(セリカル)にいつ会えるのかということが1つの指針になっていた
希望の光と目指す世界 2000年2月21日 22歳 もし、もう一度あなたと あの場所で会えるのなら 今度こそ思いきり笑ってみせよう。 希望の光を手に入れたと誇らしげにおどけてみせよう。 力には愛を。 夢には優しさを。 それが運命だなんて言葉にするのは簡単だけど。 現実?真実? この物質の世界で。 もうずっと2人きりでいたいなんて言わないから。 だからこそ、もっともっと幸せをください。 私、欲ばりになりたいよ。 そしてまた何かが始まる。 何かを始める。 それが何かっ
1999年8月〜2000年6月まで(21歳〜22歳) 10ヶ月間、私はイギリスの大学に交換留学をしました。すぐにイギリス人の大学1年生と一緒の寮生活が始まりました。 最初は英語のナチュラルスピードにまったくついていけず、授業も予習や復習をしても全然追いつきませんでした。 それでもレポートや課題が山ほどあり、毎日必死で図書館で何時間も勉強しました。 その中で私は強いストレスを感じるようになり、鬱のような状態を経験しました。 さらに元々あった私の特性が、日本にいた時は何
新しい世界のスタート 1999年5月9日 21歳 内なるコスモスから外なるコスモスへ あなたと私はこのような形で出会い、 このような形で関わり合うことを 宇宙が宇宙であることを知った時から理解していました。 空間と時間の概念は私たちには不慣れなもので、 この地球に生まれ落ちてからの20年間くらいは、 とまどい、ためらい、時には体をふるわせて泣いたりしていました。 しかし、それでも、 あなたの存在を知ってから、自分の生きている価値を見出し、ここにいてもいいのだと思えたの