「あなたはどちらかな」 他者の見た目性別に無意識な偏見が私にもあったという気付き
とても可愛らしく髪の長い、ジェンダーレスな服装の子供さんが居た際に、あなたはその子の性別をどちらだと考えるでしょうか。
つい先日商業施設で、男子トイレに入ろうとしていたその子と遭遇した私は、他意なくナチュラルに「男子トイレですよ」と告げてしまいました。
年の頃は一桁くらいと思われるその子は戸惑ったように「え、だんしといれ..」と呟いて立ち止まり。
私は優しくを意識した声で「あなたはどちらかな」とそっと諭した つもりだったのですが
その子は「おとこです..」と答えたのでした。
私はしまったと思いながらも、「あっごめんなさい。こういう事言うのっていけないね」とお詫びと反省を告げてその場を去りました。
お互いに終始笑顔ではあったのですが
その子が
傷付いていないといいなとずっと気になってしまっていました。
どうしても気になって偶然再会出来ないか後でその辺りに戻ってみたりするも、それは叶いませんでした。
仮に再会出来ても何て言うのが正解なのかですよね。
これはその子次第な訳です。
その子にとって女の子に間違われたのは、嬉しかったかも知れないし逆に嫌だったかも知れない。
そのどちらかに関わらず、そうした事を言われる事自体が厄介でしかなかったかも知れない。
私の立ち去る際の言葉は正しかったのかも判りません。
私自身も、自身の性別の古来のジェンダー観にはそぐわない装いを一部取り込んでいます。
人が性別に関わらずどんな装いが好きでも自由なはずで、そこへの偏見は今どき消えていっている/でもまだ根強いものだよねという過渡期に様々な想いを抱えています。
にも関わらず他者にそんな事を、それもよりによって小さなお子さんに言ってしまった訳なのです。
(※別にその装いそのものをどうこう言った訳では全くなかったのですが、思い込みでその子の性別を判断してしまった事をその子がどう受け取ったかが判らない訳なので..
(“どちらだろう”どころでなく、完全に女の子に見えただけだったのですが、それ自体もどう言うのが正解かは相手次第にて)
ここで間違えないで頂きたいのは
昨今はLGBTQといった概念が広まって来た事で別の偏見が生まれている事を私は常々懸念しているのですが
別に異性装をしていようと、その性別になりたい人だとは限らないという事です。
例えば私自身もそうですし
最近漫画原作でメディア化された『顔に泥を塗る』『先輩はおとこのこ』等の作品でも、そうした“ただ好きだからその装いをしているに過ぎない”という、何も特別でない、一人の人の想いを正面から描かれていました。
(あとね
もしLGBTQにカテゴライズされる場合だったとしても、それとて只その人がそうであるというだけの何も特別なことではなくて。よく言われるようになった“多様性”って、そういう“誰も特別なんかではない”って事なんですよね)
その子が今後も自由に好きな装いを楽しんでくれたらいいなと思います。。👚
逆に親御さんの趣味で今はその装いになっているだけな可能性もあって何とも言えないのがまたなのですが。
また逢えたとして言えるのって、「私は只単にあの場であなたが女の子に見えただけなの.悪い意味とか何もないのよ」という事くらいでしょうか。
わざわざ重ねて言うのもかえって余計なのかな。
ネットの海のどこかで不意に届く可能性に賭けて添えると
2024年10月18日午前10時半過ぎ頃
小田急相模原駅傍のラクアル・オダサガ3FのCOCO'S隣のお手洗いでの事でした。
ちゃんと謝れていなかった気もしますしね..。
たまたま遠出の用事の際の普段行かない場所での事なので再会も難しいでしょうし、只々その子が気にしていないのを祈るばかりです。
omakeでCOCO'Sでの体験添えて記事を終わります🍴
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