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【転職体験記】 転職で人生転落、、、そして救われた

#転職体験記


1.わたしの職業歴

 56歳で早期退職し、フリーの立場になって60歳を迎えた今、職業人生を振り返って気付いたこと、”転職で痛い目にあったけれど、それによって人として救われた…という事実である。
 収入と地位という観点で見るならば、37歳での転職を機にピラミッドの底辺に転落した。転落の要因は企業文化への不適合であった。しかし、組織人として脱落したことが、人としての再生の一歩であった。
 
 22歳・・・就職 コンピュータメーカ 営業職
 29歳・・・転職 資材メーカ 営業職
 37歳・・・転職 金融系システム会社 営業職
 43歳・・・出向 金融機関 事務職
 56歳・・・早期退職 非正規ワーカーへ

2.20代での転職 ワークライフバランスを求めて 

  新卒で就いたコンピュータメーカでは、営業マンとしてヒューマンスキルとテクニカルスキルの両面を着実に伸ばすことができた。システム営業はコンピュータ技術と顧客業務の知識に加えて、提案からクロージングまで関係者をとりまとめる調整力、プロジェクト推進力が求められる。やりがいと達成感があり、成長という観点では充実感のある職場であった。先輩や同僚にも優秀な人材が多く、刺激的な毎日であり、キャリアの将来像もイメージできた。
 その反面、業務量は限度なく拡大し、深夜残業、休日出勤が常態化し、徹夜作業も珍しくなかった。トラブル発生時には休日でも”ポケットベル”で呼び出され、心身の負担が大きかった。システムエンジニアやフィールドエンジニアに休日出勤や徹夜作業を依頼することも忍びなかった。自分自身が家庭を持ち、子どもが2人できたタイミングで、平穏な家庭生活を維持するために転職を決めた。当時はそのような言葉はなかったが、ワークライフバランスを確保することが目的であった。365日稼働する社会的インフラを担うコンピュータ業界では業務が最優先であり、キャリアを捨ててでも別の業種へ転職することを決めた。そしてトイレやユニットバス等の住宅設備機器メーカに営業職として採用された。
 

3.30代での転職 スキルアップを目指して

 ワークライフバランス確保を求めた住宅設備機器メーカでの勤務は、その点では狙い通りだった。深夜残業は皆無であり、イベントで休日出勤することはあってもしっかり代休をとることができ、働きやすさでは問題はなかった。その会社に10年弱勤務し、課長クラスの資格試験にも合格し、安定は手に入れたはずであった。しかし、工事業者相手のルートセールスという仕事からは知的好奇心や向上心に刺激を受けることはなかった。課長に任命されると、ゴルフや飲食等による取引先との関係維持が主要任務となっていく。そこに自分の将来を描くことはできなかった。中小企業診断士という資格も有していたわたしは、経営企画の分野で自分を向上させたいという願望を持ち、再び転職を決意した。
 シンクタンク、コンサルティング、システムインテグレーションの3つの事業領域を持つメガバンク系の◯◯総合研究所(総研)という会社の求人に応募してみると、システム部門の営業職として内定を得ることができた。その環境で自分のキャリアをデザインしたいという意欲をもって◯◯総研に入社した。マスメディアに頻繁に論客として登場する◯◯総研は輝いてみえた。憧れの企業だった。

4.異文化での挫折 

 キラキラ輝いて見えた〇〇総研に入ったわたしは有頂天だった。同窓会で旧友に名刺を渡すとき、心のなかで優越感に浸っていた。
 しかしそこは鉛のような重い空気の漂う仕事場だった。◯◯総研の営業職の仕事は、かつて20代で経験したコンピュータメーカの営業職のそれとは仕事のやり方や思考方法が全く異なっていた。企業文化が根底から異なっていたのである。コンピュータメーカでは顧客指向であり、社内もフラットな関係性であった。しかし産業界の頂点であるメガバンクの文化を持つ◯◯総研には顧客指向という感覚が薄く、顧客企業をコントロールすることが有能な営業力として評価され、お客様第一のわたしの営業スタンスは”顧客の言いなり”として非難された。また上下関係が厳格で、今でいうパワハラ風土もあった。”指導”という名目での人格否定や毎日の叱責に精神的に追い詰められる日々であった。判断基準や行動原理を会社に合わせることができず、自分の羅針盤が狂い迷走した。

 処遇でも大幅減給というダメージを受けた。途中入社のわたしは既存顧客を持たず、飛び込みセールスで売上を作る必要があった。企業の中枢神経でもある情報システムを新規開拓で受託することは、ほぼ実現不可能なことである。それでもインフラ強化案件等を新規獲得し、3千万円の売り上げは確保した。しかし予算3億円には遠く及ばず、最低評価とされてしまった。ちょうど年功序列から実力主義に日本企業全体が変わろうとしている時代に、最先端を走る◯◯総研は真っ先に”実力主義”に舵をきっていた。実力主義というと聞こえはよいが、評価軸によって結果はいくらでも色付けできる。フィギュアスケートで技術点と芸術点の比率を変えれば、結果は全く異なるものになるであろう。わたしは確かに売上高は最低だったが、新規開拓は随一であった。しかし、最低評価の場合は、即降格になるという制度が施行されたばかりであった。絶対評価ではなく相対評価なので、誰かが最低評価になる。踏み台にされたと感じた。
 前職と同レベルの給与水準を維持できる条件で入社したのであるが、実際にはその給与レベルより1段低いランクに位置付けされ、調整金という嵩上げで前職並みの処遇を受けていた。しかし、降格により調整金が消失し、実質2段階降格という処遇となった。30代後半のわたしは、30代前半の給与水準に転落した。金額として年収700万円台から500万円台への急降下であった。
 業務内容は知的刺激に満ち、ビジネスマンとして成長できる環境ではあったが、パワハラによる精神的圧迫、そして大幅減給という状況に自信喪失し、自己否定の感情に支配されてしまった。職場に居場所は無くなり子会社への出向を自ら申し入れた。出向では銀行グループ内のクレジットカード会社事務センターに勤務し、地味な業務に従事して10数年を過ごした。降格からの出向者に敗者復活の道はなく、30代前半の給与水準で50代までを過ごした。周囲は金融機関の高年収社員ばかりで、同じ業務内容で収入半分という経済格差を痛感した。惨めな会社員生活を味わった。

5.得たもの 失ったもの

 56歳のとき出向先の業務が廃止となった。出向元への復帰の辞令が出たが、パワハラと減給の苦渋を経験したその職場に戻る気持ちはなく、気持ちを一新してセカンドキャリアへ挑戦するため早期退職を決意した。その後、職業訓練校でITを学び直し、非正規雇用の立場で小さなIT系企業に職を得た。年収は300万円を切るが、会社組織に依存せず、自分のスキルで生活していく自信と自由を得ることができた。生き返ったような毎日である。
 振り返ると、30代までは順調に会社員としての実績を上げてきたものの、ステップアップを目指した37歳での転職で、会社員としての地位と収入を手放したといえる。得たものも失ったものを客観的に整理してみたい。

1)得たもの
 ・知識とスキルの幅、適応力
   3つの業種と職種を経験し、スキルと知識の幅が拡がった。
   どの業界、業種、職種でも通用する自信を得た。
 ・価値観の多様化
   異なる企業文化に接することで多面的な視野と価値観を得た。
 ・ドラマ、感動
   人生は映画である。落差の大きな波を味わった。
   退屈で凡庸でな会社員人生ではなく、スリリングで刺激的だった。

2)失ったもの
 ・スキル積み上げ
   ひとつの業界、職種に特化しなかったためスペシャリストという
   強みがない。
 ・経済的損失
   2つの転職でキャリアをクリアしたため昇格の機会を失った。
   生涯賃金では数千万円の大きな差が生じた。
   周囲が高収入の金融機関社員のため、”経済格差”を痛感した。
 ・精神的危機
   自信や実績を失い、パワハラ、降格により精神的に追い詰められた。 
   通勤時そして帰宅時に線路に吸い込まれる自身の姿が繰り返し脳裏に  
   浮かんだ。
 
 収入や社会的地位を評価軸とするならば、わたしの会社員生活は底辺に位置するものだ。しかし、人生の評価軸を人間としての成長とするならば、挫折により多くのものを得ることができた。37歳の転職で挫折するまでは、わたしは目標をほぼ達成し実現してきていた。自信に満ち高慢でもあった。部下のみならず、同僚や上席者に対しても腹では見下していた。それは家庭生活においても同様で、妻や子どもたちに計画通りの行動を期待し、それができないと冷たく突き放していた。完璧主義で減点主義のわたしはネガティブな気配を周囲に発していたのであろう。気付けば自分は孤独であった。会社では空回りしていたし、チームワークで何かを成し遂げる喜びを感じることはなかった。家庭では夫婦仲は悪く、子どもたちは生気を失い、円満であたたかな場所は存在していなかった。
 会社生活で業績を上げ、順調に昇進していったならば、わたしのパワハラ、モラハラ気質はエスカレートし、部下や家族を押しつぶしていただろう。想像するとぞっとする。しかしながら、自分自身が挫折し周囲に踏み台にされることで、弱者の痛みがわかり、減点主義ではなく、不完全なものをありのままに受け入れるポジティブな価値観を得ることができた。家庭も落ち着き、子どもたちは自分の進路を見出し、無事に自立することができた。

6.まとめ 転職に必要な要件

 転職によって活躍のステージを高めて自己実現を図ることが理想の姿とは思う。しかし、ジョブ型雇用ではない日本企業においては、”就職”ではなく”就社”の色合いが強い。採用された企業で通用するスキルを持っていることは当然として、企業文化や風土への適応度合いが、転職の成功の鍵を握っているように思われる。 
 企業選定では数値や文字に現れる情報だけではなく、社風や企業文化という目に見えない要素に対する慎重な見極めが必要である。また、どの企業文化にも柔軟に適応できる”ヒューマンスキル”が重要である。誰にも愛される魅力的な人格、誰をも愛すことができる寛容な人格が成功のカギではないだろうか?      


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