「〇〇の定義」(ライチ編)
どうも~!家事へのモチベーションが落雁よりももろいライチです~!
○○の定義…これ決まった時からずーっとずーっと考え続けている、難しいお題です。
いくつかの候補の中でも大きすぎるテーマを、どうしようもない煮込み不足のままぶつけます!
きっかけは、ある美術展に行ったこと。
19世紀のフランス画壇に革命を起こした印象派作品と、それに直接間接の影響を受けた近現代作品を並べる、意欲的な企画でした。
なぜこのふたつを選んで並べたのかを理解するには、絵のそばのキャプションが頼りなわけです。
キャプションを読んでいて私はあることに気づきました。
(あっ、この人…「美しい」って使わないようにしてる)
私のようなドシロートが何を見ても、「はー!うつくしいっ!」って感想しか出てこないのに、さっすが学芸員です。
「あざやかな色がいきいきとしたリズム感を生み出し」とか、「鋭い線とおおらかな面の調和」みたいな感じで、豊かにこまやかに、見る人の心を震わせる理由を「美しい」以外の文字に置き換えているわけですよ。
それで思いました。
美しいって言葉には絶大な肯定力があるけれど、裏を返せば、それにあてはまらないものを否定する強い力もあるのかも、と。
例えば「この女優の抜けるような白い肌が美しい」と書いてしまうと、白い肌以外は美しくないみたいになってしまう。
くだんの学芸員さんは、いや、もしかしたら全国の美術館の学芸員さんはみんな、美しいという言葉の肯定力/否定力を踏まえて芸術作品のキャプションを書いているんじゃないか。そんな気がしてきました。
広告の世界では数年前からダイバーシティがキーワード。
激やせのモデルさんを使わないと宣言する企業があらわれ、プラスサイズの体型や、多様な人種と民族、幅広い年齢のモデルさんが起用されるようになりつつあります。
人が好感をもつルックスにはある程度決まった傾向はあるとはいえ、もう「若い、細い、鼻が高く目がぱっちり」みたいな典型的な美人像って存在しない時代だなあと思うし、そうあってほしい。
そこで、ライチが恐れ多くも定義します。
美しさとは、
文化の違いや人の個性を広く受け入れる、豊かで快いもの。
ひとつの価値観にあてはまらないものを否定する暴力であってはならない、と。
もはや耳タコ気味のフレーズですが、これから日本にも海外の人や文化がどっと入ってきます。
その時に「新鮮!おもしろい!」と受け入れるか、
「えっ?ありえない!」と拒むか。
「美しさ」の引き出しが多い人ほど、柔軟に変化を取り込んで、自分の一部にしていけると思うのです。いかがでしょうか?
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