2024年4〜6月を振り返る ・ 映画版
そんな訳で2024年の4〜6月に映画館で観た映画の感想。並びは観た順。
観たこと前提でネタを割っているので、未見の方は読まれる際にご注意ください。
今までの他映画感想はこちら↓から。
『プロスペローの本』
(以下タイトル後に(グ)の記載ある作品は『ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師』作品)
ボカシ無かった……!(笑)
いやあボケていない画面っていいですね。本当にすっきりした。別にエロ描写でも何でもないんだから、ホントこれ神経質に隠す方が逆に目がいってしまって本末転倒だったもの。良かった。
ちびエアリアルがぶらんこ乗ってるシーンで股間に付けられたホースもばっちり見えました(笑笑)。
つくづくと画面すべてが美しい。ワダ・エミの衣装が素晴らし過ぎる。マントの色がさーっと変わっていくところ、胸がぎゅうっとなる劇的さ。
物語すべてを操るサー・ジョン・ギールグッドの朗々たる声よ!
話自体はもうまんま『テンペスト』なんで、特にどうということはない。自分の意思など殆ど無さそうなミランダとか血筋で貴賤を定められ蔑まれるキャリバンとか、現代の目で見たら「むう」となる点はいくつもあれど、そこはいい。だってシェイクスピア劇だもの。そこを掘り下げるのは他の人が他の場所でやってくだされば良いです。この過剰なまでの彩りと絢爛さに満ち満ちた映像美、それだけでこの映画は充分。
ぽちゃん、ぽちゃん、と本や装身具をひとつひとつ水に捨てていく場面が大好き。美しく物悲しく、同時にかすかな希望をうかがわせる。
どの本も本当に素敵だけれど、一冊だけあげる、と言われたらやっぱり建築の本かなあ。飛び出す仕掛け絵本みたいなヤツ。水の本もいいなあと思うけど、適当に置いてたら部屋がびしょびしょになりそうです。
なお、「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」についての記事はこちらから。
『ZOO』の感想はこちらの記事にあります。
『ヴィクラムとヴェーダ』
ABCの選択肢がどれもエゲツなさすぎる。日本のヤクザよりコワいぞインド警察。
インド映画ってお酒やタバコ、動物虐待の描写に厳しくて、画面に映ると「タバコは健康に悪いですよ」とか「実際の動物は虐待されてませんよ」みたいな文字バナーが画面の端によく出てくるんですが、何故か人VS人の暴力はどこまでもオッケーなのがとても不思議です(笑)。
見終わって振り返ってみるに、一番迷惑こうむってるのはヴィクラムのとこの新入りさんではないでしょうか(笑)。こんな部署に配属さえされなければ、公務員として安定した人生を送れただろうに……お気の毒様です。
残念なことにタミル語版が観られなかったのですが、ヴェーダってかなり難しい役だと思うのにリティクが見事にこなしていて、「この人以外にヴェーダができるのか……?」とつい思ってしまった。ああ、タミル語版が観たいよー。
ヴェーダの弟くんが良い子過ぎてなぁ……(涙)。
しかしヴェーダって結構聡明な人だと思うのに、なんでバブルーを傍に置き続けたんだろう?
それにしてもイイ終わり方だなあ。好き。
ちょっと今は無き劇団、惑星ピスタチオの『ナイフ』などを思い出しました。ここまでは彼等が二人でそれぞれに奏でた「過去の物語」、けれどこの先の物語は二人だけのもので、それがどうなるのかは観客側は永遠に知ることができない。けれど知り得ないが為に、その物語はわたし達に託されたのだとも言える。すべてを知った後、わたし達はこの二人のどちらを「正」とし「悪」とするのか?
ヴィクラム夫妻のラブラブっぷりと互いを尊重してる様子がとても良かった。「出会い〜結婚」を描いた曲がすごく好き。ここでラブダンスあるかなと思ったけどありませんでしたね。
この映画でのダンスはなんと言ってもこれ、『Alcoholia』でしょう。「OH〜」リティクのこのノリノリっぷり!
『屍鬼二十五話』図書館にあったので思わず借りて読んでしまいました。映画の内容とは全然関係なかったけど、毎回毎回律儀に死体を回収しに行って、一方的に喋られて正解を出さねばならない王様が非常に大変だなと思いました(笑)。
『英国式庭園殺人事件』(グ)
冒頭の軽口のゴシップに物語のすべてが示唆されている。庭を設計する、つまりその館の根底をつくりあげ、秘密の隅々までを知り抜いた男は生きてそこを出ることはできない。
男が本当にどいつもこいつも(笑)。
とは言え、「17世紀のイギリス」で女性が自らの財産と生活を守って生き抜く為には、そんな男共から種を奪い取らなければならない。苦しく皮肉ではあるものの、このしたたかな母娘の巧みな罠よ。
彼女達の手に乗せられて、真の犯人が誰かを知りながら、それぞれの欲と自分達を守る為に画家に罪をなすりつけ自ら手を汚していく男達。「証拠」の絵をすべて燃やして、何にも無かったことになる。すべてを見ていた「庭のオブジェ」は、貴族にとってヒトにあらずが為に放置されたまま。
「俺がこの館のすべてを手玉にとってんだ」と大得意だったネヴィルさん、お気の毒ではあるものの一種自業自得。あれだけ様々なものを絵に散りばめながら、その奥に潜むものを見通せなかったのだから。
サラの腹から生まれるのは息子かな、娘かな。なんとなくだけど娘な気がする。そしてタルマンの甥っ子と結ばれ、でも結局「種」は外からまた仕入れるのではないか。タルマン本人もうかうかしてられないね。堀にうっかり落っこちないように。
1991年に公開された、これが自分の人生初のグリーナウェイ映画。もうあっさりやられました。大好きです。
この好き加減はナイマンの音楽もあってのもの。比較的明るく軽やかな始まりから、ラストに向けてどんどん重たくなっていく。ヘンリー・パーセルの曲が元ネタになってるんですが、ナイマンアレンジがたまらなく良い。
特にこの曲、『Bravura In The Face Of Grief』が本当に好き。開始30秒辺りから管楽器で奏でられるフレーズが、楽器を変えて繰り返されながら様々な音が絡んでいく。1分15秒くらいから管楽器で一番上に乗るメロディが胸にぎゅっとくる。中でも2分20秒くらいからのメロディがたまらない。
『数に溺れて』(グ)
今回もやはりすべての数字を発見はできなかった……!
口惜しいな。絶対どこかに出てきてはいる筈なのだから、何度でも挑戦したい。その為に何度でもスクリーンにかけてもらいたい映画です。
大シシー(大方斐紗子似)の殺人シーンが一番切ない。すうっと流れ落ちる涙。三人は三人共に殺人の後に涙を流すんだけど、彼女のそれが一番胸を打った。おそらくは長年耐えてきただろうに、何が彼女を決壊させたのか。
中シシー(筒井真理子似)の殺人もそれはそれで、胸の底がひんやりするような哀しみがある。だがしかしそもそも旦那、キミ自分が泳ぎに向いてないことを知ろう(笑)。
三人目の旦那がある意味一番とばっちり。小シシー(驚くことに役者さんが歳を重ねた現在、母親役のジュリエット・スティーブンソンにかなり似てきている)はやはりまだ若いだけあって、大シシーや中シシー程にタフではないのね。マジェット(吉田鋼太郎似)への対応も未熟感が。
きっとお腹の中の子は女の子で、また「シシー」と名付けられるのだろうな。万一男だったら「スマット」か。
スマット、本当に好き。彼を受け入れているあの世界も好き。それを粉々にしたならず者共が憎い。最後の花火は切なくて涙が出る。シシー達も泣くだろうなあ。
彼女達はいつも何かを数えている。そうすることで、世界の秘密を自分達の中に取り込めるように。自分達の秘密を世界に漏らしてしまわないように。
隅々まで計算し尽くされた画面が美しい。森の緑や海の波まで人工物めいている。すべてが計算の下、数という力の元にひざまづいているかのようだ。
それにひきかえ、シシー達の隣にいる夫達は皆どこかいびつで醜い。はみだしている。複雑で美しく規則正しいモザイク模様を、明らかに乱している。
彼等をこの世界に組み込むには、「溺れされる」しかない。
世界はいつか、彼女達の魔法で支配される。その秘密を追う者達ですら、いつしか数の世界に取り込まれている。だから連中は彼女達にとって敵ではない。むしろ、モザイクを美しくする為の飾りだ。
けれども検死官の男は最後にそこから逃げ出そうとした。彼女達とよく似た、数と死の魔法使いである息子を持ちながら、「魔法」ではない「力」で彼女達を征服しようと試みてしまった。
だが彼は土壇場で再び気がついた。この世界には既に魔法がかかっていることに。三人の魔女のゲームの成就の為、最後の生け贄として自分が「溺れる」のが必要だということに。
水はいつも女のものだ。そして数もやはり女の中にある。
それに「溺れる」のは男だけだ。
何かを数えている間だけ、わたし達は世界を支配することができる。
そしてカウントする、その間だけ、わたし達は死への歩みを正しく認識することができる。
『DUNE 砂の惑星2』
ハルコンネン男爵にはもうちょっと浮いてもらいたかった……。
あの入浴、黒い入浴剤を入れたお湯につかってるのでなく、男爵からにじみ出た男爵老廃物で汚れてああなったとしか思えない(笑)。血縁設定を入れてしまったので、「歳をとったらティモシー・シャラメもこうなるのか……」と想像すると戦慄を禁じ得ません。
原作未読で、リンチ版の『DUNE 砂の惑星』しか見ていないんですが(リンチ版も好き)、あれと同じところまでこの『2』できたんですね。この先の物語が見られることが楽しみ。
しかしポールよ、「地位の為にそこの初対面の女を嫁にするけど、愛してるのはキミだから!」はたとえ舞台が砂の惑星と言えどそうはいきませんよ(笑)。うん、そりゃそうだチャニ、そこは去って良し。
英雄ものって、英雄が英雄になっていく程個性がなくなっていくと言うか、何考えてんだかよく判らない人になっていくんですが、ポールもだんだんとその域に達しつつある。この先、チャニと一体どうなっていくのか。
ラクに済ませようとすれば皇帝娘が「自分の立場は判ってる、かたちだけの結びつきでOK」とあっさり身をひくのでしょうが、何せ務めるはフローレンス・ピュー(笑)。絶対そんなきれいごとでは終わらない筈。ゼンディヤとピューのバチバチバトル、楽しみすぎます。
ひとつ謎と言うか「えっ?」となったのが、「砂漠にひとりで出て夜をすごせ」て試練を命じられたのに、テスト受けてる描写がなくあっさり終了してたこと。
「幻覚に気をつけろ」みたいなこと言ってたので、幻と戦って(精神的に)乗り越えてひと皮むける描写が出てくるのかと思ったのですが。そこをやらないのなら、あの「試練受けてこい」シーン何の為に入れたんだろう??(その後のチャニとのラブラブは、別に試練とは関係なく入れられるシーンだと思うし)
しかし続きはいつ見られるんだろう? あまり間は空けないでほしいなー。
『インフィニティ・プール』
イヤ遺灰は持って帰って要りませんよ!!!(しかも結局3個)
リゾートで海外に行く時にはふるまいにいっそう気をつけよう、と固く思いました。地元の人とは仲良く。お酒は飲まないぞ。イヤ目の前で開封されたお酒ならいいかな? 酒は飲んでも飲まれるな。
自分がエムパパなら、「だから作家なんぞと結婚するなと言っただろう」とコンコンと説教してしまいそうです。エムさんの不運さが極まっている。
あらすじ見ないで行ったので、現地の人をはねた時点で「同時期に『召喚』されてる島の霊に呪われるオカルト系か」「あるいは島の住民に復讐されるサスペンス系か」とスティーブン・キング的展開を想像しましたが、全然違った。もう全然違った。予想の外過ぎた(笑)。好き。
ミア・ゴスの暴れん坊っぷりときたら……。
しかしあの「処刑」、本人が見に来てたら処刑担当の遺族さんとしては「は!?」てならないんでしょうか? 死ぬのはクローンで当人は罪から逃亡、てのは、現地住民としては、島外の連中だけでなく地元警察や政府に対しても余計な敵愾心を持っちゃうのでは??
まあ観客に与える衝撃としては直に見てる方が良いんだろうけど、マジックミラーの中から見てる、とかの方がひっかかりなく鑑賞できたようにも思う。
クローネンバーグ息子、1作目『アンチヴァイラル』から2作目『ポゼッサー』までに結構な年数が空いたので、次はまたかなり先かと思っていたら早くてびっくり(『ポゼッサー』の感想はこちらの記事にあります)。2作目売れたのかな。グロさとエロさがどんどん上がっていきますね。
かなり攻めた脱ぎっぶりだと思っていたら、エンドロールに結構な人数のボディダブルクレジットがあったので、ご乱行シーンとかはほぼ別人なのかな??
どうもアメリカでの公開時にものいいがついたみたいで、監督自ら再編集してマイルドに抑えたらしいです。それでコレなら、編集前はどんなカーニバルっぷりだったのか(笑)。Blu-ray特典とかにつけてくれたら手を出してしまいそう。
3作の中ではこれが一番好き。次作が楽しみです。
『ゴッドランド』
まさかの犬映画……!
イヤもうこれは本当に予想しませんでした。ちゃんと予告も見てどういうあらすじかを理解して「この先の話の進み方はある程度判っているぞ」「重たい映画だぞ」という気持ちで臨んだのですが、まさかこんなにもラブリーわんこさんムービーだとは想像だにしなかった。
アイスランドシープドッグだそうです。映画の中では雑に「イヌ」と呼ばれてましたが、本名は「Svanavatns Jökull Darri」。読めぬ。
血統書付きの女の子。https://www.dif.is/hundarnir/hundar_grunnur_einstaklingur.php?id=110004
もうこの子がふっかふかのもっふもふで人なつっこくてはしゃぎまくりでかわいいのなんのって。
前半、すごく過酷な土地ですごく過酷な旅をして、主人公がどんどん心砕かれていく描写なのに、この子が画面に出てくるだけで「ワァ……」て気持ちになって峻烈さが削がれる(笑)。日中どれだけ過酷な旅をしていても、夜にこの子が毛布に潜り込んできて、朝にお顔ぺろぺろして起こしてくれたら「いい旅じゃん……」と思ってしまう(笑笑)。
過酷道中と言えば、目的地に到着してお食事中に、カールに「船で来ればあっという間なのに、なんでわざわざあんなルートを?」て聞かれた時、一瞬ルーカスが固まりましたよね。
パンフでは「ルーカスが敢えて難路を選んだ」て書いてる解説の方がいましたが、あの間を見るに、「あっさり着ける別ルートがある」てことをルーカス知らなかったんではないかしら。
冒頭、「厳しい環境だが現地の連中と共に乗り越えて適応しろ」的なことをデンマークの教会のお爺ちゃんが言ってたし、わざと難ルートを行かされたのじゃないか。ラグナル、実はデンマーク語も判るのだから、事前に「難路を遠回りさせるぞ」てちゃんと話がついてたんだろう。そうでなければ、地理にも気候にも精通してるラグナルが「あそこに行くなら船で行きゃラクじゃん、荷物もたくさん積めるし」て言うシーンがないのはおかしい。そりゃあんなしんどいルート行かされるなら「デンマークの悪魔め」くらい言うわ。
それで通訳の人が命を落とすとは、教会のお爺ちゃんもまさか思ってなかったんだろうなあ。いくら自然が厳しいとは言え、ラグナルの言葉に従って進んでたら誰も死なずにつけた筈だもの。
それにしても全くの偶然ではあるものの、『インフィニティ・プール』を観た後にこれを観る流れよ。外から乗り込んできた「自分を上位と思うよそもの」が現地の人をないがしろにする姿は見ていてつくづくキツい。
ラグナルのあの「祈ってくれ」という幾つもの懺悔に涙が出そうになった。この物語の中で、あれが一番「神への祈り」に近かった。ルーカスやルーカス上司のような「聖職者」の言葉ではなく。
多分、もともと彼の中にあった「神への愛情」「神への畏れ」が、あの旅と教会を建てる間にどんどん醸成されていったのだと思います。それは確かに「ルーカスを通して」で、あの瞬間、彼は間違いなくルーカスに対して自分の腹をかっさばいて腑まで惜しげなく見せていた。そして「こんな自分の為に祈ってくれ」と懇願していた。
彼が馬を殺したのって、「ルーカスに帰ってほしくなかった」からなんじゃないかと。
ルーカスはあくまで「教会をつくる為に派遣された人」なので、出来上がったら帰っちゃうんじゃないかと思ったのでは。アイスランドに教会をつくるのは、もともと現地のデンマーク人達の希望だったそうなので、出来上がったら現地デンマーク人の聖職者が派遣されてくるのだろうし。
相棒だった馬が死んで帰路への気力が失われて、カールの長女と結ばれて(ルーテル派は妻帯OK)ずっとこの土地に根付いてくれたら、と思っていたのではないかしらん。
教会が完成してからルーカス死亡までのスリルと疾走感と、その後の悠々たる時間の流れとの差が凄い。雪が積もってわずかにそこがこんもりしてるのにぞくぞくしました。ひとつひとつの生物の営みははかないな。アイスランド、本当に美しい国だ。
アスペクト比1.33:1という、ほぼ正方形に近いスタンダードサイズの画面が良かった。実際、画面がどれだけ横にワイドになろうとも、見てる側のピントが合う範囲、はっきり脳が「見てる」と認識できる範囲って結構狭いんですよね。そのサイズにぴったり合ってる感じ。どれだけ世界が広くて雄大でも、人間が「注意を配って見ていられる範囲」って結構狭い。生物学的視野においても、この映画の中でそれぞれのキャラが持つ人格的視野においても。
それにしても「朝のラグナル体操」が面白すぎた。通しで全部見たい。
イーダの馬の扱いが上手すぎて(馬だけに)感心してたら、「将来の夢は馬の調教師」なのね。監督の娘さんなのか。成程かわいく撮られてる訳です。特にルーカスが写真の為にポーズ取らせようとするシーン、ルーカスの性格考えたらキレてもおかしくない気がするけど、笑ってるものね。画面にパパの愛があふれてるなぁ。
これと最初の方で犬に起こされる場面だけが、ルーカスが「心からの笑顔」を浮かべてるように見える。どうしてこうなってしまったのか。哀しいものです。
『デ ジャ ヴュ』
イヤほいほい女性とコトに至りますねクリストフさん……!
まあなあ、もし道ですれ違ったら振り返ってしまうレベルのイケメンだからなあ、女性達の気持ちも判らぬではないが。しかし。だがしかし。
ニナさんがイイ女なだけに、ちょっと微妙なお気持ちに。
しかし映画そのものは本当に素晴らしかった。始まって割とすぐに、「あ、クリストフがイェナチェを殺る羽目になるのね」というのは予想がついてしまうんですが、先が読めてしまうことは決して「駄作」とイコールではない。判っていて、そこにどう追い込まれていくかが本当に見ていて面白いです。ポケットの中から鈴が出てくるくだりはぞくぞくします。
それにしてもキャロル・ブーケがもうえも言われぬ程美しい。電車でのすれ違いシーンは、「生涯に残る映画の名シーン」のひとつに間違いなく成り得ます。まなざしだけで男のこころを完全に取り込むファム・ファタルっぷりよ。
わたしこの人、『バンカー・パレス・ホテル』が最高に好きです。
ラスト、良いですね。戻ってきちゃうんだな。スティグマのように。
『季節のはざまで』
「子供でいることは難しいでしょう?」
「子供だったことがあるの?」
「無いわ。私は氷の女王だったから」
もうたまらなく好き。すべてが好きです。
この美しいリマスター映像でBlu-ray化してほしい。サントラも復活希望。どうしても無理なら配信でもいい。すべての曲が好きすぎる。
タイトルは『季節のはざまで』で原題も同じなんだけど、「季節感」的なものはあんまり無く、主人公一家の上下移動が季節の移り変わりを一番強く現していたのも良かった。本当に素敵なおじいちゃんおばあちゃんだわ。
こういう「中年オトナが子供時代の幸福で特別な日々を振り返る」作品は世界中に星の数程ありますが、大抵「回想モードに入り込むに至った現在の本人の状況」がきちんと描写されるのですよね。で、それがほぼ「今の状況に何か不満や不幸があって辛い、そんな時に過去の日々を明瞭に思い出し勇気を与えられ再起する」という流れになる。
けれどもこの映画は「現在の本人」についてほぼ解説しません。今何の仕事をしてるのか、誰と暮らしてるのか、過去の場であるホテルを出た後どうすごしてきたのか。
だがそれが良い。「あ、それ無くても全然いいんだな」とはっきり判りました。そういうしんどさとか一切ナシに、ただただ過去の幸福な時間と、今のがらんとしたホテルの、祭りの後のものさびしさをじんわり味わうだけで充分に素晴らしい。ラスト、窓の外に現れた海にリロの歌声がかぶさるところで涙腺が決壊しました。
もうこのリロ、イングリット・カーフェンが素晴らしすぎる。全然知らなかった。もっと早く知りたかった。
子供主人公との冒頭の会話で胸が撃ち抜かれました。マックスとのコンビも本当に良い。
サラ・ベルナールを演じたマリサ・パレデスがサラ・ベルナールすぎてびっくりした。アリエル・ドンバールの美しさと小悪魔さ、自分が男で子供時代に遭遇してたら、確実にその後の生涯の性癖をわし掴みにされると思いました(笑)。
しかしパンフで「『山の上のホテル』だから海なんか見えない(だからあれはイメージの海である)」てなことを言われてる方が複数いて、まあ確かにあの見え方は無いだろうと思うのでこの映画ではそうなんでしょうが、現実として「海が見える山の上のホテル」てフツーに存在しますよね? 日本なら神戸とか長崎とか熱海とか、海辺からすぐにきゅっと立ち上がった地形であれば、「山の上のホテル」でも普通に海は見えると思うのですが。
『タイガー 裏切りのスパイ』
シャールクかっこいいっっ……!!←そっちか
イヤでも本当、何ですかこの存在感。テーマソング(笑)と共に登場し投げキッスで去るまで、すべてがイケにイケている。何度嬌声が飛び出しそうになって口を押さえたか判りません。
あー、この二人が仲良くしてるの見るの本当にいいな。「兄弟」て呼びかけに『カランとアルジュン』を思い出してぐっときます。何度生まれ変わってどんなふうに出逢ってもシャー・ルク・カーンとサルマーン・カーンは「兄弟」だよね!
これ、「タイガーシリーズ3作目」なのですが、何故か2作目『タイガー 甦る伝説のスパイ』を置いてこっちが公開されています。
幸いにも公開とほぼ同時にBS12が2作目をテレビ放送してくれたのでちゃんと履修ができましたが。本当にありがとうございます>BS12のインド映画好きの皆様
それにしてもこの番宣最高にバカっぽくて愛にあふれ返っていて素敵です!
こっちは『K.G.F chapter1&2』。これも最高(『K.G.F』の感想はこちらの記事にあります)。
BS12のインド映画好きの人がニマニマしながらつくってるんだと思うとこちらの頬もゆるみます。いいぞもっとやれ。
2作目公開してないものをなんで3作目が、と思うに、これはホントにシャールクパワーなんじゃないかと。『ブラフマーストラ』(感想記事こちら)でシャールク初見の皆様が相当盛り上がられたご様子で、その後『パターン』(感想記事こちら)で更に盛り上がられたみたいだし。「タイガー???」となった人もたくさんいただろうし。
ちなみに今回、1作目から久々なので、懐かしくてAmazonで『タイガー 伝説のスパイ』や『バジュランギおじさんと、小さな迷子』などの皆様のレビューを見ていたら、「あなたへのおすすめ」にコレ↓が出てきて爆笑しました。とりあえず「ほしいものリスト」に入れました(笑)。
だがしかしアーティシュ(ブラッド・ピット似)、アナタどう考えてもすべてが自業自得。タイガー恨む道理はどこにもありませんよ。自国のVIPに銃が撃ち込まれて撃ち返さない警備がどこにいるというの。ジャベード貴様も、恨むならむしろアーティシュやろうがい。
しかしこの人が実は裏切り者だったというのはちょっと悲しい。多分2作目ではそんなこと考えもしてなかったんじゃないかなぁ。3作目の話をつくるにあたって、「ヨシこいつ使おう」て後付け設定を入れ込んだという気がします。
ハサンも、今後準レギュラー化すると思ってたのにあっさり使い捨ててしまって衝撃でした。好きだったのに……!
1作目、『タイガー 伝説のスパイ』を見に行った際、タイガーの「豆のスープ」ネタが冒頭に出たっきりでその後全く出てこなかったので「もったいない、こんな使えるネタを」と思ったら2作目にも3作目にも出てきて笑いました。そうだよね、コレ使い勝手あるネタだわ。
カトリーナ、むちゃくちゃダンス上手いのにダンスシーンが少ないのがちょっと不満。まあサルマンはダンスあんまり上手くないしね……。
『命ある限り』でのカトリーナとシャールクとのダンス合戦がこちら。バリ上手!!!
シャールクのこの視線のブレなさよ……!(キュン死)
あー、また映画館で見たい!!
『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』
6年前にこちらの書籍を履修済みの為、話の展開は全部判っている。判っていてもこうして生身の人間の姿で改めて見るとますます募るやりきれなさよ……。
しかしこうして改めて映像で見ていると、ちょっと正直、モモロさんはどうかと思いました。「妻は元気」じゃねえよ!! 元気な訳あるかいよ!!! 「寝込んでない」=「元気」じゃねえんだよ!!!!
そこ以外にも、ちょこちょこと奥さんの気持ちを慮ってない言動や、対処がことごとくヘタを打ってく様子にむむう、となった。周囲が先走りすぎてるのもあるけど、もうちょっと上手いこと立ち回れぬものか。
それにしても本当に、こんなむちゃくちゃなことがまかり通るってスゴないですか……聖職者としての修行など一切したことのない、まだ十代のど素人が、ちょいちょい、て水かけたら「ハイ洗礼完了、あなたカトリックでーす、この先の変更は一切認められませーん」て。一神教の歴史で発生する出来事って時々かなりどうかしてると思うんだけど、これもそのひとつか。
またこれがバレる、てのもすごいことだと思いました。やった当人がひょろっと話しちゃったとしても、別にいいじゃないですか、聞いた相手も黙っとけば。「親も知らないんだし、一家揃って平和に暮らしてるんだし、放っとこう」て思えないのは何故なのか。
これが「ある一家に訪れた個人的な悲劇」を大きく超えて世界を巻き込んでいくのもすごい。で、周囲の部下達でさえ内心どうよ、と思っているのに、絶対に意見を曲げない教皇・ピウス9世もすごい。さすが『誤謬表』なんてものを出しただけはある。
そりゃ葬式であんなことにもなるよね。前代未聞じゃないか教皇の葬列であんな揉め事。
しかし本当にお母さんは気の毒であった……(涙)。臨終の床でまであんな思いをするとは。
ちなみにエドガルドくんはこの後ももりもりと布教活動を行い、88歳でベルギーの修道院にて亡くなられたそうです。今際の際にお母さんを苦しめたことに、一度も後悔はしなかったのかな。切ないものである。
『オッペンハイマー』
前情報をほぼ入れず「オッペンハイマーの自伝的映画」とだけの理解で赴いたので、「オッペンハイマー人生どの辺りから物語がスタートするのか」を知らなかった為、特に最初の方で思ってもみないところで「ワァ……!」となりました。
アインシュタインは映画にも小説にもちょくちょく出てくるし、マンハッタン計画に直接噛んでる学者はそりゃ出てくるだろうと思っていたけど、ニールス・ボーアとかハイゼンベルグ、とどめにクルト・ゲーデルまでもが出てくるとは思っていなくて。
こんな方々が「映画のキャラクター」として大画面で見られるなんて! 嬉しい! と変なテンションの上がり方をしてしまった。
それにしても昔から思っているけれど、アメリカ人、いくら国土が広いとはいえ、いくら「どうせ先住民しか住んでなかったし」的な意識しかなかったとはいえ、そこは間違いなく「自国の領土」な訳で、そんなところでよく核実験ができるものだとつくづく引きます。第二次大戦終わった後でも、延々と実験やり続けて国中に汚染を撒き散らした訳じゃないですか。すごい神経。
多分、アメリカ人特有の異様な楽観主義に合わせ、放射線障害に対する「実感」が無いからなんだろうな。昔のアメリカ映画って、時々「イヤそれ放射線で死ぬでしょ」て状況であってもちょっと爆風から身を守っただけでハイOK、で済んじゃったりするものがあるじゃないですか。「放射線被爆」てものに対する認識が日本人とは全然違うんだろうと思う。
だからこそ、開発が終盤に近づきついにトリニティ実験が行われる辺りから、オッペンハイマーの顔つきだけがどんどん昏く翳っていくのがこころに残る。「世界を根本から変えるとんでもないものをつくってしまった」という自覚がしんしんと降り積もっていくそのまなざし。
実験が成功して皆が「わあっ!」と大喜びで盛り上がりに盛り上がる、多分このシーン、アメリカ人や、それ以外の国の人でも結構「やったぁ!」的感覚を抱く人、多いんじゃないかしら。そう感じちゃうようにここまでしっかりつくられているんだもの。
でも殆どの日本人、更に他国の人でも核や人を殺傷する爆弾への恐ろしさを感じている人達は皆、その喜びように逆にぞうっとすると思う。そしてその「ぞうっとさ」を、映画の中にいる人達の中でたったひとり感じているのが、それをつくったオッペンハイマー自身なのだ。
成功お祝い集会でスピーチに立って、踏み鳴らされる足音に、彼は爆風に灼かれる人々を幻視する。足元には原爆で黒く焼きただれ炭化した死体。靴で踏むとかさりと崩れる。外に出れば、祝い酒で酔っ払って寝ている人や吐いている人が、まるで死体や被爆で苦しむ人達のように視界に映る。
ここはもう本当に恐ろしくて恐ろしくて涙が出た。多分、成功の瞬間をあそこまで盛り上がるように作っておいて、実際に盛り上がった気分になった人をここで叩き落としたいのだろうな。「今アナタが喜んだものが世界に、人間にもたらす破壊がこれですよ」と。
「広島と長崎の実際の被害写真や映像が全く無かった」ということに不満を抱く方も多いようですが、自分としてはここと、それからその後も何度か彼が幻視する、世界が焼き尽くされていくシーンで充分でした。特にあの黒焦げの死体を踏み抜くところは強烈だった。
実際にオッペンハイマー当人が現地に赴いてその惨状を見ているなら出した方が良いと思いますが、見てないですしね。むしろ、本人が見ていないのに出す(そしてその悲惨さに本人がおののく)シーンがある方が不誠実なように感じます。
「実際に見ることがどうしてもできなかった」、それこそが逆に、被害にあった人や土地を想像するだけでも耐え難い苦しみを感じていた証拠だろうと(つくっておいてそれはどうよ、とはつくづく思いますけども)。
それにしてもホント、アメリカの「赤狩り」って常軌を逸してますよね。共産主義者を排除しながら、密告やら糾弾やら、そのやり方の異常っぷりはどこか中国の文革の粛清やスターリンの独裁政治に似てるのが皮肉です。
一度は「国の英雄」だと称え上げた人を、その「英雄行為」をやった当時に罪を犯してただろう、とガッツガツに吊し上げたの、今回の映画よりもずっと昔から「なんじゃあそりゃあ」と思ってました。
だって「アメリカの勝利」の為に、「アメリカがソ連やドイツに先を越されない為に」猛烈に開発に取り組んで「成果」も得た訳じゃないですか。それを先頭に立って率いてた人に、「お前あの頃ソ連と繋がってただろ」て疑惑を持つことにまずびっくり。
「イヤ、だったらアメリカではわざと遅滞させたり失敗させたりして、情報流してソ連が先に開発成功できるようにしたでしょ……この状況でなんでよりにもよってそんな疑いを抱くに至るの……?」と本当に不可解。集団ヒステリーって怖いです。
あと、男の嫉妬もつくづく怖いと思いました(笑)。器がちっちゃいにも程があるぞルイス・ストローズ。
この人、最初演じてるのがロバード・ダウニー・Jrだと判らなかった。役者さんって凄い。
モノクロでさえも冴え冴えと蒼く透き通るキリアン・マーフィーの瞳が美しい。パンフインタビューで「本人に似せる気はなかった」て言ってたけど、かなり似てるよね。そりゃ女性にもモテまくる訳だよオッペンさん。
パンフレットが非常にボリューミーで情報たっぷりで良いんですが(実はまだ全部読めていない)、キャラクター紹介ページにも俳優紹介ページにもゲイリー・オールドマンが載ってないことに衝撃を受けた。イヤ確かに出演時間は短いけどさ、この人載せないとかある……?
『PS-1 黄金の河』
センバちゃん(馬)……センバちゃんはもう出てこないの……?
アイシュの美しさがもう神像の域に達していた。神々しい。目の前に出現したら拝むわ。
しかし皆さん、デーヴァンくんをお気軽に使い過ぎじゃないですか?(笑)
まるで「おつかいゲー」の主人公のようです。皆、超重要な自分事項は自分でやろうな!
それにしてもお兄ちゃん王子、まさかあんな理由で進撃してるとは思わなかった。
特に何にも問題起こしてる様子も自分達側から攻撃しかけてる様子もない北方の国々の皆様が大変にお気の毒です。まさか失恋ハートを紛らわす為に、自分達の兵士や国民が殺されまくってるなんて思いもしないよね……アイシュも罪なヒトだと思うが、さすがにお兄ちゃん荒ぶりすぎだと思いますよ……。
そんな訳で王の器としては弟王子くんの方がありそう、とは思うのですが、ひとつ謎だったのが、なんでデーヴァンに自分のターバンやら飾り物やら渡して身につけさせ、自分はシンプルな貧しい服装で逃げたんでしょうか?
いや、最初はてっきり自分が逃亡する為の身代わりにしたんだと思ったんですよ。だから「なんだ弟も微妙だな」と思ってたら、あんな命がけで助けに行ったので「???」となった。一体何がしたかったのだ??
プーングラリがカッコよくてでも恋する姿はかわいくて、本当に好きなので弟くんとぜひ幸せになってほしいんだけど、ワーナティも好きなんだよね。正式に結婚するとなるとやはりワーナティなんだろうと思うので、『PS-2』でどうなるのかドキドキしています。
ワーナティと言えば、これカットされたダンスだそうな。何故カットした……!(歯ぎしり)
クンダヴァイ(アイメイクを激濃にした永作博美似)も賢くて強くて、ああ、この人が女王になれたらそれが一番いいのに、と思いました。この兄弟よりよっぽど安定した政治をしてくれそう(笑)。
サイト見てたら、キャスティングの段階でラジニがパルヴェート侯を希望してたのにマニラトナムが断ったんですってね。なんてもったいない……(涙)。見たかったなぁ、ラジニのパルヴェート。
ラフマーンの音楽も良かった。マニラトナム&ラフマーンはやっぱりいいな。
インド映画で、伝統音楽と現代音楽の絶妙なMixを成し遂げたのがこの人だと思いますが、その後のインド映画曲がどんどんポビュラーソングになっていってインドっぽさが目減りしてるのが目立つのに対し、この人はどんなにノリの良い曲であっても伝統音楽みを忘れない。すごく良かった。サントラ板売り熱く希望。
『ナチ刑法175条』
「ナチ時代に刑法175条によって収容所送りになったゲイの人のドキュメンタリー」というだけの予備知識で行ったので、それぞれの人が出てくる度に「えっ、今何歳? ヨーロッパ人皆こんな長生きなの!?」とびっくらしました。1999年の映画なんですね。ああ驚いた。
今は「ナチス時代の収容所には『ただユダヤ人であるだけの人』ばかりでなく、人種や国籍問わず政治犯や窃盗犯、更には当時は犯罪と見なされていた同性愛者なんかも大勢いた」てのは割と知られてる話だと思うんですが、この当時はまだ知る人が少なかったのかな。「歌う森」が恐ろしすぎた。なんという時代だ。
「刑法175条」自体はナチ時代よりずーっと昔っからあったにもかかわらず、何にも効力がなく、同性愛者の人達や、そうではなくても異性装を楽しんだりする人達がいきいきしてる時代の写真や話が本当に良い。この時代のベルリンの自由さは世界でも抜きん出ているよね。
それがこんなにも強烈に反転するのが怖すぎる。しかもそれが、ナチス反対派がナチスを攻撃する為に、ゲイの人を普通に高官の立場につけていたナチスを「ナチって同性愛者ばっかりなんだぜ、ろくでもないところだ」的にやり始めた挙句、最終的にはナチスが同性愛の排除を開始してしまうのがあまりにも救いがない。
今の自分達の感覚だと、「ナチスは100%悪」で、つまりは「ナチスの台頭を阻止しようと動いた人達」と聞くと「それは善だね」とすぐに思ってしまうけれど、こういう攻撃の仕方をしてたと聞くと何とも言えない心持ちになります。
しかも戦争が終わった後も、延々と175条が残り続けたのも恐ろしい。あの自由さは一体どこへいってしまったのか……。
それにしても、女性の同性愛者は特に法で禁じなかった理由がなかなかに凄かった。要するに「単なる気の迷い、体が男の良さを知れば変わる」「そうでなくても孕ませて産ませて家庭に閉じ込めとけば社会の害にはならないから良し」てことなのね。凄すぎる。
アネッテさんが逃げ出せた状況が大変にドラマティックで、これで一本映画がつくれると思ってしまった。「ラブレター」て郵便屋さんは言ってたけど、ディートリッヒ似の彼女とは結局くっつかなかったのね。
だがしかし、「空襲に遭った電車の中で初対面の相手とヤッた、そんな状況なら誰でもヤるだろう?」いやヤらないと思います(笑)。逃げてからヤりましょうよ。危ないですよ。
『ゴースト・トロピック』
うわあ、もこもこわんこさんだ。かわいい。
お名前は「Mazzel」ちゃんだそうです。まじーる、でいいのかな?
ハディージャを演じるサーディア・ベンタイブが本当に本当に良い。声がまるで二十代の女性のように若いのも、顔、特に目や眉の左右が少し違うのも良い。向かって右は自分の内側を見つめるような内向さや理知的な気配や純粋さがあって、左は社交的、ぐっと眉が上がって強い意志を感じさせる百戦錬磨のまなざし。
「まだ若く、どこかこころもとなさも感じさせる女性」と「身ひとつで異国で稼いで自分と子供を養っている、物おじせず他人と対峙できる老練な女性」とが絶妙に溶け合った雰囲気。
彼女が夜の街ですれ違う何人もの人々。それぞれの人にそれぞれの人生があり、物語があり、けれど彼女が覗けるのはそのほんの一部だけ。互いに深くかかわることはなく、すれ違ってそれぞれの日々を生きていく。警備員の病気の娘も、残された犬の本当の行方も、空き家に隠れ住む不法滞在者がこの先見つからずに済むのかも、娘が今夜どこかの誰かとすごす夜の結果さえも、彼女には判らない。
上の『ヴィクラムとヴェーダ』で書いた惑星ピスタチオの舞台『ナイフ』をまたも思い出しました。わたしこのパターン本当に好きなんですよ。何もかもの結末を知ることなんて誰にもできない。自分の物語の結末を体験できるのは自分だけ。
こちらも上で書いた『ゴッドランド』と同じくスタンダードサイズ。これがやはり、「ハディージャの視界を通して見る世界」としてとても良い。そこを通り抜けて夜の向こうにうっすら見える、「見知らぬどこか」、繋がれた犬の縄がするりとほどけて駆け出す先の、つくりものの公園ではない、いつか娘が、更にその子供達が見出し辿り着くであろう明るい新しい世界。
それと対照的に、窓の中の小さな、けれど安心感のある部屋の映像がじっくり流れるのも好き。ここがある、ここにいつでも帰ってこられるからこそ、これを築き上げた日々があってこそ旅立てる、「見知らぬどこか」だよね。
そして音楽が素晴らしい。iTunes Storeでサントラ買いました。本当は板で欲しいんだけども出てなくて。
爪弾く指の先までまざまざと見えるような余韻のあるギターの弦の音色がたまらない。夜の底のような、街灯は明るいのに足元は不思議な程に昏い、風があって涼しいけれど寒くはない、そんな夜道をひとり歩きながら聴きたい。特に『ハディージャのテーマ・1』とエンドクレジットの曲が好き。
それにしても、元雇い主の家だった空き家にこっそり住んでるアフガン人、よくあの状況で冷静でいられたなと思います。自分だったら、真夜中過ぎに水飲みに起きて窓の外にあんな白っぽいシルエットがぼうっと立ってたら、「ひぃッ」の一言ぐらい叫ばずにおれない(笑)。あれはホラーですよ。
そして深夜バスが、あの段階でいきなり運行中止になっても「ちぇー」くらいの感じでパラパラ立ち去っていく人達にびっくりした。アレ日本なら「なんでじゃい!」てクレームつける人続出ですよね。あの適当さが普通なのか。
『関心領域』
犬……犬がいてくれてちょっぴりこころが救われた(お名前はスラヴァちゃん、ヘードヴィヒ役のザンドラ・ヒュラーの実の飼い犬だそうな。道理でなついてる)……でも遠くから聞こえてくる吠え声の役割を思うと……。
時々うっすらと聞こえてくる、どうみてもこの家からではない音楽は、列車到着時に囚人の音楽隊が演奏しているものかしら?
話題になったし予告も見ているのでどういう話かは知っている。で、知った上で、「壁のこっち側とあっち側の話だね」と思って見始めるとすぐに、「こっち側」、安全圏、支配圏である筈の場所で、殆ど喋らず笑顔無く働く女中や下男(敢えてこの呼び名を使いたい)が出てきて、「ああ、壁のこっちにいるのは首の皮一枚だけで、いつでも即座に『あっち』に放り込まれる人達がいるのよな」とつくづく思い知る。最後の方ではもろに「アンタごときいつでも灰にできる」てなこと言われて。
この奥さんがいろいろとあれこれと本当にこわい。毛皮のポケットから出てきた口紅を塗るところなんかもう引きに引いた。塗るんかい!!!
昼夜を問わず聞こえてくる銃声も叫びも、きっとそれなりに匂うであろう煙も一切スルーして暮らす日々。家政婦さんは酒を飲まないと眠ることすらできないけれど、夫妻はベッドで昔の旅行話をして楽しく笑う。「だって旦那がここに赴任しちゃったんだもん、彼女の意思じゃないしなあ」て思っている観客を、異動での引っ越しを断固拒否する姿であっさりさっくりひっくり返す。
けれども同じ環境を我慢できずに逃げ出す母にはブチキレる。自分が良いと思うなら、理解されなくても「愚かな母だ」と呆れればいいだけなのに。そこにうっすら覗く歪み。煙なんて風に乗って、庭にもばんばん降り注いでるだろうに、川に流された遺灰に触れかけた子供を血相変えてがっしがしに洗い流す。
これはね、やっぱりね、「邪悪」だよ。これを「邪悪」でないとは到底言えない。
「誰しもこういう素質を含んでいる」、いわゆる「悪の凡庸さ」、「最終的に極悪な結果を生むスイッチを設計して押して日々運営した人であっても、実のところは別に悪魔でも何でもない『普通の人』なんだ」理論もそれはそれで判るのですが、でもそれにはやはりレベルというか限度があって、これはもう確実な「邪悪」だわ。自覚があって、その上でリミッターが吹っ飛んでいる。
逆らったり拒否ったりすることがたとえできなかったとしても、あの状況からしずかに離れて距離をとる、囚人から得た物品は使わず処分する、くらいはできた筈。それすらしなかったのだから。
闇に紛れてリンゴを埋める少女、あれだって「誰しもそういう素質を含んでいる」上での行動だけど、じゃああの状況下で自分ができるか、と問われたら「イヤ無理だろうな……」て思う人はたくさんいると思うんですよ。それと同じ。
確かに「人間」なので「善」の要素も「悪」の要素だってあるさ。あるけれども、だからってあんなことができるか。できないよ。「ずば抜けた善行を成しもしないがさりとて悪事にも加わらず」に「普通に生きる」というのは実は稀有なことで、世の大多数の人達が思っているより遥かに勁いことなんだよね。
リンゴを埋めていく娘さん、本当に神々しかった。でも流れてくる拡声器の声で「リンゴの取り合い」で収容者が罰せられているのが聞こえて切ない思いがしました。ひとはかなしいな。
途中の「現在のアウシュビッツ博物館映像」は無くても良かったような気もする。なんて言うか、そこまでダメ押ししなくても、引き算の美しさというものがあるんじゃないかしら。
それにしてもこの映像、開館前か閉館後のお掃除タイムっぽいですが、作業しているのが全員女性なのが謎だった。本当に清掃作業員に女性しかいないのか、それとも何か意図があって女性だけにしてるのか。前者ってことは考えにくいので後者なんだろうけど、そこは普通に男女取り混ぜてで良かったんではないのか。
ヘスが最初に床に吐いてそのまま立ち去るシーンで、「ああコイツ、この後ここを掃除する人がいる、なんてことは夢にも思わないんだろうな」と思った直後の「女性ばっかり、虐殺の展示のお掃除シーン」だったので、なんとなくそういう系統の意図なのかなとは思うのですが。
しかしこの映画をして、後方の観客に中盤〜後半にかけてずーっと、劇場で売ってる飲み物カップの氷をくるくるまわしてジャラジャラ鳴らし続けてる人がいてちょっぴり脳が煮えた(声が届く範囲に座ってる相手なら「うるさい」て直言っちゃうタイプなんですが、あいにく遠かった)。
他の映画ならともかく、この映画ですよ? こんな映画ですよ? まさに「画面と自分以外の領域に対して一切無関心」なその仕草。これ見ててそれに気づけない、てちょっと絶望的になりますね。人間は(自分も含めて)成長するのは本当に難しいのだな……。
それにしてもザンドラ・ヒュラーのあの頭頂部が区画整理された畑みたいな髪型、謎だった……ちょっとジョジョみがありましたね。アレ一体どうやったらあんなキレイに碁盤の目にできるのか。作成過程を見てみたかった。
『PS-2 大いなる船出』
センバちゃーん!!!
自分には馬の見分けは色とかサイズくらいでしかつかないので、ラストバトルでデーヴァンが乗ってた馬がセンバなのかどうか判らない……でももしセンバなら、あんな乗り捨てられて無事でいるかどうか……(涙)。
わたしねえ、ちょっとねえ、実を言いますとマニラトナム作品ちょっぴり苦手と言うか、自分が見た映画限りの話ではありますが、どうも腹におさまりきらんものが毎回ぽつぽつあって。
その中の大きなひとつが「ものすごく丁寧に丁寧につくりあげたものをぽーんと放り出す」ところ。
マニラトナム、ものすごく上手いんですよ。本当に上手い。ちょっとしたところを落とさず丁寧に細かくつくりあげる。でもだからこそ、他のインド映画なら「えー何この展開……まぁでもいっか、インド映画だし!」てなっちゃえるところがひっかかってしまう。せっかく丁寧に積み上げたものを、最後の最後に怒涛の力技で終わらせちゃう。もったいないなとよく思います。
今回ならセンバちゃんもそうだし、プーングラリも、王子を含むパーンディヤ一味達も。イヤそんな投げっ放しジャーマンで良いの!?? 雑すぎない!???
せっかくこんなにコツコツ築いてきた下地を活かさずに放り出しちゃうのが本当に不思議。面倒くさくなるの? 時間が足らないの??
やりきって三部作になるならなっていいんですよ……観ますから……。
そんな訳で何だかやたらと急ぎまとめに入った感のある2部目だった。マドゥランダカさん改心急。ナンビは結局、なんでいきなりデーヴァン含む諸侯達に近づいたの? ナンディニが結婚したのなんか何年も前だろうに今まで何やってたの?? プーングラリ、命をかけて一緒に馬に乗って逃げ、あんな大嵐の中に船も出して、そんで何も無し? うっすら花売り男とくっつきそうな気配だけ見せて終わり?? イヤいくら何でもアルンモリそれは情無し過ぎない???
そして何よりもこれだ、デーヴァンお前言えよ! 「兄王子殺ったのは弟王子じゃありません」て!!!!!
もうスクリーン見ながら自分でも信じられないくらいイライラした。なんで黙ってんのこの人!???
遺体抱えて出てきた時は、それでも一万歩譲ってよほど呆然としてたか、奥方に咎がかかるのを恐れてたとか、そういうのかと思った。イヤでもそれでも、「アルンモリの策略か!」て目の前でキレられてたら、「それは違います!」の一言くらいは口から出るだろうがキミ、と思わずにはいられませんが。
王の前にひったてられても何故かだんまり。イヤ完全だんまりならまだマシなのに、「私が殺しました」とかよくよく聞けば「イヤ全然違うやんそれ、話ややこしくすなよ」てなこと言い出して周囲を混乱に陥らせる始末。
とどめに戦場で、「兄王子の敵を取る為にアルンモリを殺るぜ!」て怒りに燃えてる友・パールティバにさえ言わない。ここ本当に「は!???」てなった。
なんで黙ってるの? なんで真の仇を教えてあげないの?(奥方のことを言いたくないなら「パーンディヤの残党がやった」だけでいいだろうに) なんでムダに無実のアルンモリ憎ませてるの??
そんなんお兄ちゃんだって草葉の陰で聞いたらカンカンだわ。「俺の最愛の弟がそんな真似さらすかあッ!」て。もうあまりにも納得がいかない。
ああ、やはり自分にはマニラトナム作品、向いてないのかも……思えば『ダラパティ』も『アンジャリ』も『ロージャー』も『ディル・セ』も『頬にキス』も、皆どこかしらダメだったわ……手放しで「好き」と言えるの『ボンベイ』くらいだわ……。
とは言いつつもマニラトナム監督ですごく好きなところも勿論あって、そのひとつが「インドを美しく撮る」ところ。この人の撮影するインドは本当に綺麗。ポンニ河美しいなあ。
カメラワークも好きなんですが、今回はバトルシーンがちょっと見辛かった。ブレが多くて。もうちょっと続いてたら酔ってたかもしれない。
マニラトナム監督でもうひとつ顕著な特徴は、「血縁サイコー!」なところ。
これは物語によって良い方にも悪い方にも出るんですが(むちゃ悪事働いてんのに「実は血縁だと判ったから見逃して大団円」みたいな締め方したり)、今回は良い方に出たと思います。
王朝もので普通にある「兄弟の王位・権力争い」「親子の確執」みたいのは皆無。お兄ちゃんと弟くん、更にはクンダヴァイちゃんも仲良し過ぎて最高です。「弟は実は生きてる」と判った時のお兄ちゃんの嬉しそうな顔がたまらんかった。基本ずーっと不幸な顔つきしてただけにとりわけ。
そういや若き日のお兄ちゃんイケてましたね。現在の姿からは想像もつかない爽やかくん(笑)。
Santhoshくんというそうです。サントシュ、でいいのかな? ワイルドみを溶け残る程に加味した栗原類似。
『フィリップ』
ピエール、キミなんていいヤツなんだ……!
フィリップが「リザと逃げる」て打ち明けた時、一瞬「密告される!?」とか疑った自分をこころから詫びたい。本当に申し訳ない。いいヤツ過ぎる。「心配で寝られなかったぞ!」泣ける。
もうこの二人の友情がたまらなくて。気のいいピエール、ワインは2本ともブランカにくれてやるつもりだったろうに、フィリップが「1本アイツに残しといてやろう」と思い、それが為にあの悲劇。でも最後の最後まで、ピエールはフィリップのことをカケラも恨みはしていない。いいヤツ……!!(号泣)
他のスタッフ達との連帯感も熱い。一番若いドイツ人の子を、誰も疎外しないところも好きです。
すごくびっくりしたのが、空襲があった晩のこと。えっ、そこでなんでホテル戻るの!???
イヤそこはもう戻ったらダメでしょ?? 「監視してる」言うてたやないの。さすがに「国外逃亡した」とは思われないにしても、仕事あるのにいなくなってたのがバレたら騒ぎになってるかも、そしたら「これ以上サボらないように見張りつけるぞ」なんてことになるかも、などと思わなかったのかフィリップ。
あのまま橋の下で一日やりすごすとか、一晩歩いて別の街に移動してそこから電車乗るとか、何故できなかったのか。あんな危機的状況から生き抜いてきて、日々命かかってる暮らししている割に危機感が薄いですフィリップさん。
京都シネマは音響がすごく良くて、空襲シーンでは椅子がビリビリきて本当に怖かった……!
あと、ちょっと一瞬すぎて断言はできないんですが、フィリップもしかして子供撃ってない……? 国歌斉唱の時、斜め前に立ってた青い服の女の子。
あの感じだと狙って撃ったのか、「ドイツ人なら誰でもいいや」的に適当に撃ったのかはよく判らないんですが、イヤさすがにそれはちょっと、と思ってしまった(まあ確かにユダヤ人側は大人も子供も情け容赦なく虐殺されてはいるんですけども)。
更にひとつ不満を言うとすれば、タイトル(出し方はすごく良かった)。
洋画って「主人公の名前=タイトル」てのがかなり多いんですが、これ公開中はまだしも、その後時間が経過していくにつれ、どんどん検索性が悪くなっていくんですよ……本当に扱いづらい。
特に「フィリップ」なんてどメジャーな名前、役名でも役者名でも星の数程いるんで、本当に困る。公開から年数経った後に配信とかで見た人が、「いやあ良い映画だった、SNSで感想検索しよーっと」と思ったところですごく苦労しそうです(まず最初に『フィリップ、きみを愛してる!』がひっかかってきそう(笑))。
ネット時代の昨今、マーケティング系の人が「このタイトルではダメです」とかアドバイスしてくれんものなのか。原作小説のタイトルが名前だけだとしても、副題くらいはつけられように。
……などと言っていると気に入らなかったように思われるかもしれませんが、逆です! すんごく好きです!!
特に、夜のダンスで彼の心情が移り変わっていくのがはっきり見てとれるところが大好き。苦しさも辛さもさみしさも憎しみも喜びも、すべてが込められたその動き(でも「芋虫ごろごろ」みたいな動きはちょっと笑った)。
キャラとしてはブランカとスタシェクが好き。
特にブランカ、もしも当時が今のようなネット時代だったら、間違いなく総叩きにあうだろう人だと思うんですよ。「不道徳だ」とか「国賊だ」とか「愛国心が無い」とか。
でも彼女はくじけない。結果的に戦争に協力することになる工場勤めをサボって、ドイツ人男(いま前線に出ないで街にいる=子供や老人以外はほぼお偉いさん)には目もくれず、せっせと外人労働者と床を共にする。自分が思う「自由」を決して手放さない。つよい。
そのつよさの対極にいるのがスタシェク、一財産を築いて好きな酒と女に満たされ日々を生きている、なのにこころの底がどうしようもなく昏い。ドイツに虐殺された数多くの同胞の屍が脳内にずっとこびりついている。
彼がフィリップの面倒を何くれとなくみようとするところがたまらんですね。パスポートや銃を持っていってほしかったの、きっと「このままだといつか自分はああなる」のが痛切に判っていたからなのだろうな。
リザを演じたカロリーネ・ハルティヒ、誰かに似てる誰かに似てると思ってるんだけど思い出せない。むちゃくちゃ好きなタイプの顔です。
「あなたには幸せな人生を送ってほしい」いいですね。ぐっときました。
最後の最後に駅のホームにいてほしい。そんな奇跡は起きなかったのだろうけど。
それにしてもフィリップ、エリック・クルム・ジュニアの度を超したイケメンっぷりがすごい。声も良い。そりゃ次々オンナも落ちてくよ。もうしょうがない。この、口の横にぐっと何重にも皺がよるタイプの顔、わたし大好物です。
こんな顔面で生きるってのはどういう感じがするもんなんでしょうね。「度を超したレベルのイケメン」が自分自身のことをどう感じてるのか、どんな風に日々周囲から見られているのか、一度経験してみたい。
時代背景にはそぐわないエレクトロニカな音楽が良かった。映る街並みや人々の服装やクラシカルなホテルの内装からすると違和感がある筈なのに、キャラ達の内面がにじみ出ているかのようで。
ものすごく好きなタイプの音なのでサントラが欲しかったんですが、どうも出ていない様子。残念。
テーマ曲は判ったので単独購入はできたんですが、これ以外にも同じ人のもので使われてる曲があったように思うのですが。その内NHKとかwowowでやってくれないかな。エンドロールで曲名を確認したい。
作曲者の人、お名前が「Robot Koch」で、パンフに「ロボット・コック」て記載されてるのを見て、その昔アニメの『ミスター味っ子』に「ロボコック」ってキャラがいたなあ、なんてことを思い出しました(笑)。
まとめ
今期は『DUNE』『タイガー』『PS-1&2』と、続き物映画が多かった。
長い映画大好きっ子の自分としては、続編ものの映画、別にイヤではないんですが、続編までが空きすぎるのは困ります。だって忘れちゃうから……(鳥頭)。
そういう意味では『PS-1&2』は本当に良かった。間がすっごく短くて。
……にもかかわらず、あまりの登場人物の数と名前の覚えづらさと男性の皆さん基本「濃い顔・黒髪or白髪・ヒゲ」で外見的特徴の差が少ないのとで(あっ、坊主もいたわ!)、多少の混乱は生じました。
『DUNE』の続き、できれば半年くらいできてほしいなぁ……。
そういや『鬼滅の刃』、無限城編は三部作なんですってね。これも間空いたらすごく辛そう……戦いがむっちゃ盛り上がったところで「続きは来年!」とか言われたら泡ふいて倒れそうです。
そして今期の間にテレビで見て「劇場で見るべきであった……!」と最も後悔した映画がこれ、『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』。
ちょっとこれについては単独記事で感想を書きたい。本当に素晴らしい映画でした。
来期のスタートは『チャーリー』を予定。犬とインド映画って、我が大好物×大好物じゃないですか? 楽しみすぎます。
そういえば今期は犬映画も多かった。素晴らしいことです。
8月にはこんな映画をやるそうですが、これはどうなんかしら……。
予告の限りでは、アクションが特殊撮影ばかりでガチもんじゃなさそうなので、ちょっと見るかどうかを躊躇しています。こういう話でこういう役をやるのなら、アクションがしっかりできる人にやってもらいたいのだけれども。
『ポライト・ソサエティ』
MOVIXはインド映画をコンスタントにかけてくれるので本当に有難い。足を向けて寝られません。
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