比較の無意味さ
『こっちの方が〇〇っぽい!』
『あれよりこれが〇〇』
『あれがこうなんだからこれくらいいける。』
人はすぐ比較をする。
比較なんてなんの意味もない。
『これが好き!』
『これがしたい!』とただ言えばいいのに
『あれはちょっと〇〇だけどこれは好き!』
あれだって良い。
これだって好みじゃない人はいる。
全員が好きなものなんてない。
目立つものにいいねはくる。
『〇〇はあれだけど〇〇はしたい!』
理由なんてなんでもいい。
ただ、今、
そうなだけ。
そう感じるだけ。
そうしたいだけ。
目の前のものをありのままに見れば
比較なんてしなくていい。
好みなんて人それぞれ。
『〇〇っぽい』もその人が思う〇〇なだけで他の人がみたら違うことだってある。
じぶんが多くを知ってるような気持ちになるのは傲慢。
最近、『スピ系』という言葉にも疑問。
『スピ系』って何なんだろう。と思う。
目に見えないものが、ここにあることは当たり前で物質世界と精神世界があるのが当たり前。
それならばスピリチュアルな世界は全員にある。
思いがけない出会いやラッキーなことなど説明できない不思議な体験をしたことない人なんてほぼいない。
だから
スピ系なんていない。
全員フィジカルもあってスピリチュアルもある。
どちらも在る。
スピリチュアルを遠めにみても切り離せないもの。
それは自分の一部を否定していることと同じ。
変わらないものなんてない。
『〇〇はこういう人』なんていう定義もなんの意味もない。
今目の前でスピ系と見える人だって、別の姿がある。
かっこいい人もトイレへ行く。
すべては幻想。
高校生の時沖縄修学旅行で
クラスでなにを体験するかを決める会があった。
わたしは一人闘牛ショーに手を上げた。
多くの人が紅芋チップス作りに手をあげて紅芋チップス作りになった。
別に不服もない。
わたしは昔から一人なんか違う。
いつも少数派。
多数派や流行になりたいとものりたいとも思ったことがない。
できないから。
だからこそ
ニッチな人に巡り会えて楽しい。
そこに染まろうと追いつこうと必死になることもない。
わかりやすさは頭を悪くする。
考えることをやめ、他人の解釈がすべてだと無意識に捉えてしまう。
他は関係ない。
自分がどう感じ、どう捉えるか。
それしかない。
無意識に人は比較する。
限りなくゼロで中庸を生きる。
今日はこんな感じ👍
作品紹介💙
大好きな水シリーズ💧✨
ほかSNS
以上今日は
ピリリなカオルでした😃🎊
アディオス💙