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STEP-0-2:無意識行動アウトプット評価

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学校時代の「おぼえる」
「知識として記憶して、頭の中にインプットしていく」という【意味】で使われていました。
 
同じく「わかる」「知識として理解して、頭の中にインプットしていく」という【意味】で使われていました。
 
ところが、こういう言葉が「ビジネスの世界」においては【全く別の意味】で使われるようになります。そこで評価を落とす人も多いのです。
 
繰り返しますが、学校時代は「授業料」を払った「お客さんの立場」で「知識」を「買う」。その状態で「知識のインプット量」を評価されていました。


ですが、ビジネスにおいては「技術」を「売る」という立場で「行動のアウトプット量」を評価され「お金をいただく」という真逆の動きです。
 
つまり「わかっている」を、どうアウトプットしたか? どれだけアウトプットしたか? という「事実行動そのもの」が評価の対象となります。

しかも「無意識反射でのアウトプット(行動化)」「無意識習慣でのアウトプット(行動化)」以外に、評価対象になるものはありません。
 
ビジネスは、極論を言えば「理解していても、反射的に、行動化していなければ評価ゼロ」というのが、厳しいビジネスの世界の評価基準だからです。


逆に言えば「理解していなくても、反射的に、行動化していれば評価は高くなる」という一面もあります。習慣化してしまえば、つねにプラス評価です。

こうなると、仕事においての「おぼえる」「無意識で行動に反映されるところまで練習して持ち込む=いつも、できている」という意味に変わってしまいます。
 
つまり「おぼえた」=「無意識で行動に反映されるところまで練習して持ち込んでいる」ということになります。無意識行動に反射できていないなら「おぼえていない」。
 
ですから、たとえば、マニュアルの言葉を記憶しても「実際に、油断した時にできていない(行動に反射されていない)」なら「おぼえていない」と評価される。


仕事の世界の「おぼえた」「おぼえている」「常にできている」「油断していても できている」「パニックになろうと できている」という意味です。
 
ところが、今の時代、こういう言葉の意味の違いなどといった、仕事の肝心なポイント「丁寧に教える上司」が、どの会社にもいません。

現在「上司」のポジションにいる方が、若い頃に仕事を学んだ状態が今とは全く違うからです。
 
現代の上司たちは、かなり「パワハラ気味」に、その都度、その都度「できてない」「やってない」と語勢の強い言われ、注意を受けながら学んできています。
 
そういう学びしかしていないので「わかりやすく説明しながら、部下に伝える」という方法を体験的に習得していません。さらに、今の時代はハラスメントが問題になる。


なので「自分たちが、部下の立場だったころに上司から学んだ方法で教えるとパワハラと言われるから、教えるのをやめておこう」と「教えない」わけです。
 
しかし、部下は「できていない」=「部下の評価はドンドン下がっていく」ということになる。できる人ばかり、さらに評価され続け、できない部下には 全く教えられない。

これが、今、頻繁に言われている「二極化」の正体だったりします。

「おぼえる」と似ている言葉が「わかる」です。学校時代の「わかる」は「知識を頭で理解する」という意味で使われていました。「頭の中の話」だけで良かった。

ところが、ビジネスでの「わかる」は、学校時代に使っていた「わかる」とは、全く別の意味になります。「油断している時でも同じ間違いをしない仕掛けを自分に貸す」


これがビジネスでの「わかる」の意味。「頭で理解はしたけれど、つい・うっかり 同じ間違いを、また してしまった」=「まったく わかっていない」と評価される。

「つい、うっかり、ポカをしない仕掛けを自分に課す」というのは、本当にタイヘンなワークです。たとえば 鍵をよく行方不明にしてしまうといった場合。
 
つい、も、うっかり、も、ポカもしないようにしようとすると「いつか使うだろうと思って置いてあるけど、実際、使っていない 身の周りの全てのモノを処分する。」
 
といったところまで徹底してやっておかないと「また」つい、うっかり、鍵を行方不明にするというポカをすることになります。その度に「わかってない」とマイナス評価される。


これくらい「学校の勉強」と「ビジネス」では違います。それなのに「学校時代は、こうだったから」と学校時代と同じ感覚で動く。当然、いちいち評価が下がることになる。

これを「自分ひとりでなんとかしよう」と思っても、なかなか どうして難しい。スルッと抜けていくには「メンター(師匠)」を見つけて日々練習を重ねるのがベストです。
 
仕事は「技術」です。当然ながら「技術習得」には、手本となるメンターがいて、そのメンターと自分の差を埋める反復練習が必要不可欠となってくるからです。


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