見出し画像

【イベントレポート】『私のおばあちゃんへ』読書会

2021年9月に刊行された韓国女性文学シリーズ10『私のおばあちゃんへ』を課題図書として、読書会が行われました。ブックオカ期間中に原画展も開催され、装画や扉絵を眺めながら、6つの収録作品を語り合った様子を抜粋してお届けします。

第3回『読婦の友』読書会 「あなたと座談延長戦!」
課題図書『私のおばあちゃんへ』(ユンソンヒほか、橋本智保訳)

日時:2021年11月14日(日) 14時~15時半(開場13時半)
場所:本のあるところajiro
参加メンバー:読婦の友(池田雪、和泉僚子、川上夏子、髙倉美恵、徳永圭子、正井彩香)、田中千智(画家)


『私のおばあちゃんへ』ユン・ソンヒほか​ 橋本智保 訳

「きのう見た夢」ユン・ソンヒ
「黒糖キャンディー」ペク・スリン
「サンベッド」カン・ファギル
「偉大なる遺産」ソン・ボミ
「十一月旅行」チェ・ウンミ
「アリアドネーの庭園」ソン・ウォンピョン


読婦、『私のおばちゃんへ』を語りつくす


和泉)2年ぶりの『読婦の友』の読書会となります。こんにちは、読婦の部長で書評を書いています和泉です。今年も引き続きコロナで、それまで毎年秋にやっていた読婦のイベントをどうしようと相談した時に、池田さんから『私のおばあちゃんへ』(書肆侃侃房)という本が出るので、これで読書会をやりたいという提案がありました。

装画を担当された田中千智さんもぜひ一緒にとのことでお声がけしてもらったところ、嬉しくもご快諾いただき本日ご出席いただきました。

田中さんと読婦のメンバーという限られた人数ではありますが、今日も最後までよろしくお願いいたします。

全員)よろしくお願いしまーす

池田)では、自己紹介を。今回、『私のおばあちゃんへ』の編集をしました書肆侃侃房の池田です。よろしくお願いします。

正井)ライターをやっています正井と申します。よろしくお願いします。

徳永)丸善博多店の徳永です。

髙倉)元書店員で、いまは雑文?雑絵描き?髙倉と申します。よろしくお願いします。

川上)グラフィックを主にやっているんですけど、料理やらイラストやら何屋さん?の川上です。読婦のデザインもやってます。

 

田中千智さんが描くおばあちゃん

 
池田)まずは、田中さんに来ていただいているのでいきなり装画の話をお伺いしたいなと。
今回ゲラを呼んでもらって、おまかせで描き下ろしてもらったんですけど、こういう絵になったとか、いろんなことお話してもらったらと思います。

田中)最初、打ち合わせの時に表紙のことだけを話していたんですけど、読んだときにいろんな絵が浮かんできたので私から「扉絵どうですか?」って訊いたんです。

ひとつに絞って描くのだと描き足りない感があって扉絵を付けることできますか?って。で、描き始めました。

たぶん表紙を考えつつ、扉絵も考えて、白黒でまずいろんなものを描いてたんですけど。たぶん2倍くらい描いてて、レイアウトも違う、モチーフも違うもので同じような絵が2枚っていうのもあるし全く構図が違うのとかもあって。

途中で、池田さんと成原さん(装丁)に見てもらって、これはピンと来るとか来ないとか訊きながらもういっかい描いて最終的にこれがいいんじゃないかというのを一緒に決めてもらった感じです。

正井)池田さん、最初に表紙の絵が上がってきたときどんな印象だったんですか?

田中)これラフを送ったんですよね。

池田)そうそう、ラフが上がってメールをもらって。成原さんに仮で配置してもらって、最初はこの表紙の女の子がもうちょっと大きかったのかな。

正井)まだ着色はされていない段階?

田中)赤だけ入れてて。

池田)でも、もうこう……すでに印象的っていうか、田中千智さんの絵って、背景が黒で、人物がいて、その人物が女の子なのでめちゃめちゃかわいいみたいな。やったー!っていう感じで。

川上)きた!って感じ?

池田)そう、そう。

田中)確か正面向きの女の子でもうちょっと余白大きくとってたんですけど……バストアップの小さめに入った女の子がいて、おばあちゃんは変わりなくこの距離感で、表紙を広げた時に繋がる感じで。

川上)ドキっとしますよね。表紙がすごくかわいくて、裏で怖〜って。

正井)表紙と裏表紙の絵が繋がって一枚の作品だと思ってました。2人の人物の距離感も、きっと何かしら意味があるのかなって。

川上)実は2枚の作品だった。

田中)最初ちょっと悩んだんですけど、何か距離をとるとしたら相当大きなキャンパスに描きたいなって思っていたのでそれだったらもう切り離して、距離を自由につけられるっていうので、2枚。

正井)あー、なるほど。

川上)おばあちゃんがリアルで怖い。あ、おばあちゃんってよく描かれます?

田中)いままで何回か、描いたことあるんですよね。ちょうどこの作品の前に、2年くらい前かな、自分のおばあちゃんを描いたことがあって。

私のおばあちゃんは済州島の出身で、若い頃に日本へ来てそこから大阪で暮らしていて、いつか韓国に行きたいとずっと言ってたんですけど、それが叶わないまま亡くなってしまって。
それもあって私には韓国に対して特別な思いがあります。

2010年ごろから韓国の釜山のアーティストたちと交流をしていて、2020年に釜山の作家さんたちと一緒に「WATAGATA Art Network10周年記念展」というのをやりました。
釜山と、福岡はアジア美術館で開催したんですけど、その時にやっぱり自分のおばあちゃんをいま描かなければ!と思って描いたのがあります。

その後は福岡の劇団の演劇で使う予定だった演者さんの家族写真を水彩画で描き起こすっていうのがあって、その時に借りた写真が結構おばあちゃんと一緒の写真が多くて、それぞれの家のおばあちゃんを描いたりとかして。
結局コロナで演劇がなくなったのでそれは映像作品に少し使ったんですけど。
そういうので、おばあちゃんを描くのがちょうど何個か続いたんですよ。

で、ここにきてこんなストレートな……。

池田)『私のおばあちゃんへ』だからね

田中)嬉しいなって思ってたんですよね。

川上)田中さんのは、原書の、このおばあちゃん感と全く違うんですよね。

池田)韓国の原書は、たぶん一般的なおばあちゃんのイメージなんだけど……。

川上)このおばあちゃんがね!これ(原書)じゃなくて、これ(日本版)なんだよねっていう。原書は、おばあちゃんの優しい部分が出てて。

池田)でもね、読むと、このおばあちゃんはいない。

川上)幻想のおばあちゃんだよね。何か公民館とかで見せる顔みたいな。これ(日本版)はほんと家で見せるうちのばあちゃんみたいな。すごいこれがもうかっこいいと思う。

正井)原書の装画のおばあちゃん、リアルに公民館にいる感じだけど、短編それぞれに出てくるのは結構怖いおばあちゃんでしょ?半分お化けっぽいっていうか。

川上)「きのう見た夢」の、トイレに入ってる時に人が訪ねてきても無視する方のおばあちゃん。だから表紙のイラストはほんと田中さんの方で正解。かっこいい。


私とおばあちゃんの距離感。装画が本に奥行きを与える


池田)『私のおばあちゃんへ』ってどんな装丁にするかってちょっと難しいなって思っていて。おばあちゃんだけどおばあちゃんじゃないよねって。

髙倉)そのさじ加減ね。

池田)だって、おばあちゃんでおばあちゃんの装画だったら買わないかなみたいな、そういうところもあって。
田中千智さんにいつか装画描いてもらいたいって以前から思ってて、田中さんにお願いするならこれじゃないかな?きた!絶対これだ!と思って、連絡したんですよ。

髙倉)編集の仕事っていいね。今頃ですけど。

川上)何か好きなことやってる感じが。これいいな!やろう!みたいな。

正井)ねぇ、羨ましいですよね。常々そう思ってる。

池田)装丁の成原さんとも相談して、どう思うって。成原さんもいいと思うってことで、お声がけして。
いつもは成原さんとか装丁のデザイナーさんが、装画を提案してくれることが多いんだけど、今回は自分で選んでみて、どんなふうになるんだろうって楽しみに待つ、っていうことがありました。

正井)この赤いマフラーは、やっぱりおばあちゃんのマフラーを引き継いで……?

田中)これ、見た時にその孫とおばあちゃんって見る人もいるだろうし、この表紙の女の子が老いておばあちゃんになったみたいに、そんな風に見えるといいなっていうのがあってわざと同じ色のマフラーを。

髙倉)どっちも感じるみたいな。時間の距離と場所の距離とみたいな。

正井)心の距離とかいろんな距離が表れている。

髙倉)そっかそっか。すごいな。何か絵ってすごいな。

川上)閉じ込められてる感じがしますよね。ほんとこんなかわいい子もおばあちゃんになるんだぞ。いじわるばあちゃんになるんだぞ。

徳永)みんながちゃんと読んでこなかったあとがきに……。これを見ると

私はタイトルを見たとき、若い世代の、おばあちゃんに対する心温まる思い出が投影されているのだと思った。田舎にいる料理の上手な優しいおばあちゃん、家族のためなら苦労もいとわない献身的なおばあちゃん……。だが作家たちの名前を見た瞬間、その期待は裏切られた。彼女たちがそんな都合のいいおばあちゃんを書くだろうか。

「訳者あとがき」P182

髙倉)これおもしろかったね。

川上)それじゃないだろっていう。いい方の、社会的に良いとされている方の。

髙倉)影で嫁をいじめる、表ではニコニコしている。孫には優しいみたいな「ケイコさん」って言ってる、誰だケイコさんって。

正井)タイトルともとても合っているなって。『私のおばあちゃんへ』って彼女が言っているようにも見えるんだけど。私てっきりこのタイトル池田さんがつけたんだと思ってたの。

川上)翻訳者の方がつけたの?

池田)もうこれはそのまま、原書のタイトルで行こうって。

川上)「へ」もついてるんですよね?

正井)『私のおばあちゃん』なのか『私のおばあちゃんへ』でも全然違うので。

髙倉)でもこう訳されたのが橋本智保さんで。

池田)そう、橋本智保さんが『私のおばあちゃんへ』って訳して。

正井)この「へ」がいいなって思った。

川上)これついてなかったらこの人がおばあちゃんみたいになってきますからね。

正井)「私の中のおばあちゃんがテーマです」みたいな、ノスタルジックな昨品ばっかりみたいに見えるかも。

川上)すごくリアルな作品でしたよね。もう30年後にはみんなコレですわみたいな感じ。

田中)何か全部毒が入ったみたいな、含みがある。


「一線を引きなさい」。ささやかだけどリアルな「サンベッド」

 
和泉)田中さん個人的にこの話が好きってのありますか?

田中)1回目読んだときは「偉大なる遺産」が好きってなって、2回目読んだ時は「サンベッド」もやっぱりいいなぁとか。
昨日の夜もう一回読んだときは「アリアドネーの庭園」もいいなぁとか、結局全部いいやんって。

池田)何回か読むと印象が変わったりして、「偉大なる遺産」はミステリーの要素もちょっとあったりして作品として強くて、「サンベッド」はページ数も少なくてささやかな感じなんだけど読み返すとすごくなんかグッとくるという……。
認知症になったおばあちゃんが、孫娘のことを思ってたっていうのが良く分かる。

川上)何かリアル感じがしたんですよ「サンベッド」

正井)私これ好きでしたね。

髙倉)「サンベッド」の「一線を引きなさい」って、おばあさんが最初はすごく心配性すぎてすごい過干渉な人なのかと思ったんだけど実は違う。
主人公がちょっとかなりコミュニケーションに問題がある人で、それが何かこう……だんだん分かってくるっていうのがすごいおもしろかったです。

『ナイルパーチの女子会』(柚木麻子/文春文庫)の人とか、山本文緒さんの『恋愛中毒』(角川文庫)に出てくる、「私は人の手を強く握りすぎる、握られたほうの痛みが分からない」っていう人、この距離感が取りにくい、ちょっと生きづらい系の女の人がすごくアリアリと描かれていて、私はこれにグサッときた。私もそっち寄りの人間だなって。ちょっと距離が掴めなくて近づきすぎて揉めたりとか、遠くで石投げたりとか……難しい。

正井)私もこの「一線を引きなさい」って言葉がずっと頭の中で鳴ってて。この言葉、ちょっと「おばあちゃんの呪い」っぽいと思う。

おばあちゃんが口癖のように言っていたことって、体の奥に沈殿していて今でも時々思い出すことがあるんですね。私も一緒に住んでいて、おばあちゃんっ子だったので。

髙倉)お母さんじゃなくて、おばあちゃんだから響くっていう部分もあるんですか?

正井)どうだろう。母と祖母から同じような言葉を言われてたかな。何かの折にその口癖が反響する感じ、分かるなあと。そういう育ちなので、私は「サンベッド」面白かった。

主人公はおばあちゃんっ子だから、自分より友達を可愛がるのが許せないわけでしょ。「おばあちゃんにぶどうを持って行きたかったのに!!アンタに煩わされてこんなしょうもないビスケットになった!」って地団駄踏む、その苛立ちは嫉妬ですよね。

だから、田中さんが扉絵に描くのは、この「ぶどう二房」なんだって。

川上)おばあちゃんは認知症で、自分の友達は乳がんで、どっちの世代も病んでるっていうのがすごく今ちょっとリアルな感じ。

正井)主人公も人との距離感がうまくとれなくて、どっちもしんどい。

髙倉)でもその、乳がんを患って再発した方のミョンジュさん、彼女があるときに、あなたが好きな漫画が嫌いなだけであなたが嫌いなわけじゃないのよって、口でちゃんと順序だてて言ってくれてやっと分かったっていうか。

川上)『ミステリと言う勿れ』(田村由美/小学館)にも同じこと書いてありましたよね。

子どもの教育の話。りんごについて議論しましょう、というお題を出して、Aがりんご派、Bはりんご反対派になって、りんごのいいところ、よくないところを順に挙げていく。
りんご派の人は、りんご反対派の人にりんごのことをどんどん貶されるうちに、りんごの話をしているのに、だんだん自分のことを、揚げ足を取られているような気がしてくる。

でも、これはあなたが嫌いなんじゃなくて、今はりんごの話をしているだけなんだよ、と。
りんごの良し悪しをただこの場で役割を決めて、議論してるだけなんだよ、という。
そういう議論の仕方というようなことを日本の教育でやってない、と。

正井)でもこの年頃の子って、「私の好きな本をあなたに読んでほしいの」って告白に近いよね。私が作ったベストテープを聞いて!みたいな。

川上)出た。座談会で毎回出てくる話、マイベストテープ。

池田)昭和の話が……。

正井)勇気を出した「告白」がピンとこないって言われたら、ものすごく否定された気がしますよね。人に対して没入しすぎたり、逆に踏み込めなかったり、距離感をうまくとれない主人公の中におばあちゃんからの「一線を引きなさい」っていう言葉がこだましつつ生きていく。その姿に感情移入して読みました。

髙倉)友達は逝ってしまうっていうのもまぁまぁショックじゃないですか。

正井)そうそう。そして一人で生きていかなきゃいけない。

髙倉)その辺の短編感がいいな。

正井)短いけどめっちゃ詰め詰めでしょ。それもよかった。

池田)何か1個1個の短編の濃度の濃さが。

髙倉)出てくる人全部に、生まれてからいままでの人生が全部詰まっているから。

池田)「きのう見た夢」これとかもいま、おばあちゃんになれてないっていうか、いつかおばあちゃんになって童話を孫に聞かせてやりたいって思って生きてきて、でもいま孫はいなくて、っていう。
子供のころの話とか、おばあちゃんの人生とかもすごい出てきて、この短編も、短いのに何て濃いんだって、どういうこと?みたいな。

川上)それと、短編全部におばあちゃんが出てくるのに、前の話を引きずらずに読めました。短編って結構前の話引きずりません?で、「いや、別の話だこれ」みたいな。

髙倉)それがなかったね。全部ね。


特別でない日常を描く「十一月旅行」

 
川上)ハングルの名前だから、これは男なのか?女なのか?何歳なのか?みたいな、性別とか大体の年齢とか、関係性とかがわかりにくいというのはあったんだけど。

正井)私、家系図をメモしながら読みました。

川上)特に水筒忘れるやつですね!「十一月旅行」

池田)「十一月旅行」は結構難しい。私も書いたもんね。どっちだっけって。母2人で娘2人って話で。確かにこっちから見て母は母だし、娘は娘みたいな。

川上)親戚の話って分かりにくいんですよ。私の母の娘がねって言われた時に「ちょっとまって、えっと、あ、おばさんね……」みたいな。

髙倉)おばさんって言っても血が繋がってないのもあるし、「偉大なる遺産」とか。

川上)そういうわかりにくさはあったけど、一つひとつの話がちゃんと際立っていて、濃い感じがしました。

池田)それがアンソロジーの良さなのかなって。一人の作家さんが書いてる短編集とは違って、全然違うタイプの作家の作品を一気に読める。

橋本智保さんの訳も素晴らしくて、一人の人が訳してるっていうのもすごいなって思って。

和泉)私は「十一月旅行」が大好き。この作品の話をする前にちょっと昔の話をしますが、以前読婦の座談会で「おばちゃん」というテーマでやりました(読婦の友5号)。
あれって最初から「おばちゃん」って決めてたわけではなくて、結果的に「おばちゃん」になっちゃったんですが……。

川上)あまりにも濃ゆくて。避けられなかったですね。

和泉)その後に個人的に「おばあちゃん」ってテーマでもやりたいなと思い、小説に描かれる「おばちゃん」と「おばあちゃん」の境目などを探したくいろんな作品を読んだんですが、ほら、最近ジャッキー(瀬戸内寂聴)が亡くなったじゃない?

池田)あー、ジャッキーって言うんだ。なるほど。

髙倉)誰か分かんない。

和泉)今年、『眠れる美男』(李昂著/藤井省三訳/文藝春秋)の書評を書きました。台湾の女性が主人公で、タイトルで分かるように川端康成の『眠れる美女』(新潮文庫)へのアンサーソングとして書かれた本です。

この初老の女主人公はスポーツジムの若いパーソナルトレーナーに惹かれ心身ともに悶々とする。

また同時期に映画監督の松井久子さんが『疼くひと』という作品でやはり高齢の女性の恋心というか、性欲を描いていた作品が出ました。

このふたつ、高齢女性のエロスを描くという目的があっての作品だからなのだろうけど、こうも続くと読み手としてはきついなと思っていたら、伊藤比呂美さんが『ショローの女』(中公公論新社)というエッセイを出された。

体力の低下など老いのネガティブな面にも触れているけどやはりバイタリティーあふれる伊藤さんの本で、とても凡人ではたちうちできない。

男性への煩悩に悶々とする初老か、かたや週一で熊本―東京間を往復する大学の先生か。

川上)91歳のフィットネスインストラクター・瀧島美香さんみたいな。今話題の!

和泉)こんなに極端な二者択一じゃなくて、何も冒険しなくていいから普通の暮らしをしている高齢女性の話が読みたいなと思っていたところに「十一月旅行」はスポンとはまりました。

「見て!ただ娘と孫と旅行に行くだけなのにちゃんと小説になるのよ」って。

髙倉)そうね。特殊じゃなくてもね。そんなに。

和泉)みんながジャッキーみたいになっても困るわけ。

正井)世が乱れますよ。

和泉)まあ佐野洋子さんや佐藤愛子さんという系譜もあって、こちらは伊藤比呂美さんに近いのかな? ああ、幸田文さんという流れもありますね。でもいつか自分も行く道の先と考えると、どっちも震える(笑)。

もうちょっと、鉛筆でいうとHBとかBくらいの塩梅の人……5Bとか5Hとかにならなくていい。

角田光代さんや津村記久子さんがもうちょっと先に、今の作品の地続きで高齢女性の日常などを描いた作品も登場するのかなと。
もう既にあるのかもしれませんが。

正井)幸田文も全然普通じゃないっていうか、小股の切れ上がりすぎた江戸の……。

和泉)ちょっと一緒に暮らしたくないみたいな。

正井)そう。竹尺を背中に入れられそう。

和泉)入れられそう(笑)、入れ返してやる(笑)。
他の収録作品だと「偉大なる遺産」はホラーテイストで面白かったし、「黒糖キャンディー」はとても綺麗で、ウディ・アレンの映画みたいでした。

 

おばあちゃんの恋。老いと向き合う「黒糖キャンディー」

 
川上)「黒糖キャンディー」めっちゃ映画になりそう。

和泉)映像が浮かんでくる。

川上)韓国の上品なおばあちゃん、どういう感じになるのか見たい。

髙倉)変なパーマじゃないおばあちゃんが見たい。 

正井)角砂糖が溶けるみたいな淡い恋。「おばあちゃんの恋」って絵になるんだろうか。これはとても綺麗な物語だったから、映像とか漫画とか二次元化できそう。

川上)ピアノの旋律とか……。

和泉)あと中庭の……。

川上)こう、真ん中にね。

池田)そうそう。フランスだよね。

川上)で、そこを通らないと外に出られないってどんだけ密なコミュニティ?

池田)でもなんか、そこに世界があって。

和泉)きっと、何回も見てたんだろうな、おばあちゃん。

川上)いやこの、この世界観。素敵~。これは心から良いと思いましたよ。で、逆に、ちょっとこういう老い方、刺さりました。

老いの表現で言えば私、「黒糖キャンディー」が一番好きでした。体と心がいっしょに老いていくんじゃなくて、体だけ老いていって、心は取り残されて元気という。

池田)ここね。

ずっと昔、自分ではずいぶん歳を取ったと思っていたけれど本当はまだ若かった頃、祖母は、老いるというのは身と心がおなじ速さで退化することだと思っていた。年齢とともに……

「黒糖キャンディー」P52

だから、心も退化するっていうか、欲望とかもなくなっていってって。
でも実際は、私たちも年を取ってきたときにじゃあ、20歳くらいの時の自分と、もうすぐ50って考えた時の自分って、そんなに変わってない。

もちろん外見はどんどん年を取っていくけど中身はあまり変わらないって考えたら……もうあと20年後もこのままかなっていう気もする。すっごいする。中身、変わらないよね……。

和泉)今の自分の年齢の母ってどんな感じだったか思いますよね。「十一月旅行」の女三世代ではないですけど、「あれ、私の今の年齢って母でいうと、もう娘の私は成人式やったやん」みたいな、何か、おそろしさ?

徳永)私、もっと自分が若い頃は40~50代くらいってもっと元気で若々しいんだと思ってた。すっごく疲れるから、あれ~?って思う。

自分が子育てとかしてないってのもあるんだろうけど、これで朝早く起きて子供のお弁当作るとかとてもとても無理だとかふと考えることあって。
はぁ~こんなにクタクタって。あれ~?もっと元気なはずだったって思うんです。そういう人もいます。

髙倉)体は老いていく、気持ちね。体はもう、くたびれてくるし、あっちゃこっちゃガタが急に出てくるんで、でも気持ちはどうかって。アホさ加減は変わらんっていうか。

川上)アホさもそうなんですけど、老いていくのに、やりたいことがいっぱいあるとつらいなって。気持ちは衰えず、なのに体は「え?もう終了モードに入っていますよ?」みたいな。

池田)それをどうコントロールしていくか。

川上)だからますます激しく鍛えていかないといけないねって思ってます。鍛えてて、元気で楽しいっていう老人の話を聞くのが大好きです。それ、アリなんだって。鍛えてればいいんだねって。

和泉)伊藤比呂美さんの~。

池田)そっちおすすめ、みたいな。

川上)そういう話を浴びるように聞いて、さぁ今日も元気だご飯がうまい!

髙倉)それでいいと思う。それで英気を養えばいい。


ひたひたとせまる老い


川上)私この間ね、とあるご老人と作業をすることがあったんですよ。コロナの前で。

毎年秋に赤ちゃん相撲のお手伝いをするんです。赤ちゃん用の長いフンドシを一枚ずつ細く四つ折りにするんですよ。ご老人とペアになって、フンドシのこっち端っことあっち端っこで離れて座って、せーので。で、さっさとやっていたら、そのご老人がもたついてしまって。

「ごめんね、やっぱ年とるとどうもこういう作業がね~。昔はちゃっちゃやっとったんだけどね」ってすごく申し訳なさそうにしているんです。それがずっと忘れられなくて。これができなくなること。

で、それをその人がショックを受けててそのお姿が切なくて。なんかそういう老いに伴うリアルな切なさがね、この本の中にひしひしと詰まっていて、泣きそうになりましたね。

あと、どこかで、老いを街に例えて表現している所がありましたよね。旧市街が少しずつ確実に廃れていくことにみんな全然気がついていない。元々は最先端の街だったのに、ふと気が付いたら物凄く寂れてる。残念な場所になっている。それが老いと同じって書いてあって戦慄を覚えましたね。

私もそうなるのかと。ショックでしたよ。そういういずれ自分に来る老いからどうやって逃れるか、毎日考えてました。

池田)毎日?

川上)毎日考えてました。

髙倉)でも、あがくのはあがいたでいいと思うけど、いざやってくるときはやってくるんで、その時にできんことをできんからってできるようにしようって悩む時間がもったいない。

川上)はい。それも分かる。でも私は何か40代なら40代の、30代なら30代の努力というものがあるなら、やりたい。

髙倉)したいならすればいいと思うし。

川上)したいですよ、先輩!あのコラム(「眼述記 脳出血と介護の日々」毎日新聞九州・山口版)連載だってものすごく参考になりますよ!!!

髙倉)でもこないだ頭を打った時に、駐車場で。前の席の荷物を後ろの席に移そうと思って後ろ向きに歩いたら車止めに足をとられて、そこでストーン!って行って頭をガーン!って打ったんですよ。そんで息子がそばにいたんですよ。

で、頭を打った、と思って、でも頭よりもこの50肩が痛いわ!ってなったんですけど、「おかあちゃん血が、血が」ってもう119番してました。
(駐車場に血溜まりができるほど出血してた)

川上)息子さん、血の気引いたと思いますよ。うちのおかあちゃん死んじゃうって。

髙倉)大阪の住所言って。(息子はちょっと前まで大阪に住んでいた)

和泉)息子さんお母さんの血を見ることが多すぎない?

髙倉)ナイフで指切ったり、ジョギング中転んだりね。鼻の骨折ったこともあるんで。でも、たぶん前だったら足に車止めが引っかかった瞬間におっとっと、で終わるのにスコーン!っていったんでこれは老いだと思って。

だからもう走る時はスマホに手をやらない。動物を凝視しない。

正井)猫とかをね。

髙倉)福岡タワーのイルミネーションが変わっても見ない。

川上)とりあえず前見て走れ、みたいな。よそ見禁止。

池田)足元も。

正井)気を散らさない。

髙倉)何か気になったら、止まる。それを心がけたらいいよ。

川上)分かりました。

和泉)私だって自分が運動始めるなんてまったく思ってなかったもん。

池田)ジムに行ってるんですよね。

和泉)そこでトレーナーに恋していませんよ(笑)。

高倉さんのように転んで出血したから、ってことではないんですが、年々薄皮がはがれるように自分から体力がなくなっていく感じがして、これはやばいなと思い通いだしました。

美容やダイエットのためではなく……生きるため? 本も大作読むのも体力いるし。

川上)運動、10代は趣味なんですよ。部活とか。で、20代は美容のためで、今は生きるためです。

正井)でもそれは大事ですよね。

和泉)自分でおいしくごはんを食べられるかとか。

川上)8020運動。

池田)あー、あの歯のやつね。

髙倉)脳みその筋肉も大事ですよ。

川上)うちの子とかね、仰向けに寝っ転がって両手で本を持ち上げてずーっとこうやって本読めてるんですよ。これが若さなんだろうなって。今この姿勢で本読むとか1ページも無理じゃないですか。

髙倉)何か、ここにベッドがあったら横たわらない?って思うけど、子供はずっと机に座ってずっとこうして本読んでる。

川上)あと電気つけずに暗いところで本読んでて「電気つけなさい!」とか怒られてるけど、あれ目の筋肉が発達してるから読もうと思えば読める。今はもう目の筋肉ダルダルだから、そもそも無理みたいな。

和泉)朝起きてすぐスマホでLINE返すと、目が起きてなくて変な文章になっちゃう。

川上)それ私まだないですな……。

和泉)変な文章になってるのは朝打ってる。

髙倉)老いの話になってる。

和泉)自分の老いの話になってる。

川上)そもそも老いを思わせるところが多すぎる。

髙倉)「黒糖キャンディー」

川上)そう。

徳永)それで何か思ったんですけど音楽が好きとかそういう「好き」っていうのは、どんな形であれ細々とこういうふうに続けて行くっていうのがいいなぁって思っていて、いつか老後の楽しみにと後回しにすると、受容する脳というか、感性みたいなものがもしかしてなくなってる可能性ゼロじゃない。

急に甦るかもしれないけど、いつかと思ってるものは早めに細々ちびちび始めておいたり続けていくことはいいなぁと思って読んでいたんですけどね。

川上)今日が一番若いって言いますもんね。

池田)さっき話に出てきた旧市街のエピソードは「サンベッド」かな。

歳を取るのと似ていた。人々は旧市街が滅びていくようすを、長い時間をかけてゆっくりと見守った。

「サンベッド」P67

川上)ある日ばったり自分が年を取ってるってことに気がつくのはとっても怖い。怖いから、やっぱり準備したい。
とりあえず準備すれば後悔もないと思うんですよね。準備してこれならしょうがないか、みたいな。

髙倉)でも病気はね、運、不運がね。

川上)いやそうなんですよ、健康ってホント不公平ですから。


おばあちゃんの孤独


正井)「黒糖キャンディー」は老いらくの淡い恋に焦点が当てられがちですが。前半の、おばあちゃんの孤独が私は気になって。

自分が頑張るしかないと一生懸命孫たちを育てるんだけど、途中で梯子を外されるでしょ。フランスに行って、子供たちはパーッて外の世界へ出ていってフランスの文化にも適応できちゃうけど、自分は言葉も分からない。老いているから言葉も覚えづらい。連れ合いもいない。

どの世代やコミュニティとも分断されて、フランスで居場所のない独りの女の人って……そりゃつらいでしょう。つい、自分の母と重ねて見てしまいます。

老いの不安、孫のこと、人間関係の断捨離やら、同じ立場や目線でこぼしあえる連れ合いがいたら全然違ったでしょうけど、母は20年ほど前に夫を亡くしてるし。私も離れて暮らしているので、なかなか実家にも帰れなくて。

髙倉)孫がかわいいのは盆暮れ正月に来る時だけだから。

正井)なんていうか、「寡婦」の孤独ですかね。別の作品にも出てきたけど、「寡婦」ってなんか滅入る言葉だなあって。

池田)「偉大なる遺産」ですね。

髙倉)キーッて怒って出て行った。

川上)「黒糖キャンディー」のおばあちゃん、最初は自分のマンション引き払ってなかったんですよね。

正井)そうそう。その踏ん張り、意気地みたいなのもめっちゃ分かる。

川上)でもしょうがないから。戻るつもりが、巻き込まれていくんですよ。

正井)「黒糖キャンディー」のおばあちゃんは子のため、孫のためって、その都度自分の気持ちを飲み込みながら選択してきたんだけど。結局その損な選択が自分の孤独に跳ね返ってきたうえ、誰も責任取ってくれないし同情もしてくれなくて、置いてけぼりなのが切ない。

でも彼女は育ちがいいからピアノが弾けて、言葉の通じない人と淡い恋が芽生えて秘密の日記に記したんですよね。人生最後の、満たされた夢だったろうなと。

川上)うちもたまたまそのことを考えてました。うち、母方の祖父と父方の祖母が70代で亡くなって。それぞれの連れ合いが達者で今年97なんですよ。

髙倉)こっちはばぁちゃんが一人で残って?

川上)そう。あっちはじいちゃんが一人。女の人ってそれなりに器用に楽しみ見つけて生きていけるんだけど、おじいちゃんの方はそれが難しいみたい。

まだ連れ合いがいて、それなりに仲良かったら、自分と同じ共通の言葉を話せる人がいる。「天気がいいから気持ちいいね」とか、「腰の調子が悪いね」とか、たったそれだけの会話ができる同じ世代の相手がいれば、潤うものがあるのに。

でも、世代が違うから、その子どもである私の父には分からない。祖父が今、何が楽しいのか、何が嫌なのか。本当のところどう思っているのか。それが今のうちの親戚の問題です。

髙倉)じいちゃん問題。

川上)だから私はとにかく長生きしたいし夫にも長生きをしてほしいし、それをとにかく努めないときついなって思いました。

正井)「おなじみ」と思える間柄の人が身のまわりにいるって、すごい助けになりますよね。

川上)父は「これはどう?」とか、「今日はあそこ行こう」とか、じいちゃんの人生を彩ろうといろいろ言ってみる。
でもなんかそれが的を得てないんです。

祖父も父もいろんなことに興味持って取り組む精力的な人だから、父は祖父が楽しめることを考えているんだけど、祖父はもうちょっと家でじっとしているのがいいな、3時に甘いコーヒーとおやつがあればいいな、くらいしか思っていないことに父が気づけない。

正井)お父さんがおじいちゃんを励まそうとする「縦」の思いやりもありがたいはずなんだけど。「横」のつながりが少しでもできる方が、日々を楽しくする近道になるっていうか。すっごく分かります。

川上)連れ合いが20年前に死んだのにまだまぁまぁ元気なんですよ。俺、いつまでこの生活すればいいんだろうって思ってるよなぁっていうのも何となく分かって、もうなんだろう……。

 

未来の孤独を描く「アリアドネ―の庭園」


正井)老いての孤独感みたいなのは他の作品にも出てますね。「きのう見た夢」も孤独。

池田)「アリアドネーの庭園」はまさに。一人で生きてきた女性と、家族もいて、ある意味結構いい暮らしをしてきた女性と、でも最後同じ所にたどり着いているっていう。

髙倉)上野千鶴子先生が仰っている「最後はどっちかおひとりさまよって」。

川上)それが1年2年ならいいんですよ。

正井)SFだけど、近い将来にありそうで。

川上)めっちゃ怖かった!

池田)だからこれ帯文なんだよね。結局、ここが。

 年老いた女になるつもりはなかった。
その日その日を生きているうちに、
いまにたどり着いただけ。
いまという日は、自分とはまったく関係のない
他人のものでなければならなかった。

『私のおばあちゃんへ』帯

正井)この帯文はどこからきてるのかなと思いながら読んでたら、最後の作品だった。

池田)何か中から帯に入れたいなって思った時に、いちばん印象的だったのがこの出だしで。

正井)抜いたのは池田さんなんですか?この帯ね、めっちゃよかっった。

田中)グサッときた。

正井)田中さん、どのへんがグサッだったんですか?

髙倉)何とも言えなかった。そりゃそうだって。

正井)いま老いで盛り上がってましたけど、田中さんまだお若いので……。

田中)私、でも、42になるんで。

正井)いや、老いの入口はまだちょっと先だと思うんですよ。我がこととしてグサッときたんですか?

田中)うちも母一人で55の時に父が亡くなったんで、そこからいま74までずっと一人で暮らしているんですけど、結構頑固なタイプなんですよ。

母のこと考えながら読んだり、祖母のこと考えながら読んだりして、これがぶっ刺さってきた。私、大丈夫かなって。

川上)そうですよね。いまは人の心配してても、次私やなっていう想いを込めて怖いですね。

田中)私もそうなりそうな気配を感じて。

川上)まあ分かんないですけどね!時代も変わるし。なんつって。どうだろ。
それと「アリアドネーの庭園」は日本と韓国の違いっていうのを感じました。大陸との地続き感がやっぱり島国と違って、「誰が攻めてくるか分かんない!」みたいな、「繋がってるし」みたいな感覚。

池田)ここで、南北開放されてるし、いきなり。

髙倉)開放されて、北にいた若い人たちが南に働きに来てて、でも格差が埋まらないしみたいなので若い人が蜂起するっていう話でしょ。

池田)ほんとにちょっとあるかもしれないっていう未来。

川上)北朝鮮も韓国もロシアも中国も陸続きだから、いつか境がなくなってもはや何人か分からない人がすぐそばにいて、その人が何を考えているのか分からない……みたいなそういう恐怖のようなものが根底にあるのではないかと。

これはすぐ隣だけど完全に島国である日本人にはちょっとない感覚なのかな、と、読んでいて思いました。老いてる側からしたらもうそれだけで恐怖。知らないということが恐怖になってしまうのが、老いではないでしょうか。

和泉)最近人に薦められて韓国映画を続けて見たのですが、韓国のヤクザ社会でも中国系やその他少数民族の系列で階層があって、複雑でしたよ。

川上)それプラス、世代の違いがあって、何かもう狂気に感じるっていうか。そこが怖い。

髙倉)だから最後にこの小説が来てたんで、え~、何かもうちょっと最初の方とかに……間に挟んで欲しかった……。

川上)これで終わるの⁉って感じ。

髙倉)並びが……でもこれは元々そういう並びなんだなって思って。

池田)そうそう。原書の通り。

髙倉)ちょっとあなた、ディストピアすぎるって。

川上)でもほんとにタイトルからして、この終わり⁉みたいな。

正井)優しい感じじゃなかった。

川上)まぁまぁ暴力的。

池田)これで終わるのがまた、めちゃくちゃいいなって。

川上)素晴らしいと思います。


越えれらない柵。逃れられない未来


田中)「アリアドネーの庭園」の扉絵は一番悩んだかもしれない。

正井)え、そうなんですか?

川上)私これ結構好きかもしれない。

田中)私ずっとこれ不安な感じで。

正井)そこはかとない不安感、ありますよね。

川上)向こうに何があるか分かんないっていうか。

髙倉)柵がある感じね。

和泉)あの柵たぶん越えられないんですよ。

髙倉)簡単に、自由じゃないよね。

池田)柵の向こうに行ってしまうと、やっぱりすごい暴力にさらされる。年を取った女の人が一番被害を受けてるっていうの、この本文中でも出てくるんだけど、やっぱり外の世界でも生きていけないしっていう、ほんとに怖い、これ。

川上)こんなことを抱えながら、殺してくれって思っちゃうよねっていうような恐怖。

正井)田中さんがあの絵を一番悩んだっていうのは、どういうことなんでしょうか。

田中)ずっと何も出てこなくて。他のは結構何枚か描けてたんですけどあれだけ一枚しか描けてなくて。うーんって。

文章で景色だけは変わらないみたいな、景色の美しさは変わらないけどって、それが唯一の手掛かりで、でもすごい綺麗な景色描くのも何かちょっと違うと思ったので、もうちょっとありふれた景色が美しかった、みたいなイメージかなっていうのを絞り出した。

正井)そうなんですね。この作品はSFっぽいけど「さすがにこうはならんよね」って笑い飛ばせない怖さがあるでしょ。現実に起こりえるというか、ひたひたとそちらへ近づいている感じがあるので。

池田)U2が来韓した時とかOasisのコンサート行きましたとかのエピソードがそのまま私たちの世代で、これはまさに私たちの世代の未来の話かもって、すごい思った。

正井)縄で連れて行かれる感じがあって。そうそう。何か食堂で怖いおばちゃんとごはんを食べてて突然キレられるみたいなのも、すごい怖いんですよ。ほんとにそんな光景になっていくのかもって。

川上)同じ世代なのにコミュニケーションが成り立たないって恐怖倍増ですよね。ゆっくりだけど結局はこういう方向へ?やだよ~。

正井)だけど田中さんの扉絵を見ると、どこにでもある坂の上の景色みたいに見えますよね。ごくごくありふれた風景が扉にくるのが逆に怖い。「まだ先の話だから安心して」的な逃げも許されないんだって。

川上)もし我々の世代がこれを逃れたとしても結局自分の子供の世代がこうなるっていう流れになっちゃってるから。怖い怖い。

正井)私がいるのは柵の内側?外側?どっちかわからなくなる。原画を見ると、奥行に「柵の向こう」を感じる。本の扉とまた印象違いますね。

川上)そしてお客様係がAIなのもね。

池田)AIなんよ。

川上)ありそう!

髙倉)何かこのポイントもらうみたいな。

川上)この人はちゃんとこまめに電話してくれるからオッケーみたいな。

髙倉)ディストピアと言えば桐野夏生の小説読んだ?やっぱり近未来の言論統制の話で、ちょっとでも反体制の小説書くと、収容所に送られて、収容所の中で何が行われているのかっていうのが、本当に恐ろしかった。

正井)タイトルなんでした?

徳永)『日没』(岩波書店)

髙倉)そうだ、『日没』でした。シビれたよ。同居人の朗読で横で聞いてて離れられなくなった。「アリアドネーの庭園」が、『日没』の世界の中から切り取られた物語みたいに感じた。

徳永)桐野さん、現代を切り取る作家としてすごい。

髙倉)だからちょっと物を言う時に、政権批判をしたらテレビとか出られなくなるっていうのが当たり前にあるじゃん。もっと怖かったのは北海道で昨年、一昨年くらいなんだけど安倍晋三にヤジ飛ばした人が警察から排除された。何の罪でっていうのもなくて警察がその人を排除したって。

池田)ありましたね。

髙倉)ええ!いまじゃん!って。その人別に誰かを殴ってもいないし……。

池田)だから政権批判さえできない、って状態。

髙倉)警察を動かしちゃうんだって。

正井)恐ろしいですね。

髙倉)何の法律の根拠でやったんですかっていう。それはない。法律の根拠はないから。でもそれいまやってるし、それをそんなにテレビとかでも言い立てないから、それがいますごい怖い。

川上)悲しくなってきた。

 

ハンコは誰も押してくれない


池田)カバー袖の訳者あとがきよりを抜いているところ、

老いていく自分の姿や複雑な内面が見え、また、私が通過してきた道を生きている娘が、私自身が向かっている時間を生きた母親の姿がはっきりと見える。

「訳者あとがき」P183

ここが結構響いたっていうか、自分から見た母は、自分がこれから向かうところであって、娘はいまから老いていくっていうか、母親になっていくっていうのが、そうなんだよね~って思って。

徳永)前と後ろっていうね。

池田)そうそう。

川上)自分の子どもが本当に幸せになれるか、自分が思うような幸せな人生が送れるというのは考えてもしょうがないことだけど、何もできないけど、やっぱり頭から離れない。折に触れ。

池田)やっぱりいま社会とかが、生きづらくなってるのかどうかはじっさいは分かんないけど社会保障とかいろいろ考えるとやっぱ不安な要素がすごく多いっていうか。

川上)「こうしとけば大丈夫よ」っていうのが……。

池田)そう、ない。多分昔は安定してたのかな。働いて、年取ったら定年で、年金もらって、っていう。

徳永)まだ世界がもう少し単純に見えてた気がする。何かこの年くらいは、とかそういう。

髙倉)ある程度予測できた。

池田)以前はそういう世界があったけど、定年退職してなんとかっていうイメージがわかないというか。年取って、普通に暮らせるのかな?ていう。

正井)私、15歳くらいの頃に「学校しんどい、人生ってしんどい、早く“上がり”来ないかな」と切実に思ってて。結婚とかもせんでいいし、いろいろすっとばして早くおばあちゃんになって楽になりたい!って強く憧れてたのを思い出しました。思春期の逃避だったんですけど。

髙倉)それもすごいよね。

正井)ところがですよ。「四十不惑」と思いきや、そうでもなくて。親世代を見てると60や70過ぎても「自分とは」「幸せとは」みたいな問いから解放されないみたいだし。年とったら達観するとか丸くなるとか大嘘で、より一層頑固になって……。

池田)逆に激しくなるよね。我慢ができなくなったりするしね。

正井)自分から頑なに孤独になっていく人たちの老い方を見ると。私が憧れたおばあちゃん像どこいった?「楽隠居」ってどこにあるんだみたいな。

川上)松田青子さんが『自分で名づける』(集英社)で書いてたけど、男の人が外で働いて女の人が家にいて、何歳になったらみんな結婚して子どもが何人生まれてっていう、分かりやすいプロトタイプのステージを一つひとつ上がって行って、はい、あなた幸せでしたねっていうのがもう今、ないし。

何が幸せかなんてもうその人が決めたらいいわけだから。あなた幸せですっていうハンコは誰も押してくれないから、もうそれはないでいいんじゃないですか。

正井)40代の自分OK、50代の自分OKって、自力でハンコ押していける人はいいんです。自分で押せない人がしんどいと思う。

川上)そうですね。押していきましょう!

正井)私の母は自分にOK出すのが苦手で。私が電話やLINEでなだめたところで、やっぱり外から言われてできることじゃないんですよね。

川上)世代の違いもありますよね。

和泉)実際の家族の話で申し訳ないんですが、母(2018年死去)の話をしますね。つい最近、私と妹は実家を手放しました。まさに一週間前に書類に印鑑ついてきたばかり。

父と母との夫婦生活の最後は円満だったかというとそうでもなく、父は既に他の女性と暮らしています。

母は最期まで父のことが好きだったのでそれを思うとちょっと辛いのですが、ただ今回、実家で母の荷物を片付けてみたら、いや、なんとこの人(母)、めっちゃ充実した人生やったんやないかと思いました。

10トンほど実家の荷物片づけたけど、そのほとんどがあきれるほど母の趣味の道具で、その関係のお友達にすごく恵まれていつも忙しく楽しそうだった。

いわゆる縁側で夫婦ふたりひなたぼっこ的な幸せ像からは違ってしまいましたが、退職後母が自力で作った自分のコミュニティでは活き活きと楽しそうなのが窺えて、娘としては救われた気分になりました。実家も悲しい思い出ばかりでなく、きっとうきうきした母の気持ちもたっぷりつまっている。

『黒糖キャンディー』みたいな、恋愛とも友情ともよべない、でもあたたかな交流もあったんじゃないかと思うし、だから簡単に他人の人生に「かわいそう」というのは失礼ですよね。娘の知らない顔というのもあるので。


家族の絆は防波堤にはならない

 
正井)本に出てくるおばあちゃんたちは、何がしかの孤独に苛まれてますよね。現実のこの2年でいうと、コロナでさらに孤独の逃げ場がなくなったおばあちゃん、たくさんいると思います。

髙倉)余計につらかったかもね。

和泉)孤独が一番アレなのかも、老け込む。老けに対して一番いけないこと。

徳永)ひたひた来てますよね。孤独が。

和泉)家族の絆、てのも、ひとりが孤独に落ち込まないような防波堤にはならないよね。

髙倉)だからその家族のガチっと固まって、おじいちゃんおばあちゃんがいて、順番に死んでいって、っていう家の中で、お母さんが本当に幸せだったのかっていうと絶対にそんなことはないと思う。

「このくそやろう」と思ってたおばあさんもいっぱいいると思うから。

和泉)確かに。『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョナムジュ著/斎藤真理子訳/筑摩書房)でも家族の強い因習が描かれます。

そこから時も経ったけど、今は今で混沌としてる。1つ問題を超えたらまた今度は別の問題が2つあるような。終わり、おしまい!ってのがないということに、この年齢でようやく諦めがついたというか。

正井)さっき池田さんが朗読したところに、「生の不可解さ(「訳者あとがき」P184)」っていうのが書いてあって、生きていくことは不可解さが最後まで分からないまま終わっていく感じなのかなと。

池田)だってもう分かる気がしない。何かを達観することもないし。

和泉)また難しい問題が出てくるんですよね。

池田)そうそう。何かいろいろもがきながら。

和泉)自分だけじゃ家族の問題もとけないし。でも、人生のもう後半戦に入ったって感じがあります。覚悟っていうか。

髙倉)私はもうしまいの方に、しまう方に入っていってるけど。

でも何か、人から見たら寂しそうとかつらそうとかいろいろ不幸そうに見える人はいるかもしれないけどこういうの読むと、普通に人って何か仕事を成したいわけじゃなくて、そこに人生があって、それは不幸とか不幸じゃないとか人から見たもの、ひとくちでは語れなくって、それはそれで人生でそれだけですごいんだなっていうことがよく分かった。

和泉)日常がね、大変。大冒険せんでもいい。

 

やりたいようにやってきた女


髙倉)あのね、ひとつさっきからこれを言いたいなっていうのがあって。

「黒糖キャンディー」の、そのおばあさんがね、身長160㎝体重49㎏をずっとキープしていてボブヘアでモデルさんみたいな外見を何十年も維持してきたおばあさんが、でも親戚からは好き勝手やってきた女だからね、みたいな。

川上)そう。そこ気になった。

髙倉)でもこれだけじゃなくて、この小説全部に、最近読んでる小説全部に女性がおかれてきた立場みたいなのが、結構浮彫りにされているものって、自分が目につくのかもしれないけど、すごく多いなと思って。それが小説になっていろいろ読めるのはすごくいいことだなって。

川上)それで言うと私が気になったのが、ここ。

「やりたいようにやってきた女」という一見すると無害な表現のなかに隠された……

「黒糖キャンディー」P34

?どこが無害かっていう。

髙倉)いや、全然。でもこんな親戚にそういうこと言う人いるよねとか思って。

田中)毒まみれな言葉……。

川上)まぁまぁ毒っ気ありますけど。このレべルで無害なんだっていう。何回読んでもおかしい。

髙倉)それは思った。じゃあ、きつい表現は何かな?って。

和泉)「やりたいようにやってきた」ってのも、改めてその言い方、ジャリっときますよね。

川上)ジャリジャリきましたよ。

田中)何かそれも韓国の表現的なかんじがして。韓国っていうか、うちのおばあちゃんの口癖ですごい聞き覚えがあるなって。でも、日本でもありますけどね……。結構いじわるな感じ、言われ方を女性がするってのがあるように思いますね。

髙倉)でも家制度に縛られたりとか女性っていうことで低く見られるっていうのは韓国も日本と一緒っていうか、もっとそういうのが強いかもしれないね。儒教的な。日本だって何か一見フェミニズムとか言って、解放されてきてるみたいなこと言われてきてるけど全然そんなことないって思う。

川上)田舎に行くとまただいぶ違うっていう話もありますし。Yahoo!に上がってる夫や姑のモラハラ漫画とか見たって、全然ですよね。

田中)30歳くらいからかな。30代なったらもうおばちゃんって言われてます(後日調べてみましたが、韓国のおばちゃんと日本のおばちゃんはどうも意味が違うそうです)。

徳永)韓国で?

田中)ベンチとかでボーっとしてたら「おばちゃんそこどいてよ」みたいな。

川上)何歳から自分のことおばちゃんって言うか問題。


おばさんの呪い……「偉大なる遺産」


正井)「偉大なる遺産」の中に、唯一血縁じゃない「おばさん」が絡んでくるでしょ。お手伝いさん。ここに身分の格差みたいなのが書かれていて。すごい意地の悪い言葉がたくさん出てくる。

「あの人いい人かもしれないけど、とろそうじゃない?」って出奔したお母さんが言ったりとか。その人の息子が触ったピアノを絶対に触るな、とか。

徳永)2台買ったんだよね。

池田)「剥製」にしたっていうのがね。

川上)2台目を買って1台目を捨てないっていうのがいじわるじゃない?

正井)何かその底意地の悪さは、世代の問題なのか身分意識からくるのか。

川上)お前のはこっちだよって。

池田)あれは常に見せつける用に。これは男の子が触ったからこうなったんだよっていう。

正井)想像するに、韓国にある身分格差みたいなのも出てるのかな。

和泉)小説としてうまいなって。どっかで使いたいくらい。

髙倉)どこで使うんや。

川上)楽しみにしてます。

正井)この作品はいろんなチャレンジが詰まっていて、所々太字になってるのも何かきっと意味があるんだろうなぁっていう。

田中)それ気になりましたよね。

徳永)そうなんですよね。言おうと思ってた。

池田)これ分からんのよね。

正井)自分のことを書いているのに「彼女」と3人称を使うので、読みながら混乱して。最初さらっと読んだ時には、もう一人誰かいるのかと。

川上)「彼女」を名前にしてくれたらだいぶ分かりやすいんだけどなぁ、みたいな。

正井)人物関係が最初分かんなかった。起きていることをどこか距離を置いて見ているのかなあと。

池田)セラピストがでてきて、振り返りみたいなところがあるから、自分を外から見てる。

徳永)最後の一言で何か、バサリ、って。何かそれが良かった。

正井)あれですよね。「あんたのこと嫌いだし」みたいなこと言われる。

池田)結構呪いだよね。

川上)あんたはひとりで、永遠にひとりだって。

徳永)何かね、言われるんですよ。これ、以前ほんのひとさじ(vol.7)で書いたけど「誰々さんがあなたのことを、こう言ってたよ」って言い方をしてくる人がいて。
その時、「人が不幸になる話が好きなんだってねって、誰々さんが言ってたよ」って、言われたんです。

髙倉)言われたの?それ実話?

徳永)実話です。だからそれは、小説の書評か何かを書いた時に、誰かが不幸になる小説なわけですよね。それを誰かが読んで、それを……

髙倉)誰かが言ってたわよって?

徳永)そう。人づてに言われたことがあって。だからその時に私が「ええ、そうなんです」って。

髙倉)そうですけど何か?って?

徳永)それを聞いて、あなたはどう思ったの?って。

髙倉)どう思って聞いてるか気になるよね。

徳永)だけど、それに対する答えは返ってこなかったって書いたんですよ。

髙倉)聞いたんだ。すごい。すごいね。それを聞き返す。えらい。

(一同拍手)

徳永)でもそれがまさにここで、「ええ、いいんです」ってのと。

和泉)いつか私も使おう。

正井)違和感やほんとに言いたいことはあるけど、それをまるっと飲み込んで「そのとおりですが、あなたは?」って返せるのがすごい。

和泉)徳ちゃん前あったじゃない。「いま私が話してるんです」って。

徳永)何かこっちの返事を聞かない人に、「すみません。いま私が話してるんです」って。

正井)それ確か、咋年の読婦内の流行語大賞。

池田)そうそう。かっこいい!

川上)言ってみたい。言うタイミングがない!子どもに言おうかな。

和泉)「いまお母さんが話してるのよ」

川上)子どもになら言える。言うタイミングいっぱいある。

正井)よその人に言えるからかっこいいんだよね。

川上)そうそう。しかもお客さんで。

徳永)それは、それを思い出していろんなことを人が勝手に自分のことを評価して、あなたはかわいそうねとか不幸ねとか言っても「はい、そのとおりです。で、それが?」って言う。
この言葉を持っとくといい。

正井)「偉大なる遺産」は、ものすごい呪いに満ちている話なんですけど。

和泉)だいたい、小説って誰かが不幸になる話になるよね。

髙倉)幸せで話は進まない。

徳永)『死の棘』(島尾敏雄/新潮文庫)とかどうするんですか。

川上)棘&棘でしたよ。

田中)うちのもう一人のおばあちゃんは、この「偉大なる遺産」のピアノ触るなっていう側のタイプです。

正井)そうなんですか。その世代によくあることなんですか?

田中)たぶん育ちが裕福で、もともとはお嬢様なんですが、自分が言いたいことを「おじいちゃんがこう言ってたけど」と言いながら話してくる。
自分の考えやろ~!みたいな。

川上)それは孫はもう分かってるってことですよね。それ、おばあちゃんが思ってることだよねって。

田中)そうですね。おじいちゃんが亡くなった後は、私がパーマをかけたり、ヘアカラーをしていたら、それが気に入らず、「こんな髪型にして!」みたいな。「そうおじちゃんが言ってたよ」って。

髙倉)それを田中さんが言われたの?

田中)昔はそうでしたね。

川上)でも皆やってるもん、みたいなね。おばあちゃん黙る。

池田)そうそう。

髙倉)「黒糖キャンディー」のマニュキュアね。

川上)フランス語に訳して欲しくていろいろ聞いてるのに、面倒くさくて……。

正井)ちょっといじわるな……。

川上)分かんないけど言ってたね、みたいに済まされてる。それを分かってるおばあちゃんだよね。いま軽くいなされちゃったみたいな。

正井)その寂しさみたいなことがたまらない。

髙倉)もう巣立っちゃってね。子供がね。

川上)でもそこで「ちょっと待って、私はさっきブリィニエさんが私について何を知りたがっていたのか全部知りたいから、そこをもっとニュアンス含めてきちんと訳して」って言う熱意はあんまりない。
熱意っていうか、力がないっていうか。

正井)性格にもよるのかな。川上さんだったら「違う違う、私が聞きたかったのはそこ!大事なことだから教えて!」って食い下がれるんだけど。

川上)「あのおじいちゃん激推しなんだけど!あのおじいちゃんが私をどう思ってるか知りたいんだけど!」って。

正井)聞く自分が恥ずかしいって、ぺしゃって落ち込むタイプの人の方が多いのかな。

川上)自分で自分の人生に「いいね!」って判を捺さなきゃいけないわけですよ。

正井)それを鍛えないといけないと思います。筋力と「オッケー力」。

池田)それ。

川上)「俺、今日頑張った!」ボーン!みたいな。

正井)ハンコを押せる、厚かましさですね。

川上)それ大事ですよね。厚かましさには自信あります。

自分に引き寄せて読む

和泉)ちょうど1時間30分?くらいなので、そろそろ締めましょうか。ほぼ何か、本を少し離れて自分たちの話になっちゃった。

池田)大丈夫です。これがいつもの読婦の座談会なので。まさに延長戦、って感じですね。

川上)でも結局自分の出ますよね。自分の感情が出ないと読めない。

正井)自分に引き合わせて読むから。

池田)これを読みつつ、自分とか自分の周りとか、母とか祖母とか。

和泉)この本はまたね、近かった。立ち位置に。

川上)すぐそこですよね。

和泉)すぐそこ。何ならちょっと両膝埋まってる。

川上)入ってる?

池田)両足。めっちゃ入ってる。

田中)結構どの立ち位置にもいける。孫の気持ちも分かるし、母の気持ちでも。

和泉)さっきの正井さんが言ったけど、孫がちょっといじわるしてばあちゃんにあんまり構わないって、昔、うちのおばあちゃんにやった気がする。

正井)みんなちょっと覚えがあると思うんですよ。祖母を甘くみるというか、意地の悪い、少し残酷な気持ちを持ってしまう感じ。

髙倉)ちょっと軽く扱っちゃうみたいなね。

和泉)おばあちゃんが縫ってくれたスカートがあんまり趣味に合わなくて……。

正井)ないがしろにしていいと思ってしまう。

髙倉)『魔女の宅急便』に出てくるニシンのパイを嫌がられるおばあちゃん……。

和泉)やだ~。履かなかったスカートの柄をものすごく覚えているんですよ。

正井)そういう時、しょんぼりするおばあちゃんってたまらない。

川上)ちょっと齧ってやれよパイくらいみたいなね。

髙倉)でもそれで孫のことをひどい孫だねって悪く言わないっていうかね。

川上)あとこのナッツの匂いのコートね。ナッツの匂いのコートって……って思ったけど、防虫剤?それが自分の匂いじゃないんですよ。

自分の世代の匂いじゃなくて1個上の匂いをナッツの匂い。いい匂いなのそれって?どんなの?みたいな。


男女の時間離脱ロマンス


池田)最後に何か言い残したことはないですか?

田中)おすすめのドラマがあるんですけど、ちょうどこれを描いてる時に観始めて、おばあちゃんのヒントにもなったドラマで、ハン・ジミンさんという女優さんが出てくるドラマで「まぶしくて」っていうのがあるんですけど。

川上)「まぶしくて ―私たちの輝く時間―」。アマプラで観られる。

アナウンサー志望の25歳キム・ヘジャは時間を戻せる時計を持っている。父親の交通事故の前に時間を戻そうと時計を回したが、一瞬にして両親よりも年老いた70歳になってしまった。

「まぶしくて ―私たちの輝く時間―」

これも何か繋がる感じですか?

田中)そうですね。おばあちゃんが出てくるんですけど。ちょうど私がそれを見てる時にこの絵も描き始めて。頭がもう……ドラマに行ったり本に行ったり……。

川上)結構イメージが出てくる感じですよね。たぶん。描くモードになりそう。

池田)25歳と70歳だもんね。

田中)そうなんですよ。女優さん、キム・ヘジャさん、韓国の大女優さんで。

川上)「同じ時間の中にいるが、お互い異なる時間を生きていく男女の時間離脱ロマンス」

正井)男女の時間離脱ロマンスってどんな括りなの?

川上)書いてあるもん。

池田)書いてある。書いてある。たしかに。でもこれ、日本用に結局何でもラブロマンスにしてしまう、みたいなね。

田中)そうなんですよ。何かこのタイトルじゃなかったらもっといっぱい観るんじゃないかと思ったんです。

池田)もういい加減あれ、やめてほしいよね。韓国のドラマ、全部ピンクにするみたいなやつ……。


作家ノート


徳永)作家ノートって全部につくのいいですよね。

正井)私もいいなぁって思った。

池田)短編の最後にそれぞれ「作家ノート」がついていて、ここでまた短編を振り返る余韻が生まれる。この余韻が良いよね。

川上)いきなり次の話にならなくてね。それが良かった。

田中)いつもこういうのあるんですか?

池田)これちょっと初のパターンです。作家ノートがあったのは。

正井)これは原書にも作家ノートがあったんですか?

池田)これあります、原書に。


おばあちゃんになれなかったおばあちゃん「きのう見た夢」


正井)最初の作品に戻りますけど、「きのう見た夢」面白かったです。これいろいろ食べたくなっちゃうんですよね。料理がいっぱいでてくるから、思わずチゲ作りましたもん。

田中)お酒も調べました。

池田)そうそう。それでこういう時にこういう料理をするんだー。みたいな。

正井)お祀りの仕方もへーって思ったし、夢に夫のことを悪く言ったら、夢にでてきて。

徳永)分かる。

川上)夫があちこち夢の中出てきて、こっち、みたいな。

正井)最後の「みんな放り込め!」っていう魔女鍋みたいなの、スカっとして良かったな。

和泉)一番おばあちゃん感が……。

和泉)この路線で行くのかなと思ったら大違いだったから。

池田)でもこのおばあちゃんの人生もなかなか辛いなって。後妻っていうか、嫁ぎ先に子供がいて、仲良くなれるかなと思ったらその瞬間にハプニングがあってそこから断絶みたいになって。

川上)いいこと1個もない。

池田)そうそう。ずっと恨まれてる。

正井)結局誰とも手を繋げなくて、同じ立場で話せる人いなくて。のっけから結構寂しい話だなぁって。

 

和泉)作品のおばあちゃんの話から自分たちの実際の家族、そして老いの問題まで話が広がって、あっという間の2時間でした。

自分が子供だった時、母になって、そして年をとった時という自分の時間軸でも読めるし、それこそ祖母、母、娘の、家族軸の視点でも読めたと思います。

そうなると田中さんの装画の二人もなんか迫ってきます。昔や未来の自分が互いにエールを送っているような、あるいは世代もばらばらの女性たちが手をふりあっているような。

地雷のような孤独は怖いけど、それでも田中さんの絵のようにこの道は誰かが生きた道だから、今も誰かがどこかで生きている道だから絶対な孤独ではない、と生きていきたいですね。

そもそも読書って、本の中にも同志を見つけることができる素敵なツールですから。

田中千智さんのスケッチブックを見ながら


(2021.11.14 本のあるところ ajiroにて)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?