人間は、人間である限り、完全無欠な者はいない。
この世は修行場。
従って、人生は修行。
人間に生まれたからには、この修行を持って生きねばならない。
「え?修行って、お坊さん、僧侶がするものでしょ?私たちのような一般人には関係ないんじゃないの?滝に打たれてとか、お経読んでとか、そういうのお笑いのネタだし。」
「確かに生きることそのものが修行のようなものですね。毎日が辛いことばかり。楽しいことなんてほんの一瞬。これがあと何十年も続くかと思うと、死んでしまった方が楽かも。」
「修行修行とか言って、意識高い系はうざい!どこか行ってほしい。人生楽しけりゃそれでいいじゃん?態々大変な方を選ぶ必要なんてあるわけないし。毎日、カラオケやって、アイス食べて、ゲームやって、おしゃべり出来たらそれで充分!人生最高!」
「私は、罪深い人間です。だから喜んで修行をします。ですが、あまり辛いのは無理です。やさしいコースでお願いします。」
「よく上司からおまえは修行が足りん!って怒られます。何のことだかさっぱりで…。私なりに一生懸命に仕事しているつもりなんですけど…。」
「私にとって修行とは、心の成長っていうか、人生道を学ぶことです。どのような時も平常心でいたいですし、もっと修行をして、人生の成功者になりたいんです!何か良い修行の研修があったら教えて下さい!」…。
人間が解釈する「修行」とは、様々あるようだ。
古典なものでは、「修行」とは、財産・名誉・性欲といった人間的な欲望から解放され、生きていること自体に満足感を得られる状態を追求することを指すと云われている。
己、世俗的な習練、習い修めを表す語である「修業」と混同することなかれ。
人間は、人間である限り、完全無欠な者はいない。
「いやあそんなことはありません。私は完璧です。社会的にちゃんとした地位も身分も財も信望もあって、自分なりに毎日真面目に生きています。これまで誰にも後ろ指をさされたことなどした覚えもありませんし。だから私は巷の人たちとは違います。一緒にしないでほしい!」
と思っている者、案外多し。
もし僅かでもそのような自己流の性根でいるならば、もう一度、一から人間やり直した方がいい。
あの世で修行が足りん!とされるだけ。
人間は知らないことがあまりにも多い。
だから道理を悟るため長い時間を掛けて繰り返し人間やっている。
謙虚に素直に正直に、今は人生修行に励むしかない。
そのことを肝に銘じ、道理への学びと真理への探究、実践を怠らず、日々、修行に勤しみます。
有難う御座います。
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者