Translation: “I love you.”
日本人って、「愛してる」とか言わないの、悲しくない?
こちらの友達に言われたの。
言わないよねぇ。もしも家族との電話の最後に愛してるって言われたりなんかしたら、その後の安否確認をしてしまうわ。
でも言葉ってツールでしかないとかよく言うように、
「愛してる」っていう言葉それ自体に価値があるわけではない。
愛は見えないから、言葉にしないと分かりにくいから、不安になるから、便宜上、今のところ人類は言葉を使ってるんでしょう。
ただ、なんとなく、最近の世界は言葉による力を信頼しすぎている気がする。
言葉で説明できないものは存在しないように扱うのが正しいと言っているかのような、無機質な世界。
こちらにいると、日本よりも言葉に重きが置かれていると感じることはあるけれど、
だんだんとみんな、物質主義的な、ちょっとおかしな方向に向かってるのは、どこも一緒だと思う。
私も例外ではなく、「愛してる」の言葉を求めたことは何度もある。でも、ほんとうは、私が愛を受け取る準備ができていなくて、色んな人が与えてくれていた愛に気づかなかっただけなんだよね。
私は、「愛してる」と言われたことはないけれど…
あの人は、食べるのが遅い私といつも同じタイミングで食べ終わってくれたし、
あの人は、晴れ女だと言い張って天気予報を見ない私のためにこっそり折り畳み傘を持ち歩いてくれてたし、
あの人は、はるばる日本からイタリアまで腹巻きを送ってくれたし、
あの人は、一年以上一緒に過ごしていたのに喫煙者だということを私に気づかせなかったし、
あの人は、私が深夜までテスト勉強をしていると、なにも言わずに隣でコープのカタログを永遠と見ながら時間を潰してくれたし、
あの人は、悩んでいる私にアンパンマンマーチの歌詞を送ってくれたし、
あの人は、入学式で初めて出会ったのに、別れ際に「またね」って言ってくれたし、
あの人は、会うたんびに「うんち出てる?」って聞いてくれるし、
あの人は、薬についてたくさん勉強して、私ができるだけ薬を飲まなくても済むように力を尽くしてくれたし
あの人は、私がいない土地で、私のことを思ってお土産を買ってくれたし、
あの人は、いつも母を介して私のことを褒めてくれてるみたいだし、
あの人は、私のnoteをわざわざイタリア語に翻訳してまで時間をかけて全て読んでくれたし
あの人は、すぐに会えなくなることがわかっている私を、たくさんの大切な人たちに紹介してくれたし、
あの人は、留学に行く決断をした私に、最後の日まで、一度も「寂しい」って言わなかったし、
大きな愛たちを受け取る準備ができていなかった私は、これが「アイラブユー」だったことに気付くまでに、20年もかかっちゃったよ。
相手の愛に気づけるのは、心の中にその愛がすっぽり入る大きさの入れ物がある人だけ。
相手に言葉での説明を求めるんじゃなくて、全員が自分の中に愛の入れ物を作ることができたら、いいのにね。
きっと、私には見えていない愛が、まだまだたくさんあるんだろうな。
ちゃお!