“昨日の世界”で自分が仕出かした事への「罪」の償いが含まれている。
今一つ、重要なことがある。それは苦労への人間の解釈。苦労は出来るだけしたくない(子にはさせたくない)。苦労をすることが分っているならば、当然楽な方を選びたい。面倒だ!疲れる!そんなの意味がない!ウザい!恰好悪い!実は、この考え方、意識に、大いなる問題有り。実相には、目には見えない感じ得ない力の働き、影響力がある。苦労は、この実相の働きとして現れている。苦労も様々な意味を有しているが、この中に、“昨日の世界”で自分が仕出かした事への「罪」の償いが含まれている。このことは、本人当に忘れている(この世では思い出せない仕組みがある)実態はあるものの、そのような働きを無視したり避けたり、逃げたりしていても、どこまでも増幅して追いかけてくるという真実がある。従って、苦労は罪を償う、浄化する、最大、最高のチャンスだということを推してしるべし。従って、己自身が苦労に向き合うことは当然としても、我が子に苦労をさせたくないなどは、笑止千万。みすみす、成長の機会、罪への浄化の機会を摘むことになりかねない。そのような権利は親や他人にはない。であるからして、「苦労」や「困難」が訪れた時こそ、人生最大のチャンス到来とばかりに意気揚々と体当たりで事象好転に立ち向かっていくこと(子にはそれを後押しして手を出さずに我慢をして見守ること)。「苦労よ、ど~んと来い!」「苦労は買ってでもしろ!」。人生をより良くし、極めていきたいのであれば、実践してみるといい。
そのことを肝に銘じ、苦労、困難に立ち向かいます。
有難う御座います。
いいなと思ったら応援しよう!
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者