自己肯定感に関する尺度と、見落としがちな唯一無二の話
私は猫も犬も好きです。それぞれの良さがあります。犬も猫もそんな得意じゃなくて、爬虫類が好きだよとか、猫に鳥が襲われたことがあるから、猫は苦手だなとか、みんな色々。仮に、ペットのように愛せる対象があるとしましょう。
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無償の愛。少なくともその動物が何かをしてくれるから、交換条件で可愛がっているという関係は少ないでしょう。いい子にしているのであればうちの犬は好きです、とあまり言いませんよね。例えば、悪さして庭にでかい穴を掘ったとしても、「お前鼻真っ黒じゃん」とぼやきつつ、その穴を埋め戻して面倒見るわけです。犬にしろ猫にしろ私は交換条件で愛情を抱いたことは、無いです。
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ここで自己肯定感の話に繋げます。伝えたいことは2つあって、1つは0か1か、100点満点か0点かと、極端で間がないこと。例えば65点であっても、難しいから平均は40点だから頑張れている。逆に、98点取れたけども大半の人が100点取っているからむしろ98点で満足してダメとか、いろんな基準があります、だから中間がないことは、現実に適していないと思う。
もう1つは、自己肯定感を抱くのに「良い環境に恵まれて良い習慣を持っているならば」とか、「誰もが羨む実績を持っているのであるなら」と、何らかの条件を満たす必要があると、持ちにくくなるでしょう。
つまり最初の方から話していた無償の愛の話っていうのは、「ペットとか動物に対しては無償の愛を抱くことができるのに、なんで自分自身、人間というものに対してそれができなくなっちゃうんだろう」という問いです。
自己肯定感が低いのがいけないわけじゃなくて、それは何か理由があることだと思うし、自己肯定感を持ちにくい中で少しずつ努力して調整して試行錯誤して自分を鍛え上げることは可能だから、今は自己肯定感がないのは全く問題なくて、そこからスタートすればいい。
3ヶ月なのか半年なのか1年なのか人によるけれど、ありのままの自分を具体化すると、ダメなところがあっても凄いところがなくても、それはその人が存在することの重要さに比べれば誤差だと思うのです。
82億人の世界人口で唯一無二なだけでなく、人類史で同じ人は二度と現れないはずだから、極めてレアです。対して、スキルや能力や実績は、多くの人で共通します。
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もう少し言い換えるのであれば、友達やパートナーや仲間や家族に対してはいくらでも優しく親切に振る舞えるのに、自分に対しては厳しくなってしまうのなら、期待の裏返しではあるものの、厳しすぎると自分を壊してしまいます。
極端を避けて、バランスを保つのが重要ですね。