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2024年10〜12月を振り返る ・ 映画版

 
すっかり記事を出すのが遅れてしまって、もう振り返ったところで見えないくらいに小さくなってしまいましたが、去年の10〜12月に見た映画の感想です。並びは観た順。
観たこと前提でネタを割っているので、未見の方は読まれる際にご注意ください。
今までの他映画感想はこちら↓から。





『Cloud』

さ、佐野くん……!?? 
それにしても、映画でも小説でもホラーやミステリをちょくちょく見ていると、「どんなにお金があっても自分ちから見える範囲に隣家の無い山中や湖畔の別荘は買わないでおこう」という気持ちになりますね(笑)。どんなに自然が美しくても心底からリラックスできない。まあ「隣人がコワいヤツ」的パターンもあるのですが(笑笑)。


欲を言うなら「佐野くんが吉井に心酔するきっかけエピソード」が欲しい。あの感じだと佐野くん、吉井が引っ越す前の治療機器稼ぎの詳細は知らなそうだし。引っ越した後に何かでかいのひとつ当てるシーンが欲しかったです。
「どこのブランドかも判らんカバン」に高額つけて適当なコピー添えて売りに出して、結局売り抜けないまま警察に目をつけられて仕入れ値より遥かに安く売りさばく様子みて、「ボクがアナタのサポートすべてやります!」とはなかなかならんのではないか。

しかし佐野くん、「組織には戻らず個人でやる」みたいなこと言ってたけど、銃器補充やお掃除を頼んだりしてるので、それは結局「個人プレイ」ではないんじゃ……? とちょっと思った。
だが東京でそれでがっつりやっていたものを、一体何故やめて田舎に戻って無職で居続けたのか。そして何をもって吉井のサポートで生きると決めたのか。ここはやっぱり、心酔エピソードがひとつ欲しかったなぁ。


とにかくキャスティングがもう絶妙。佐野くんはじめ、誰もが当て書きされたみたいにぴったりです。パンフ見て当て書きじゃないと知ってびっくりしたくらい。
特に古川琴音と荒川良々がぴったり過ぎた。荒川良々、もう初登場時から不穏さに満ちていて最高。あの時点で既に、「才覚」はともかくとして、誰がどう見ても自分が属する組織に対して「忠誠心」なんてものを一切持ち合わせないキャラだと見抜ける吉井に対してあんなセリフを言う(しかも当人はそれを信じ切ってる)時点で、この人のヤバさが判る。
古川琴音演じる秋子ちゃん、何が凄いってあの廃工場で足音ひとつ立てず吉井にも吉井襲撃隊にも果ては佐野くんにも気づかれずに工場内を移動してた、てすんごくないですか(笑)。鍛えたら一番のヒットマンになれそう。

吉岡睦雄も出番は短かったけどすんばらしく良かったですね。この人『Chime』の感想でも書いたけど(こちらから読めます)、本当に声が良い。地面からほんの数ミリ、足の底が浮いてるみたいな声。声だけで対峙してる相手の精神を好きに操れそうだとさえ思います。

世の恐怖映画には大きく分けて、オカルト、超自然系のヤツと、ガチ物理アタック系(『ジョーズ』とかシリアルキラーものとか)があると思うんですが、これはその両方が合体してる感じ。普段は割と、どっちかに徹してる作品の方が好みなんですが、今回は大丈夫でした。
まあとは言え、オカルト的な要素は薄めでしたが。あのバスの人と、ラストの車の風景くらいか。黒沢清監督の映画で、車窓からの眺めが空だけになるの、何とも言えず嬉しくなりますね(笑)。大好物です。地獄への一本道。

パンフレットにエンドロールの情報がすべて載っているのが最高です。キャストやメインスタッフの情報は後からでも調べられますが、撮影場所とか美術とか使用楽曲(今回は劇伴ほぼゼロだけど)って、エンドロールでしか判らないことの方が圧倒的に多くて。すべてのパンフで見習ってほしい。



『憐れみの3章』

https://www.searchlightpictures.jp/movies/kindsofkindness

パプリカは93.4%が水分、という知見を得てしまった。
それでもキュウリには負けるのか……。

あらすじは読まずにチラシの写真↓だけ見て、てっきりこういう「顔お面」を付けて生きる世界の人達の話だと思ってました(笑)。

ただ単に「人間」が装着しているのか、それともサイボーグ化したヒトやアンドロイドなんかが「人っぽさ」を出す為に付けているのか、などといろいろと妄想を捗らせてしまっていた。
それにしてもこの中では特に「ウィレム・デフォー面」が良いですよね。ポーズもあいらしい。欲しい。

パンフ見てる限りだと、一応3つの話には特に繋がりは無い、とのことですが、やっぱり何となく勝手に繋がりを見出してしまいたくなりますね。人間だもの。
3話目で黄泉の世界から強引に連れ戻されたR.M.Fが、「安息の地への回帰」を求めて1話目のレイモンドのところに殺しの依頼に来たのかなぁ、などと妄想してしまいました。

事前に想像してたのが冒頭の通りの有様だったので、見ていていろいろと呆気にとられました。予想を超えてホラー寄りで大好物です。 
ぴいんと緊張の糸の張ったホラーって、それが瞬間的に外れると妙なおかしみが発生するんですが、そういう味もあった。一番笑ったのは「昔のビデオ見よう」でした。無言で眺めてる三者三様の顔つきよ(笑)。

物語としては村上春樹の短編っぼくてそれも良かった。不条理が不条理なままに、けれども何故かこころにぷすりと刺さっていつまでも抜けない感触が良い。するんと常軌を逸して、動機すらも一切謎なまま異常な身の投げ出し方をしてしまうキャラ(リズその1とかレベッカとか)の雰囲気も似ている。
だがしかしルースさんは、いくら何でもあんまりお気の毒すぎますよ……(涙)。

この内容に更にホラー味を増してるのが音楽。音楽本当に良くて、帰って早速サントラ買おうと思ったら物理販売がレコードしかなくてがっかりしました(なんとお値段1万円……!)。
まあしょうがないからダウンロード買いしましたけども。しかもハイレゾで買ってしまいましたけども(この不穏な曲調での低音の響き具合が段違いなのよ……)。
レコードで出せるんならCDでだって出してはくれまいか……!

ところで特に近年の洋画見てて思うんですが、過激な場面とかセリフとか、子役に見せない・聞かせないようにしてるんだなぁ、と思うシーンが多い。大変良いことです。
今回は3話目で、エミリーが娘に「精液は……」みたいな話するところ。セリフごとに二人を切り替えて写してて、「ああ、子役はほんとはこのセリフ聞いてないんだろうな」と思いました。
2025年の大河『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』見ててすごく面白くて好きなんですが、この辺の配慮はまだまだだなと。子役に女性との経験がどうの言うシーンとか、素っ裸の女性が投げ出されてるシーンとか、カメラの切り替えや小柄な役者に同じ服着せて背中側から撮るとかでどうにでもできるのに。女性にだけ配慮すれば良しってもんではないよね。



『ハヌ・マン』

お姉ちゃああああぁぁぁぁん……!!!(号泣)
イヤこれお姉ちゃん死ぬ必要あったかな!? 無いよね? カケラもありゃせんよねええ!!
まあ「スーパーヒーローには喪失が必要」理論は判らんでもない。ないけど、でもそれこそ既に両親いないんだから、それで充分じゃないですか! 姉ちゃんだって、彼氏と結婚して街出てったらこの村からいなくなるんだから、それが「喪失」でいいじゃないですか!!!←冷静さを完全に喪失しているの図

もう本当に悲しい……辛い……直前にむちゃくちゃカッコいいお姉ちゃん無双を見せてもらっただけに(それにしてもインドのココナッツは硬いな)、衝撃が半端ではなかったですよ……(涙)。

だがしかしいい加減この「続く」パターンは勘弁してほしいものだなぁ。多分『バーフバリ』(以前に書いた関連記事はこちら)や『K.G.F』(感想こちら)辺りが評判良かったのと、ハリウッドみたいにヒーロー連続もの映画をつくりたいという狙いなんでしょうけど。
まあそれでも『ハヌ・マン』は、これで出てきた悪党の話はこれで終わってるのでまだマシですけども。

ミーナークシを演じるアムリタ・アイヤルのキュートさがずば抜けていた。この、顔の成分をきゅっと真ん中に寄せるみたいに顔をしかめる表情、あいらしいですね。だがお爺ちゃんがちょっとあまりと言えばあんまりな程に長いものにまかれまくっていて、「教育者がこれでいいんか……」思いました。

ハヌマントゥを演じたテージャ・サッジャー、あんまり土臭さと言うか濃ゆさがなくて、一応ヒゲで濃ゆみを足してはいるものの顔つきは日本のアイドル系みたいな甘さがあって珍しい感じ。かわいい。この顔つきがキャラに合っている。
「殿様」が味方につく流れ、あるあるですが激アツでもある。シリが味方になるのも良いですね。
しかしインドの悪党さんってなんで皆ゴージャス椅子にどっかり座りたがるんだろうか(笑)。

「マンゴーピクルスのつくり方バトル」がすごく好き。歌とダンスでバトルって新鮮。
でも味の想像が全然つかない……まあ多分あれは熟す前のマンゴーなんだろうから、瓜のピリカラ味漬物、みたいのをイメージすればいいんだろうけど。

しかし『バーフバリ』でもそうで、それでもアレは「昔話」だからまだいいんですが、「蛮族」的扱いの人達の肌の色ばかりがむちゃむちゃ黒い、というのはちょっと微妙な気持ちになりますね。この辺りの感覚はまだインド映画界には及んでいないのか。



『エストニアの聖なるカンフーマスター』

いや、いくらカンフーをマスターしようが空は飛べるようにはならないんじゃないのかな!? 監督はカンフーを一体何だと思ってるのかな!??

タイトルとこの紹介画像↓を見た瞬間に観に行くことを決めました。何もかもがツボ。

カンフー!

決めたので、その後はそれ以上の情報は一切入れずに行きました。予告も、チラシ裏面すら見ずにあらすじも知らぬままに鑑賞。そしてどハマり。

イヤもう面白すぎました。大好き。最高。
むちゃ可笑しくて何度も吹いたんだけど、シアター内、多分10人以上はいたと思うのに全然笑いが起きなくてちょっと動揺した。えっ、笑っていい話だよねコレ……冒頭のチャイニーズブラックメタルカンフーマスター(情報量が多い)の無双ぶりから、ペリメニ投げっことか、腕立て湯沸かしとか、ミサに来てる近所のおば様方さえ何故か巧みなカンフー使いだとか、笑うとこですよね!???
ぴょんこぴょんこ移動する修道士の皆さん、敷地のあちこちで仲良くカンフー修行に励む修道士の皆さん、ラファエルの動きにびびる修道士の皆さん、もう何もかもがかわいすぎて困る。

イリネイ役のカレル・ポガが顔も役柄も好みど真ん中でした。なんかもう、後からのぽっと出がマリア像に蜂蜜の涙を流させちゃって、天賦の才をばきばきに発揮して、敬愛する師から「後継者は彼にする」「お前には失望した」言われて暗黒面に堕ちていく気持ち、切ない……でもラファエルを嘲笑してる内心が周囲にぽんぽん現れるところはうはうは笑った。正直で良し。それをひとつひとつ消されていくのも好き。
ラファエルにキリストの印を使ったカンフーポーズを教えていくところで、思わず膝の上で手真似をしてしまった(笑)。

リタ役のエステル・クントゥも好みのタイプ。クラブで出逢った時のダンスがすごい好き。
せっかく再会したのに修道院に入ってたらそらショックよね。スカーフを巻いたり外したりする女心がいとおしい。車ひっくり返すバカ力最高。そうなんだよ、大事なのは胆力だよ。肝っ玉が据わっていれば修道院の中でも外でも大丈夫。

この時代、正教会はソ連の傘下にある地域では結構日陰の身のイメージなんですが、そこまでの描写には見えなかったですね。ご飯もたっぷりあったし(でも師匠の食べ方はイヤだ……)。実際はもっと迫害されてて貧乏暮らしだったんだろうけども。
KGBの人、やられてる時に奥さんがむちゃむちゃ嬉しそうで(笑)、きっと家庭でも暴君なんだろうなと思ってしまった。ラファエルにやられて、ちょっとはマシになってくれるといいのに。
様々なカルチャー、特に西側のそれが抑圧されてる中で、それでもファッションやインテリアや食器や建物などのいろんな意匠がキッチュでたまらなくかわいい。何だろうねコレ。東欧や旧ソ連のこういうの、独特の味がある。好き。

前期での『墓泥棒と失われた女神』でも書きましたが(感想書いた記事はこちら)、物語の主たる位置に置かれる「聖なる愚者」て、どっちかと言うとその聖性をいいだけ利用されて当人は大変ひどい目にあう、ということが多いんですよ。
そりゃ当のキリストさんが原罪背負って磔にされたのだから、まあ正しいルートではあるんだろうけど、でもやっぱり見ていてもやもやするし、見てるこっちが年をとればとる程腹にこたえる。

だからこそこの作品は嬉しかった。誰もラファエルから「彼の特別さ」を奪わない。本当は彼の求める海外の文化や神への信仰はこの時代のこの国では禁じられていたり抑圧されていたものだけれど、そんなこと彼にはへでもない。華麗なカンフーと情熱で押し通る。ついにはラストでイコンのキリストの姿にまで。
修道院の中にいなくても良いんだね。信仰にも、そしてひとの愛にも様々な道があるけど、真摯な気持ちでいればどこにいても目指す場所は同じなのだな。



『花嫁はどこへ?』

「夢に許しはいらないよ」
イイ台詞……!(号泣)

予告見た段階では、てっきりディーパクんちが彼含めちょっと抑圧的で、間違って連れてこられた花嫁がそれを正していく内に二人の間に愛情が芽生えてラブ成立、置いてきぼりにされた方は何とか自力でやっていく内に自立心に目覚め、ろくに知らない相手との結婚はやめて新しい人生を送る、的な話だと思っていました。違った(笑)。

ほんとに意外だったのは、プールとディーパクがちゃんとラブを築いてたことですね。とは言っても「恋愛結婚」ではないと思うので、あれは本当に幸運なことだったと思いますが。
しかしインドのこういう結婚ってどうやって成り立ってるんだろう? 近距離の村同士とか遠いけど親戚同士、だったら判るんですが、そうではないあんな遠距離の相手とどういう繋がりで縁談になるのか。ふしぎ。

プールちゃんが本当にたよりなくてかわいらしくて、でもそこから踏まれても元通りになるたんぽぽの花のようにたくましく背筋が伸びていく様子がたまらない。「母がそう育ててくれたんだから私は賢いの」という主張に、「マヌケなことは恥ずかしくない、でも自分がマヌケなことを誇るのは恥だよ」と教える屋台のお母さんが厳しくもあたたかい。
お母さん、きっと判ってるんだよね。だってかつては、彼女だって「女の子」だったのだから。

「女の子」てのはそういう風に育てられる。家の中のことは何だってできる、でも自分が育った場所やこの先一生を暮らす土地の正確な名前も電話番号も判らない。家を一歩出たら何にもできない、そういう風に親は育てて、嫁ぎ先の親も、そして嫁いだ当の相手も、「嫁」になった「女の子」をそういう存在として留めおく。深くベールをかぶって、「前は見ずに足元だけ」を見て生きる。
でもそれじゃダメなんだよ、「そうじゃない世界」がこの地上には果てしなく広がっていて、あなたはそのどこにでも行けてどこでも暮らしていける。自分が「これから世界を学んでいくマヌケ」であると知ってさえいれば。
チャトゥも非常にいい子でしたね。インドの子供は皆、サルマーン・カーンの住所を知っているのか(笑)。別れのシーンはぐっときました。駅長さんが巨体を揺らして走りながら、「いいかい、9つ目の駅で降りるんだよ!」て教える姿と「プールが到着したぞ!」とはしゃぐ姿に笑い泣き。いいひと……!!

お金を手渡されて、一度は固辞するものの「それはあんたが働いた正当な取り分だ」と言われ、受け取ったお金をじっと見て懐にしまうプールの顔に浮かぶ輝きに涙が出る。
ああ、この感じ、覚えがあるな、と気づいて思い出す、『マダム・イン・ニューヨーク』でシャシが電話でむちゃくちゃ嬉しそうに「わたしアントレプレナーなんだって!」と言った時に涙腺決壊した、あれと同じだわ。
ただ『マダム〜』はその幸福を即座に電話先の旦那がぶち壊し。正直「シャシ、こんな家族捨ててアメリカで幸福に暮らそうぜ」と何度も思いました。

『マダム〜』がもし今の時代につくられていたら結論が変わっていたのかな。たとえ「妻」「母」であろうが、自分を尊重しない家庭に縛られる必要なんて無いんだよ、という理解がインド映画にもこうして広がっていくのが嬉しい。

プールが駅で大きく手を振って「ディーパク!」て名を呼ぶ姿が最高でしたね。ここは「再会できた」ということよりも、この呼び声とまっすぐ相手を見る姿に涙が出ました。ジャヤとすごしたディーパクの家族は、この先も誰ひとり彼女に「夫の名前を口に出すなんて」などとは言わないだろう。
それにしてもこの子まだ17歳、撮影時はおそらく15歳くらいの筈なのに上手すぎないか。将来が大変に楽しみ。

ジャヤも非常に素晴らしかった。「自分達は生まれた時からこうで、この先もずっとこう」と頭から当たり前に思っていて、そこに何の疑問も不満も持たなかった人達のこころを揺さぶり動かす。
蓮根のサブジを褒めちぎられるお母さんの幸福そうな笑みに、初めて賃金を得たプールと同じ輝きを見た。そうだよね、「あなたはそれをやるヒトなんだからそれをやって当たり前、そこに賞賛の言葉は不要(でも文句は言う)」て周囲の皆が、そして当人もそう思ってて、でも本当は一言でいい、何も特別なものが欲しい訳じゃない、たった一言、「美味しいよ」とか「ありがとう」とか、そういう小さなものが他の何にも変え難い栄養なんだよね。
「夫の好物じゃないものはつくらない」のもナンセンス。あなたが好きなんだから、あなたはそれを作って食べればいい。「そうか、そんな簡単なことなんだ」て気づいたお母さんの目の輝きたるや。

そしてやはりキモはマノール警部であろう(笑)。イイキャラ……!
ジャヤの極悪旦那が追い出される時に「金を払ったのに」と抗議するのに、「えーっ、ヤっダー、うっそー、アレ賄賂のつもりだったの、有り得なーい」的に目をむくのが最高。
だがなんだかんだ言いつつきっちりもらうものはもらうのね(笑)。ちょっとインド警察さんはもう少しそこ反省しよう。貢がれなくても捜査はしようね!
あと、確かにジャヤは守られたけど、あの前妻殺し男、きっとまた別のターゲット見つけるだけなんだろうなあ、と思うのでそこだけ腹が立つ……。



『ジョイランド わたしの願い』

このタイトルが……このタイトルがよりにもよって出てくるのがソコ、っていう……(絶句)。
キツい……。
キツすぎる……。

見終わってパンフとか世の反応とか見てると、兄嫁・ヌチとの交流を「シスターフッド」て言い方してる人が結構いて、いや、そうなのか……? と思いました。
どう言ったらいいのかな、理解はある、寄り添う心情はある、「嫁」という同じ立場での連帯感もある、でもそれ等すべて結局、「彼女が自分にとって都合の良い『弟嫁』でいてくれる範囲において」じゃないの? と思ってしまったんですよね。
大体、まだ子供がいない、そしてそれを父親含む周囲にどうかと思われている夫婦のベッドに、まだ小さい自分の子供を送り込む、て、これ日本だったらどう見ても「長男嫁の次男嫁いびり」でしょう(笑)。どう考えても「味方」、「友情」がある相手のやることではない。
とどめにあの「ハイダルが働き出したんだからアナタが仕事辞めてウチの子供とお義父さんの面倒みてね、それが当然でしょ」て態度。あれキツかった。

これ義父や義兄に言われたって大してダメージ喰らわないと思うんですよ。「この人どうせそういう人だし」て最初っから判っているし。でも「自分のことを判ってくれてると思っていた人」に言われるのは辛い。これはムムターズに対する強烈な裏切りだと思いますよ。ヌチもハイダルも。
「ああ結局そうなんだ、でも悪い人じゃないことは判ってる、自分がすべて飲み込んでいればいい関係を続けられる」的諦めを抱えた挙句、ついにあの日を迎えてしまったムムターズのこころを思うと筆舌に尽くし難い。

ハイダルはビバ(カリーナ・カプール似)とああなるまできっと自覚はなかったんだろうけど、実際はバイで、ビバに対する愛情はゲイ的それに近いものだったのだろうな。悲しいことにビバの方はそう思ってなくて、「自分の肉体性は『男』だけど、彼は『女』の自分を『異性愛の男』として好きになってくれた」と思っているけれど。すれ違いの悲劇。
後ろから挿入してほしがるハイダルを「変態!」と罵るビバが何とも言えず辛い。それは多分、ビバを含めた彼女達が何度も周囲から言われ続けていた言葉で、その度「そんなんじゃない」と内心でハネのけていたものの筈。それを他人に向けてしまう。
違うんだよ、あなた達が「変態」ではないように、ハイダルも「変態」ではないんだ。あなたがそう言われるいわれはカケラも無いように、ハイダルにもそんな風に罵られるいわれは無いんだよ。

ビバとしては「DNAはさておき自分達は男と女の恋人同士」だと思っていたのにハイダルはそうじゃなかった。むしろハイダルの性格傾向としては、家庭的なことが好きで内向きで、いつもどこか精神的に寄りかかれる、自分を受け入れて甘やかしてくれる相手が必要で、自分が「抱く」より相手に「抱かれ」たい、そういう気持ちでムムターズともビバとも接している。
それはビバのように「精神的な性が女性」であるということとは全く別で、ハイダルは「女性になりたい」とはカケラも思ってない。ただ自覚なく同性愛指向があって、かつ「受け」側で、その為に「ビバを抱く」より「ビバに抱かれたい」と思っている。だから「手術を受ける」というビバに「そのままでいい」と言ってしまう。

ハイダルの悪いところは、とことん「自分の望み」が最前線で他への配慮が無いところ。
性的指向の為にビバに「変態」と罵られるいわれは確かに無いけど、ビバの「精神が女であること」「肉体が男なことが本気で辛いこと」「早く手術して肉体的にも女になりたいこと」をあんなにはっきり見せられながら、それをオール無視して「自分のゲイ指向の相手になってほしい」という態度を見せるのは最悪です。しかも「自分の何が悪かったのか」が全く判っていない。
これはムムターズに対しても同じ。自分がこうしたい、自分側からだけの甘えが炸裂している。その挙句にビバともムムターズからもそれぞれの方法で捨てられ、手の届かない関係になってしまう。いくつもの出来事が積み重なって破滅へと至る道筋には、確かに二人だけの輝きや変え難い時間があった筈なのに。やりきれない。

ハイダルはあの後一体どうなったのか。もしもあのまま突き進んだとしても、そこには決して「ジョイランド」は無いんだよ、ハイダル。まあ突き進まずに引き返しても、あの家にはもう彼の「ジョイランド」は存在しえないとは思うけども。



『ゴンドラ』

アナタ達ゴンドラ乗務員以外の能力があまりにも高すぎじゃないですか……!?
何故こんな片田舎で安い小銭でこんな仕事をしているのか。アナタ達ならその冴え渡る技術ですごく安価ですごく速く舞台装置とかつくれそうです。どっちも鍵開けのテクまで持ってるし(笑)。
高所作業にも向いてそう。高層ビルや吊り橋の清掃・点検とか、結構な高給がもらえそうじゃないですか?(帰ってパンフを読んで知った事実・ニノ役のニニ・セナリアは「高所恐怖症」なんだそうな……けれども撮影中は誰にもそれを悟らせなかったとか。スゴい……!)

冒頭、運ばれていく棺と、それを見上げて帽子やスカーフを外して見上げる村の人達の様子に早くも涙が出そうになりました。でも直後に、戻ってきたイヴァに対してえらい冷たいのにすっと引いた。
ちなみに最初、「亡くなった乗務員の代わりに雇われた人」だと思ったんですよね。だから「よそものに冷たい閉鎖的なところのある村なのね」と考えたのですが、家に写真があったので「ああ、娘か」と気がつきました。と言うことは、何か事情があって彼女は村を捨て、それが為にあの態度なんでしょうけども、そこは細かく説明せずにこっちの想像に任せるところが良いです。
だけど「じゃああのお婆さんは母親? イヤでもそうは見えないよ?」と少し混乱しました。帰ってパンフ見て、後妻的な存在だと判ったんですが、こっちはもう少し関係性が判りやすい描写を入れて欲しかった。


すれ違う度に交わされる二人の交流があたたかくもかわいらしい。張り合いレベルが度を越していくのも楽しくて、何とも胸がほこほこします。
言葉なきやりとりでだんだんと親密度が高まっていき、肉体を伴う慕情になっていく辺りもたまらない。心臓がきゅーっときます。こんなにも「恋の始まり」「恋の深まり」「恋の成就」を言葉なく映像で顕してくれる映画もなかなか無い気がします。
協力して車椅子のお爺ちゃんを運ぶシーンや、村人達にお願いして、二人でのゴンドラでのステキなデートを盛り上げてもらうところでは涙が出ました。何があったかは知らないけれど、村人のイヴァへのわだかまりも解けたのだなぁ、というのも嬉しかった。

ただ唯一気になったのは、ボスに着替えを覗かれそうになるのをキッと睨んで扉を閉めるニノが、イヴァの着替えを隠れてじっと見つめるのはどうなのか、と……。
ロッカールームでたまたま着替えが一緒になって、ふと目に入った相手の素肌にどきんと胸が高鳴る、とかならアリだと思うんですよ。でも相手が全く気づいてないのを盗み見するのは、結局やってることとしてはボスと同じではないかと……ここは「扉が開いてるとアイツが覗くから気をつけて」と女同士助け合う場面にしてほしかった。
帰ってパンフ見たら、ライターのISOさんが同じようなことを書かれていてほっとしました。あれはやっぱり、矛盾があるよね。


三つ編み女の子が大好きな男の子がたまらんかわいい。最初、窓枠に何やらこしらえ始めた時には「何やってるんだ???」と首ひねりましたが、滑車が出てきて頬がゆるみました。
最初はけんもほろろな扱いしていた三つ編みちゃんが、グラスを奏でたりしつつだんだん仲良くなっていく姿もあいらしい。

しかし結局、あの転職レターどうなったんでしょうね?
向こうから届いた返信封筒見ただけでむちゃテンション上がってる様子を見るに、多分「落ちたら返信すら無い」んだろうと思うんですよ。てことは採用されたか、あるいは書類面接通って二次面接に進めるとか、そういう状況だと思うのですが。
まあ転職したい理由が「あのボスの下で働きたくない」だったら解消されてるから良いんですが、「ほんとにしたいのはこの仕事じゃなくてCAさん」だと、この先ふたりがどうなるのか少し不安も起きますね。

冒頭、棺の上にのっけた制服に「大丈夫か」と思ったけれど意外にすーっと進んでいって、落ちもせず到着しているのを見て「こう見えてそんな揺れないんだなあ」と感心したんですが、帰って公式サイトを見たら「風があると横揺れして怖い」と書かれていた(笑)。うん、まあそりゃそうだよね……。



『カッティ 刃物と水道管』

「お前も人から盗めば金の大切さが判るだろう!」イヤそんな判り方はヒトとしてとてもダメですよラヴィさん!
もうあまりにもムチャ理論すぎて爆笑しました。

いきなりまさかの『マッキー』ネタ。あのハエに目をつけられたら終わりだよカディル……!
しかし本当にこのサマンタという女優は魅力的だな。『ランガスタラム』の時も思いましたが(感想はこちらの記事)、表情が本当に良い。頬が豊かで、笑顔がぺらっとしてなくて、こっちのこころをまるごと飲み込んでくれるような気すらする。笑うと頬がぎゅっと盛り上がって目が細くなる感じが八代亜紀さんの笑顔にちょっと似ている、と思いました。

目先の金目当てで始めた他人のフリが、そこにいる人達のあたたかさや苦しい事情を知って「こころからのフリ」になっていく変化がとても良い。ちょっと『ジガルタンダ・ダブルX』を思い出しました(感想はこちらの記事)。最初は全く別の目的の為に始めた「偽の役割」に、いつしか魂が入って「本物以上」になっていく。
「カディル」本人を認めるお爺ちゃん達がホントにいい味出してた……。

悪役・ナローシュも良いですね。この人こういう「軽薄でキレやすい悪者」をやらせたら右に出る者がいない(笑)。
あんなに迷惑ばっかかけられて、それでもあんなに親身になってくれて危ない橋も一緒に渡ってくれるラヴィさんがいいひと過ぎた。ほんと、こんな義理堅い性格でなんで盗みなんかやっているのか(笑)。

しかし、結局最後まで解消されなくて非常に不安な気持ちになったんですが、カディルに掛けられた警官3人殺人容疑は一体どうなったのか……。
あんなん普通は死刑ですよね。しかも警官殺しだもん。
脱獄阻止した囚人お兄さんが「アイツ絶対殺ったる」言ってたのも気にかかるし。刑務所の中からああやってジーヴァの脱獄手配できるくらいなんだから、カディルが刑務所の中に戻ってきたら、こっそり武器入手して食堂とか運動場とかで殺しにかかってきそう(まあ負けないとは思うけども)。



『柔らかい殻』

初見です。
「ホラーの名作」くらいの知識で見たらば、とんでもない代物でありましたよ……。

ひとつ判らないのがあの「胎児」。パンフ見ると「腐った胎児」みたいに書かれているけども、腐ってたらあんな風にカチカチ状態で持ち運べないだろうと思うんですよ。ましてやベッドに寝かすとか。
しかも「匂い」で存在に気づいたということは、あの日まではあそこには無かった訳ですよね。どう見ても「生まれてすぐ亡くなった」のでも「死んで何日か経って腐り始めたから持ってきた」のでもないので、胎児のもともとの持ち主は一体今まであの遺体をどうしていたのか、何故急にあの場所に置こうと思ったのか。不可解。
そういう意味では「教会」が全く「教会」として機能していないのも気にかかります。20世紀半ばのアメリカの片田舎では、教会も聖職者もすごく重要な存在だと思うんですが、村の人がそれを完全に捨て去っている。そこも不可解。それでもこうして遺体をこっそり運び込む人はいる訳で、「教会」に対して何らか、すがるような思いを持つ人がいることも判る。

セスはまあ絵に描いたような「ろくでもないイヤなガキ」なんですが、そうなってもある程度までは仕方がないなと思ってしまう不憫さ。父も母も毒すぎる。やっと帰ってきた大好きなお兄ちゃんがぽっと出のヨソもの女に連れ去られると思ったら、そりゃ血眼にもなるわな。
とは言えこのドルフィン、もしかしたらセスの一番の理解者になっていたんではないかと思えるのでそこも悲しい。あのパパの雑誌さえなければなあ。

しっかしこんなど田舎をあんなキャデラックが走り回ってやりたい放題やってたら、他にももっと目撃者が出たっておかしくないと思うんですが。
ヤツ等「邪悪」を練り固めてかたちにしたような雰囲気でしたね。ちょっとスティーブン・キングみもある感じ。最初にガソリン入れに来て、セスの目線からバックミラーに映る運転手と会話する構図が完璧すぎて震えました。

それにしても何と言うか、こう、「どん詰まりの絶望しかない田舎」で生きるしかないのは本当に苦しいな。これは日本より遥かに国土の広いアメリカの方が根深い感じがします。容易に抜け出すことができない。辛い。
戻ってこざるをえなかったキャメロンの絶望、そこで見つけた希望、だがそれは虚しく奪われ、更には見ているこちら側にははっきり判る、この先の彼の破滅の運命。「美しい島」何という皮肉か。やはり辛い。



『24』

インドの鳥の羽根スゴくない……!?
ミラクルパワーもすごいし、たった一本の羽根で病院を焼きにかかるのもすごい。鳥恐るべし。

タイムトラベルものなんですが、インド映画とは思えないくらいに伏線やその回収がきっちりしていました(笑)。「あー、あのシーン、この為か」とか「ああ、ここでこう展開する為にあの会話があったのね」とか。
でも肝心のタイムマシンである腕時計の技術や完成にいたる道は、「なんやよう判らんけどウルトラスーパー天才科学者の頭脳とインドのネイチュアミラクルパワーの融合」で済まされてるのがさすがインド映画(笑笑)。更には「時計だから24時間尺でしか作動できないよ問題」を「カレンダーつけたから!」で解決できる力技。大好きです。

特にタイムトラベルものにつきまとう『夏への扉』的パラドックス問題を、こういうかたちで解決してくれるとは思いませんでした。そうか、記憶だけが戻るのか……えっ、じゃあ赤ちゃんやん、どうすんの!? と焦りましたがまさかの解決。さすが天才科学者、賢すぎるわ……!
だがしかし主人公、「母上」を大事にするのはいいが、時計屋のお隣の幼なじみは人生からスッパリ切り捨てちゃっていいのね(笑)。

それにしても謎なのは、アートレーヤはなんであんなに双子の弟を恨んでいるのか。あの感じからするに、二人の生家はそれなりに裕福だったんだろうと思うんですよ。で、かなりの学もつけさせてもらっている様子。なのに何故こんなにも道が分かれた。
なかなかねえ、自分と同じ顔の相手を躊躇なく撃てるというのは。キミの人生に一体何があった、アートレーヤ。それにしてもスーリヤは本当に上手いな。三人が同じ顔なのに本当に別人に見えました。

ミトラさんがもう異様なまでにご主人思いで、最後はなんか切なくすらなった。あんなに尽くしてもご主人様には全く気にかけてもらえないのね……人事不省になって26年経ったら、普通どんな組織のトップでももうすっかり見捨てられてるだろうに、ずーっと献身的に面倒みてきたんだろうなあ。かわいそうなミトラさん……。

上の『カッティ』に続き、ヒロイン演じるサマンタ、やっぱりかわいい。
小切手のサインで一瞬で悪を見抜くところが凄くて、でもそれはいくら何でもおまぬけすぎるだろうアートレーヤ、とも思いました(笑)。



『五日物語 3つの王国と3人の女』

全然知らない映画でしたが、このワンショットだけで見に行くと決めました。完璧すぎる。

う つ く し い …… !

そして見終わって、帰宅して即DVD(でも本音を言えばBlu-rayを出してほしい)とパンフレットをネット買いし、図書館で『ペンタメローネ』を予約しました(笑)。
いやあ、良かった……!

まずコスチュームプレイものが非常に好きなんですよ。眺めているだけでしあわせ。
もう本当に眼福でした。特にサルマ・ハエック素晴らしすぎじゃないですか……?
あの脳に下半身が詰まってる王様(←言い方)、王の葬式に来てるんだから顔見てるだろうに、よく口説かずに済んでるな……あのバカっぷりなら、他国の王妃だろうがお構いなしに口説きに行きそうなのに。それともアレか、バカだから若さにしか興味が無いのか(←言い方)。

その昔、「現在知られている『おとぎ話』の原型は結構怖い話なんだよ」的紹介本が流行ったことがありましたが、まさにその「怖い原型」そのまんま。報いは多少ないこともないけど、教訓的なものは無し。良い行いには良い結果が、悪い行いには悪い結果が、とはならないので、話がどう落ちるのかが見ていて全然判らない。面白かったです。

……とは言え、鬼に連れ去られたお姫様を純粋な善意で助けた旅の一座が全員殺られた途端に、お姫様がいともあっさり鬼のクビ掻っ切る姿には唖然としました。アナタそれ今までのふたりきりの時間にいくらでも殺れたよね……?(まあ事態がここまで進んだ挙句の覚醒、てことなんでしょうけども)

さすが昔のおとぎ話は容赦がないなあ、と思いながら後に『ペンタメローネ』で該当の話を読んだら、こっちはそれぞれ「特技」を持った救出者達(ひと吹きで巨大嵐を起こせる、みたいな系)が鬼をやっつけ、全員無事に母国へ戻ってました。
となると「なんだ昔のお話の方が穏やかね」と思ってしまいそうになりますが、そもそものきっかけをつくった「巨大ノミ」に対して、原作の王様は一切の情愛なくさっくり殺して皮はいでるのでどっちもどっちの残酷さでした(笑)。
巨大ノミ、第二形態が結構あいらしかった。



『JAWAN/ジャワーン』

アレがああなってこうなって30年後、てことはアーザード、あなたギリ20代の可能性もあるってこと!?? → シャールクカーン59歳

まあこれはほんと、シャールクだから許される離れ業であろう。顔が若く見える、てだけでなく、動きが若い。それにちょっとフェイスラインがシャープになってる気がするので、若者役を演じるにあたり少し絞ったのかなとも思うし。逆に腕や胸板は太さを増していて、それも若者らしいので、本当にこの人どこまでストイックなんだ、とつくづく感心します。

五変化の内だと仮面つけてるヤツがやたら格好良くないですか? ちょっと『オペラ座の怪人』風味がある。
そしてほぼ実年齢であるパパのモードは『帝王カバーリ』の時のラジニみがある(そういえばつるっぱげモードの時は『ボス その男シヴァージ』のラジニを思い出しました)。喋り方を年寄りっぽくしてるのも良し。後遺症のせいでファンタジー界に生きてる雰囲気の時と、記憶を取り戻した時の目の光が全然違うのが本当に上手いです。
この老若ツーパターンのシャールクがたっぷり堪能できるのが最高でした。眼福。

ナルマダ役のナヤンターラ、『チャンドラムキ』の人だったのか!
全然気づきませんでした。すごく綺麗になってる、というのもともかくも、『チャンドラムキ』では正直あまり存在感が無くて(正確に言うとチャンドラムキ=ジョティカさんの存在感が主役のラジニすら消し去るレベルで極強だった(笑))。
まなざしにゆらぎか無くて、すごく強い。ナルマダの生き方と姿がぴったり一致してる感じ。ステキです。

それにしてもカーヴェリ母さんはこの流れからしてアーザードがやってることを知ってる筈なんだけど、こんな最中にナニのんきに見合いのセッティングをしまくっているのか(笑)。そんな場合ではなかろうがい。
この突然の「見合いシーン」はいきなりすぎてしばらく頭がついていけませんでした。何か作戦に必要があってやっているのか?? とすら思ってしまった。

ダンスシーンでシャールクと全く同じ格好をした謎のダンサーが出てきて、「何だろう、インド映画ダンスで時々出てくる『話に関係ないプロダンサー』かな? でも男性って珍しいな??」と思っていたら、後でパンフ見て「監督本人」と知り膝が砕けました(笑)。イヤいくら何でもやり過ぎじゃないアトリー監督? 楽しみ過ぎですよ。

要所要所に他の映画への言及があるのがインド映画好き心をくすぐられて良いですね。「バーフバリ」とか「チャイヤ・チャイヤ(『ディル・セ 心から』での最高の電車ダンス)」とか。嬉しくなるな。



『不思議の国のシドニ』

いくら幽霊だとはいえ! 畳の上に!! 土足であがらない!!!

……と言ってはみましたが実はこちら完全別撮りなんだそうです。パンフで見てびっくりしました。アントワーヌ撮影、全部ベルリンなんですって。日本ですらないのね。
エンドロールに「ドイツロケチーム」クレジットがあって、「ドイツ? そんなシーンあった??」と首ひねったんですが、そうか、この為だったか。
しかし、映像の質が明らかに違うので「別撮りかな?」と思いつつも、見ている最中は確信が持てませんでした。だって二人ともあまりに自然すぎるんだもの!! 
アントワーヌ役のアウグスト・ディールもシドニ役のイザベル・ユペールもすんごくないですか? 目線や動作の先に実は誰もいないなんて信じられない。ちゃんと「ふたりのやりとり」になっている。プロの役者ってすごいね……。

この旦那さん幽霊の最初の登場の仕方がえも言われぬ程好き。映像ならではですよね。シドニがガタつきながらはっと息を呑む姿が実にリアル。これが「別撮りでその場には誰もいない」なんて信じられないですよ。本当に俳優って凄いわ。

それにしてもシドニさんの日本旅行日程は謎だらけだと思いました(笑)。なんだこの謎ルート。奈良に行って日帰りで戻ってきて京都に泊まってまた奈良に行って泊まるな(笑笑)。
タクシーでの移動中に車窓から見える眺めも本当に謎だった。イヤここからあそこに行くのに何故この道をこの方向に走る……?
と思っていたら、パンフによると、車窓風景はすべて合成なんだそうです。ロケ中に実際に撮った車窓からの映像を組み合わせたんだそうな。
それはそれでまあ確かに夢の中のような効果は出せてるんでしょうが、こう、「いいとこ取り」みたいな感もちょっと覚えます。やっぱりフランス人から見た日本はまだまだ「謎の国」「おとぎの国」なんだな。
本当に「幻想的なこと」は、「美しく夢まぼろしにすら見える眺めと、それ等の間に存在するごちゃごちゃしたどうということもない普通の眺め」とが繋がっているところにこそあるように思うのですが。

伊原剛志が素晴らしく良かった。声と体格が良いからもあるのかな、何と言うか「塊感」があって、そのぬっとした存在感が、上に書いたようなシドニをはじめ欧米の人が多く抱いているであろう日本という国への「謎感覚」を体現しているみたいに見える。禅の雰囲気があると言うか。

でも「えっ、やることやっちゃうのか」とちょっと驚きました。この辺はさすがおフランス映画というか。
これ日本なら、多分やらないんじゃないかな。タクシーの中でそっと手を繋ぐくらいで、それ以上のことは、別れの時に恋愛の情を込めたハグかせいぜいキス程度で終わらせるんじゃないか。
日本の観客はフランスのそれよりもキャラクターが不倫することへの嫌悪感が強い人が多いのはあるけど、それよりも更に、「それを言っちゃあおしまいよ」と言うか、「寸止めの美意識」みたいなものを持つ人が日本人には多いと思うんですよね(なお「自分自身や他人の行動に対して」ではなく、物語などの「フィクションに対して抱く感覚」です、念の為)。「気持ちは通じ合っててお互いそれも判ってるじゃん、なら二人のこの先の淡い気配だけ見せて終わる方が綺麗なのに」て。

だがしかし深い事情は判らないながら、ちらっと見えたあのLINEの画面だけの内容で推測するに、奥さんが冷淡になってる原因はあなたにあるんじゃないの溝口さん、と思った(笑)。
結婚して「身内」になった途端に急に相手の扱いがぞんざいになる人いますが、そういうタイプな気がする。「他人」である内は現在の「身内」をないがしろにしてでも「他人」に尽くすけど、もしも奥さんと別れて新しい相手と結婚したら、その途端そっちが「身内」になって急に放ったらかしになる人。気をつけろよシドニ(笑)。


……でも「本当に大事なひと」の面影や思い出をずうっと大事に生きていくのも、それはそれで、そこまで悪いことでもないんじゃないの、とも思いました。
それを「手放すべき時に手放す」のは確かに難しくて辛く苦しいことだけれども、「持ち続けている自分」で苦しくも辛くもないなら、抱えたまんまでも良いんじゃないかなぁ。



『侍タイムスリッパー』

「だが、今日がその日ではない」
うむ……。

「福本清三に捧ぐ」てクレジットでもう涙腺が決壊しましたよね……。
殺陣の指導役に本当は福本さんを想定されていたそうで、それすごく見たかったなぁ……イヤ峰蘭太郎さんも素晴らしかったし、随所随所に福本さんへの尊敬と愛情が透けて見えるようで、そこもすんごく良かったですけども。
「一所懸命やっていれば、どこかで誰かが見ていてくれる」うん(涙)。

吉本新喜劇的ギャグなど、ちょっと芝居がカリカチュアに過ぎるところもありましたが、全般的に良かった。上の福本さんオマージュも含め、全体的に「時代劇愛」「映画愛」に満ち溢れてるおかげかと。
主要人物である高坂新左衛門・風見恭一郎役に芝居上手を配置してるのも良かった。この二人のずっしり感で、ともすれば浮きそうになるものをぐっと抑え込めたように思います。
田村ツトム演じる錦京太郎も良かった。一シーン終わって去り際の「飲みに行くで!」のフェイントの動き、最高。大好き。真似したい(笑)。

命を賭けてまで自分が身を投じていたものが突然に奪い去られ、すべてが無意味だったと気づかされた後の人生をどう生きるか、辛いよね(まあ「ここは未来だ」て判った後に「幕末後の会津藩」について新左衛門があの時まで全く調べずにいた、というのは無理があるなとは思うけども)。
ちょっと「玉音放送」以後とも似ているなと思いました。あの瞬間に、それまでやってきたことは全部無意味で、何なら罪とさえ言われて、この瞬間からかつて「敵」だと思っていた相手と殺し合わずに仲良く日の下を歩けと言われる。
新左衛門達は真剣による「けじめ」を果たすことでその懊悩と決別できた訳だけど、そういうことができずに狭間に取り残された人達もいたのだろうな。今世界のあちこちで起きている戦いや停戦の試みでは、そういう人達が少しでも少なくなりますように。

ケーキ食べて「こんなにも美味しいものが当たり前に食べられるなんて」と感激するところが本当に良かった。これもひとつの昇華のあり方だよね。自分も含めて、多くの人が犠牲になりながら築き上げた世界が、こんなに素晴らしいものになっていたなんて。
石井好子氏のエッセイ(多分『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』だったと思うけどちょと自信なし)に、「昔の卵は今の卵より美味しかった」「でも昔の卵は高価で贅沢品で貧しい人の口には入らなかった、今は安く誰でも食べられる、それを思えばどっちが良いだのと簡単に言うものではない」的な記述があって誇張無しに涙が出たことを思い出しました。そうなんだよ、「大衆化の損失」を言い募る人は多いけど、「昔は特別だったものを誰もが楽しめる時代になった」てのは、それはそれでやっぱり、多くの人々が努力で勝ち取ってきた成果なんだよね。

ヒロイン・沙倉ゆうのが撮影当時44歳頃と聞いて衝撃を受けた。イヤどう見てもまだまだ下働きのアラサー(それも二十代寄り)じゃない!??
「まあくっついたら嬉しいっちゃ嬉しいけど歳の差が……」とか思ってたのに、新左衛門の中身の山口馬木也と6歳しか違わなかった。全然歳の差じゃ無かった!
彼女、声がすごく良いですよね。パキっとしていてよく響いて、でもいわゆる「キンキン声」ではない。素敵な役者さんです。

それにしても、絶対どこかでは出てくると期待していた「初ウォシュレットの衝撃」がなかったのがちょっぴり残念(笑)。全くの未経験でオトナになって初めてあれに出逢ったら、現代人でも「うひょオ!???」てなること確実だし、まして幕末の侍をや。あの生真面目な新左衛門の洋式トイレリアクションが本当に見たかった。



まとめ

今回は本当にすっかり遅くなってしまった。猛省しています。
12月から何だかいろいろバタバタしていて、まとまった時間が上手く取れず、見るだけ見て感想を書かずに溜め込んでしまってた。いけませんな。
2025年はもっとちゃんとします(的なことを毎年言っているような気もするが)。

2024年の白眉はやはりこれ、『ジガルタンダ・ダブルX』かな。それから『エストニアの聖なるカンフーマスター』。次点で『ゴンドラ』と『ゴースト・トロピック』(感想こちら)。

良い映画には良い音楽が必ず付いているな、という気持ちを新たにした一年でもありました。サブスクやダウンロード買いが通常運転となっている昨今ですが、やはり板で欲しいんだよ、板で……!(確実な物理存在として持ちたい所有欲もあるけど、歌詞(和訳含む)やライナーノーツの存在も板で欲しい大事な理由であります)
 
 
 


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