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うつ状態から「運動脳」で脱出した私の体験談

「運動脳」を読んでみた

書店で平積みになっていたのが目に留まり、サンマーク出版の「運動脳」(アンデシュ・ハンセン著)を読んでみた。「スマホ脳」などのベストセラーで知られるスウェーデンの精神科医の新刊である。詳しい内容は買って読んでいただくしかないのだが、本書の9章にまとめてある内容で雰囲気は伝わると思う。

  生物学的には、私たちの脳と身体は今もサバンナにいる。私たちは本来、狩猟採集民なのである。
  この事実をこれまで述べてきた内容――運動をすれば、脳の機能が強化される。気分が晴れやかになり、不安やストレスが和らぐ。創造性が増して、集中力が高まる。逆に身体を動かさないと不安にとらわれて悲観的になる。物事に集中できなくなる――と合わせて考えれば、現代人を悩ませる「あらゆる心身の不調」は、身体を動かさなくなったことが原因だと考えていい。
  人類は、「生物としての歩き方」が間違っているのだ
アンデシュ・ハンセン 「運動脳」第9章

サイクリングやランニングのような有酸素運動を習慣的に行うことで、脳細胞が増え、海馬が大きくなる。集中力が高まり「うつ」にも「認知症」にもなりにくくなるということを、数々の科学的根拠に基づいて記述してある。
どこまで本当かは疑うべきかもしれないが、私が約10年前にロードバイクを買って有酸素運動を習慣的に始めてから体感してきたことはまさにこの本に書いてあることとほぼ同じであり、大いに得心した。心身の不調に悩む人の参考に少しでもなればと思い、私の体験をまとめてみる。

若い頃はワーカホリック

私は元々、ワーカホリック(仕事中毒)傾向にある。負けず嫌いの性格で、他人に負けないためには他人より努力するしかない、と信じて実践してきた。受験勉強では親に心配されるほど勉強したし、社会人になってからも残業や休日出勤で他人より成果を残そうとすることが癖になっていた。ソニーに就職した1987年以降はバブル絶頂へ向かい「24時間戦えますか?」のCMが流れる時代。当時急成長のソニーは他社より先に製品を出すためには深夜残業、休日出勤当たり前。月の残業時間は60~80時間くらい(+サービス残業)、土日のどちらかは休日出勤していることが多かったが、残りの週末は会社のテニスコートにいた。今にして思えば、テニスで身体を動かしていたことで精神を正常に保っていたのだと思う。

40歳になる前にマイクロソフトに転職したが、外資系IT企業の日本法人社員はより派手に昼夜を問わず働く。昼間は日本の顧客と打ち合わせに追われ、深夜早朝のシアトル本社との電話会議も頻繁で、土日はたまったメールの処理に追われていた。

社長になって「うつ」状態に転落

その後、当時まだベンチャーだった㈱ユビキタス(当時)に入り、取締役としてJASDAQ市場への上場を経験。2011年突然の前任社長の退任に伴い消去法で私が社長に就任した。当時の経済はリーマンショックの深い傷を受けていた上に、直後に東日本大震災が発生し追い打ちを受けた。顧客である大手家電メーカーの勢いが急速に衰えるにつれて経営が厳しくなってきた。私は少しでも打開のヒントを得ようとし、週末にビジネス書を読み漁り、寝ても覚めても会社のことが気になるようになっていた。週末子供と公園で遊ぶ以外に身体を動かすことはほとんどなくなっていたし、平日の夜は証券会社・銀行や顧客との会食も多かった。結果として私の腹回りもぽっこり膨らんできて、人間ドックでメタボや脂肪肝の警告を受けるほどになっていた。

経営悪化して赤字転落すると株主から叩かれY!掲示板では誹謗中傷される。給料の上がらない社員や役員会の雰囲気は悪くなり、週末には休日出勤している社員から経営陣を批判するメールが届くようになる。長い返信書いて週末レスを繰り返しても無限ループに陥り、気になって眠れず朝も4時くらいに目が覚めてしまう。あまりに眠れないので会社近くにあった心療内科を訪ね、簡単なアンケートみたいなのに自覚症状を答えた結果、医者は重度に近いうつ病状態ですね、と診断した。抗うつ剤と睡眠薬を処方されたものの、なんだかぼ~っとしてくるだけで効果を感じることはなかったので2回通っただけでやめてしまった。

ロードバイク買って人生変わった

2012年、そんなうつ状態の私が気分転換のために「ロードバイクを買ってもいいか」と妻に言ったら、思いがけず許可が出た(感謝)。高校生の頃ドロップハンドルのサイクリング自転車で通学していたこともあり、スポーツ自転車で走る気持ちよさは経験していたし、この頃はTREKのマウンテンバイクを街乗り用に使っていたが、週末に頭を空っぽにしてメール地獄から逃げるには携帯電波の届かない遠くに行けるロードバイクが良さそうに思えた。完全に現実逃避のための選択だったと言える。

最初は吉祥寺の自宅から多摩湖周って2~3時間で帰るくらいの短いライドから始めてだんだん青空の下を風を切って走るのが楽しくなり、奥多摩あたりまで足を伸ばすようになってきた。週末メールを見ることなく太陽の下で汗をかいて、きれいな景色を見ることがなんと楽しいことか。汗をかいて帰宅して気持ちよくビールを飲むと、朝までぐっすり眠れる。週末に読む本もビジネス書よりもロードバイク本が増えてきた。

その間も会社の経営状況は引き続き厳しく、社内のもめ事も継続していたけど、週末ロードバイク行くようになってから睡眠不足も解消され前向きな気持ちで仕事に取り組めるようになった。当時私は「現実逃避」が効果を生んだと思っていたが、「運動脳」にあるように有酸素運動をすることでストレスの影響を受けにくくなっていたのだろう。ロードバイクを買って半年後には群馬県高崎で開催される「榛名山ヒルクライム」という自転車で山を登るだけのヒルクライムレースに初参戦、途中で脚をついたりしながらも完走を果たし、挑戦⇒達成により気持ちがさらに前向きに。次の人間ドックでは脂肪肝も無くなり腹回りもすっきり。すっかり心身ともに健康状態に戻っていた。「運動脳」には運動のうつ病への効果についてこのように書いてある。

  うつ病ではない患者が抗うつ剤を処方されたとしても、ほとんどの場合、目立った効果はない。しかし、運動をすると、うつ病とまではいかないが気持ちがふさいで仕方がないという場合にも、目覚ましい効果がある。症状の程度に関わらず、運動をすれば誰でも気持ちが晴れ、悲観的な考えが浮かばなくなり、自尊心も高まるという恩恵にあずかれるのだ。
  ランニングには抗うつ剤と同じ作用があると私が言うと、たいていの患者は目を丸くする。そんな話は初耳だからである。だが、疑われたとしても不思議はない。たいていの人はこう思うだろう。「もし、それが本当なら、なぜ、みんな知らないんだろう?」
  世間に広く知られていない理由ーーそれはきわめて単純なことである。「お金の問題」なのだ。
アンデシュ・ハンセン 「運動脳」 第4章

その年の後半、私は経営責任を取って社長退任した。社長していた時代のSNSには会社の宣伝ばかりでロードバイクのこと一切書いてなかったので、「社長辞めてから元気になりましたね~」と言われること多いのだが、実はサイクリングという有酸素運動をする習慣を始めたおかげで元気になったのが先で、その後、社長を辞めた。ロードバイクを始めたことで自転車仲間が増え、週末に仲間とライドに出かけることも増えた。

2013年5月 ロードバイクを買って半年後、榛名山ヒルクライムレースに初参戦

ランナーズハイと坂バカ

ロードバイクを冬に乗るのはとても寒い。かといって冬場身体を動かさないのがすでに苦痛になっていた私は、冬のスポーツであるランニングをやってみようと思った。最初は2km先の近所の公園まで走るだけで膝が痛くなり、歩いて帰ってきた。3回目くらいからゆっくり往復走れるようになり、そのうち5kmのジョギングが苦にならなくなった。翌年にはハーフマラソンに挑戦してそこそこ走れたのだが、初フルマラソンは脚がつって5時間近くかかった。やがていわゆる「サブフォー」つまり4時間切りを目標としてトレーニングをはじめ、2015年12月の湘南国際マラソンでサブフォーを達成する。

「ランナーズハイ」という言葉ご存じだろうか。身体を動かすととてつもない高揚感を得られることを言い、フルマラソンのゴール前数キロなどで感じたことがある。「運動脳」ではランナーズハイが実在することを体内モルフィネ「エンドルフィン」による高揚感によるものと説明している。

運動が私たちの精神に及ぼす様々な影響の中で、「ランナーズハイ」は群を抜いて強烈な感覚なのである。(中略) あらゆる苦痛が消え去り、この上ない幸福感に包まれ、頭の中は冴えわたり、疾風のように速く、どこまでも永遠に走っていられるような気分になるのだ。その感覚はあまりにも鮮烈なので、一度経験したら忘れられない。
アンデシュ・ハンセン 「運動脳」 第4章

ランナーズハイと同じ現象がロードバイク乗りにも訪れる。長い登り坂をひたすら登り、峠が近づいて視界が開けてきたときに訪れる幸福感。坂の上でみんなで笑いながら「いい坂だった~」とか言っているのがいわゆる「坂バカ」。おそらく普通の人にはほんとに理解できない変態に過ぎないだろうが、当人たちはこれがこの上もない幸福なのだ。

2016年乗鞍ヒルクライムレース前の試走。標高2700mゴール後の至福の時

運動と挑戦は脳内ドーパミンを増やす

「運動脳」には脳内ホルモンであるドーパミンを増やすことで集中力が高まるということが解説されている。ドーパミンは報酬系として働く快感物質で、幸せな気持ちにしてくれる。ドーパミンを増やすにはどうすればよいのかというと

運動をした直後にドーパミンの分泌量が増えることがわかっている。(中略)運動後には感覚が研ぎ澄まされ、集中力が高まり、心が穏やかになる。頭の中がすっきりして物事に難なく集中できるようになる。
(中略)身体に与える負荷が多いほど、ドーパミンの分泌量も増えるようだ。そのため、ドーパミンの量を増やすには、ウォーキングよりもランニングの方が適している。
アンデシュ・ハンセン 「運動脳」 第3章

また、新しいことにチャレンジして達成したり、新しい景色を見るとドーパミンが分泌されるということも言われている。自転車でさまざまな坂を登り峠をクリアしたりレースを完走することを繰り返すことでドーパミンの分泌が増えていたという事なのだろう。

経営者にトライアスリートが多い理由

ロードバイクとマラソンをやっていると「あと泳ぐだけじゃん」という仲間に誘われて、トライアスロンの世界に私も足を踏み入れたのが2016年。ベンチャー経営者からLIXILに転職する頃であったが、広く知られているようにトライアスロンをやっている人には経営者や医者などがたくさんいる。その理由を解説する本「仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか」や記事は多数ある。

野球やその他のスポーツは、もともとの身体能力などの素質が結果に影響してきますが、トライアスロンはトレーニングすればするだけ結果が追い付いてきます。目標を設定し、それを乗り越えたときの達成感や充実感が、経営者に求められる集中力や持続力にもつながるといいます。
経営者の必須科目?トライアスロンとマネジメントの関係性

実際の企業経営においては努力しただけの結果が出るとは限らないのに対して、トライアスロンやマラソンはがんばっただけ必ず結果が出るわけで、達成感や充実感が精神の安定をもたらす。ただし、やり過ぎは禁物で、「運動脳」にはこんな記述が:

どうやら脳が恩恵を受ける運動量には限度があるようだ。その限度を過ぎると、ストレス反応を抑えられるどころかむしろ強く作用して記憶力の低下を招くのだろう。(中略)脳を鍛えたり記憶力を向上させたいなら、ウルトラマラソンなどの過酷なレースに参加するべきではない。逆効果になるからだ。
アンデシュ・ハンセン 「運動脳」 第5章

ランナーズハイ中毒になって運動のやり過ぎはアル中みたいなものなんでしょうね。ほどほどにしておきましょう。

2017年トライアスロン 「LIXIL IRONMAN70.3 セントレア」  ゴール前のランナーズハイ状態

こちら側の世界へ「一歩踏み出そう」

テレワークが増えて家の中にこもっていることが増えている。もし心身に不調を感じている人がいたら、少しでも身体を動かしてみてほしいと言う思いでこの記事を書いた。ロードバイク買わなくてもよいしフルマラソンほど長く走る必要もない。家の近所をウォーキングすることから始めてみてはどうだろうか。

まず何よりも重要な点。それは、たとえわずかな一歩でも脳のためになる、ということだ。もちろん5分よりは30分の方がいいが、5分でもまったく価値がないわけではない。あなたが楽しいと思える活動からしてみよう。
より高い効果を望むなら、最低30分のウォーキングをしよう。
アンデシュ・ハンセン 「運動脳」 第10章

青空の下を歩いて近所の公園まで行ってみよう。それだけで気分は晴れるはず。脚が悪いのならスイミングや水中ウォーキングでも効果がある。
健脚なら低山ハイキングに出かけてみよう。山頂で食べるコンビニおにぎりのなんと美味しいことか。我々の脳は狩猟採集民と同じであって、歩いた先に得られる報酬としての食事にありつくと、この上ない幸せに包まれる。山で会う人たちはみんな幸せそうな顔をしていて、街中であるようないざこざを見たことがない。
ぜひ、一歩踏み出してほしい。それが習慣になればあなたも脳が喜ぶ「こちら側」の住人になれるはず。

家族への感謝

こうやって脳が喜ぶ状態で暮らせているのは、若い頃は仕事ばかりで家におらず、今は週末のたびに自転車や登山に出掛けて行方不明になる私を放し飼いにしてくれる妻と家族のおかげであるのは間違いない。最後に感謝を記しておきたい。


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