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「スマホもファミコンも無かった時代」から辿る、懐かしさの話

子どもの頃の遊びというと、どんなものを思い出されますか? 私が小学生だった1980年代の神奈川で思い出してみると、まずは、泥棒と刑事に分かれて遊ぶ鬼ごっこみたいなやつ、ドロケイを学校でやっていました。

ドッジボールなども人気ですが、追いかけっこ好きですよね、子どもたち。
女子はゴムとびに情熱を注いでいました。

高鬼はご存知ですか? 平らな地面より、少し高い位置にいるとセーフな遊び。

あるいは影鬼。影を踏むこともあれば、影の中に入っているか。

鬼ごっこのバリエーションは豊かでした。

また、チョークで道路にスーパーマリオのマップのようなものを作り、それで遊ぶようなこともありました。

チョークで陣を作るなど、チョークは大活躍でした。

うっかりアルファベットを間違えて、近所のおばちゃんに「そこ違うよ」と教えて貰ったこともありました。

時間の流れが、現代ほど忙しくないと思います。

担任がホームルームで、「コックリさんは、やらないように」と、分かってると思うが、あれはやめとけというニュアンスで教えてくれたりする、そんな時代でした。

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それからもっとさかのぼって、3歳の頃。今も基礎疾患は持っていますが、幼少期は免疫が弱いのか、頻繁に高熱を出しました。自分の体との付き合い方を、覚えている分だけ違います。大人は考えて対策も立てられるし。

マンションの敷地に小さい公園を見かけることは無いですか? 私の団地にも敷地のコーナーを利用した、通称三角公園がありました。

団地の子たちはそこで遊ぶことが多く、親御さんがお子さんを外で遊ばせる際に、車の往来がないため、誰かしら人が集まる小さな社交場です。

私の熱が下がり外で遊べる状態になり、母と三角公園へ行くと、誰かしら「くしゅん」とくしゃみくらいします。因果関係は分からないけれど、また高熱を出すループでした。

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ですから、自分はその団地で暮らしていた頃、記憶があるのは3歳前後から引っ越しをする4歳数ヶ月まで(幼稚園に上がる直前です)、その間、団地のお友達ともちろん遊んではいます。

ただし、同じくらい自分一人で遊ぶか、あるいは親に遊んで貰うこともありました。

ファミコンがない、スマホもない、そんな時代に何をして遊んでいたのでしょう?

現代も検索すると、似たような工作を見かけます。例えば、牛乳パックを素材にしてハサミで切り込みを入れ、羽を折る角度を工夫してプロペラのようなものを作ります。バドミントンのシャトルと、少し似ています。

『耳をすませば』の団地の階段の踊り場みたいな感じで、母が上から「落とすよー」と合図して、下で待っている私はゆらゆら回転して落ちてくる羽をキャッチし、階段を登って母に手渡しに行くのです。

——うちの猫が、似たことをやっていたから、教えると喜びそうです。拾って持ってこない点が異なりますけれど。「僕が遊ぶ、トラガラが持ってって」と行動で意思表示されそうです。

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メンコやベーゴマは、私より上の世代だと思います。

トランプや花札、オセロなどはあったけど、UNOはまだ見たこと無かったです。中学時代にはあったから、小学校高学年くらいかなぁ……。

ルービックキューブがやけに上手い子もいるし、レゴではなく、Bブロックというおもちゃで、室内で従兄弟と大きなものを組み立てて達成感を抱いたりもしました。

まだネットが普及する前、家庭にパソコンも、スマホも、ファミコンさえなくても、何かしら創意工夫して楽しく遊んでいました。

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秘密基地は王道です。雑木林は近所にあります。ある日、お向かいのお姉さんが、「ママ、大変、豚の赤ちゃんいる!」と、ネズミの赤ちゃんを保護するなど、ゆっくりした時の流れでも、子どもの日常には事件と発見がありました。

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2050年代、今から30年から35年ぐらい経つと、現代の子どもたちが中年世代になります。

例えば、同じ小学校の思い出も、私の世代はランドセルの色を選べ無いので、クラスの雰囲気も昭和です。だから——

子どもの頃スマホで遊んだ懐かしのアプリ
あの頃SNSでバズっていたこと

などなど、おそらく私の世代とは異なることで、懐かしさを感じ、同世代と盛り上がるのでは無いでしょうか。「インターネット老人会」に相当する言葉もあるでしょうし。

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我々は大人になるときに
その時代から学んでいるから
どうしても自分が時代に強くひも付くものです
幼年期とか自己形成期とか
時代に縛られるから、やがて時代についていけなくなる

だから、世代交代は必要ですし
上の世代から昔話を聴くのも豊かです

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例えば——

「お父さんのお爺ちゃんが
紋付袴で人力車に乗っていたの?」

などと、母の新婚時代、半世紀前に親戚から
見せて貰った家族アルバムに
校長先生をしていた曽祖父の写真があった
ことは聞いていても私は見ていないから
詳細不明なのです

父方の祖父は子沢山だから
孫いっぱいいるため、話した記憶が無く
(挨拶くらいはしますし、質問に答える感じ)

今なら祖父を質問攻めにするのに
残念です

「トラガラ、そのnoteって何だ?」と
祖父が少し引きそうですけれど

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我々が懐かしく思うものは変わるけれど
それは弥生時代の先輩達でも
「あの頃」を懐かしむ「何か」はあったでしょう

自分の幼少期や自己形成期の、何かであることは、きっと共通するでしょう。

心の中に残っている手がかりを持ち寄ること。懐かしさは1人でも経験できるけど、社会の中で共有すると、思いがけない発見もあります。

懐かしさの中身は異なるけど
懐かしさを抱くことは
時代や文化を超える、普遍性があります​​​​​​​​​​​


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