新潟 長岡の旅!その①
山形の友人から、ある日LINEが来ました。
「4月、長岡に用事があって行くのね。せっかくだから今回は一泊して長岡市の縄文関連施設を見学しようかなと思うんだけど、一緒に行きません?」
なんと!!
その数日前、映画「縄文にハマる人々」をネットで見たばかりで、行きたい博物館の中に、ちょうど長岡の博物館もあったのです!
それに長岡という地名は韓国在住時、NHKワールドプレミアムで「長岡花火」を見て、その背景である「長岡空襲」の事実に大変驚き・・・
一生のうちで、いつかは必ず訪れたい場所だったのです!!
今回のような機会は、なかなかない!
思い切って行ってまいりました、新潟県長岡市へ。
まずは初日。
友人とお昼時、長岡駅前で待ち合わせ。
それから、友人が大好きな越後長岡小嶋屋の「へぎ蕎麦」を食べに行ったのです。それも、美味しい新潟の日本酒付きで~♪
へぎ蕎麦は初めて食べましたが、コシがあってさっぱりして美味しかったですね・・・
美味しいお蕎麦と新潟の日本酒の「昼飲み」なんて~
大人の最高の贅沢です☆
それから友人と別れて、その日は長岡観光ひとり旅です。
今回の旅行について、友人から以下のことを聞いていました。
長岡市は市内が二度、破壊されてる。
それは戊辰政争の時と、第ニ次世界大戦の空襲の時。
この日本のどこにでもある小さな町で、そんな大きな歴史舞台の被害を受けたかと思うと・・・
土地の痛みを感じつつ、慰労の想いも込めて、一歩ずつ歩いて回りました。
まずは、戊辰戦争編。
映画「峠 最後の侍」の主人公にもなった、河井継之助記念館へ。
「西軍5万人にたった690人で挑んだ幕末の風雲児。河井継之助」
当時、長岡藩(=国)を想い、命を懸けた人がいた。
えっ、こんな人がいたんだ・・・
知りませんでした。
こんな素敵な人とそんな実話が.…
たぶん日本全国各地にあるのでしょうけどね。
次は、第2次世界大戦編。
長岡戦災資料館へ。
小さな資料館に入ると、担当の方が「20分ほどの映像があるので見ていかれませんか。」とお声をかけて下さいました。私ひとりしかいませんでしたが、ありがたくお願いしました。
そもそも「なぜ、この長岡という地をアメリカ軍が選択し、空襲したのか?」
という疑問が、奥深くあったからです。
結論からいうと・・・以下パンフレットから引用します。
(参考のために「全国の都市を襲った空襲」という表があったので、貼り付けておきます。)
その映像を通して、一番衝撃的だったのは「焼夷弾」の構造でした。
長岡市では8月1日10時26分から2日0時10分までの約1時間40分の間に、投下された焼夷弾は925トン、163.000発あまりの焼夷弾子弾が豪雨のように降り注ぎ、市街地の8割が焼け野原となって、わかっているだけでも1488人の尊い命が失われたといいます。
その日、足を引きずっておられた解説士のおじいさん(当時小学生だったとおっしゃってました)も、ご自分の経験を少しお話ししてくれました。
あの雄大で美しい「長岡花火」は、この慰霊の花火だったんですよね・・。
それからは、バスに乗って「道の駅 ながおか花火館」へ。
バスの中から、信濃川を見ながら・・・
いろいろな想いが、込み上げてきます。
この道の駅には長岡花火ミュージアムがあって、2階のドームシアターでは臨場感あふれる花火を見ることができるのです。
平日だったので、お客さんは私含めて4人。
プラネタリウムのような空間で、ゆったりした座席を横にして、花火を満喫しました。
泣いていたのは、私ひとりだったようです・・・
平日だったで直行バスがなく、一番近いバス停から20分ほど歩きながら撮った長岡の空。
それから夜は、まったりとひとり飲み。
友人は夕食を済ませて旅館に来るということでした。
なので長岡駅前の「長岡藩」というお店に入ろうとしたところ、おじさんばかりだったのでw
その隣のお寿司屋さんに行きました。
カウンター席で一杯、新鮮な海鮮たちが美味しかったです♪
旅館に帰ってからは友人と一緒に、昼間ご当地の名物を調達したので、またいろいろなお話しをしながら一杯しました。
素敵な長岡の夜に、乾杯です.…
(つづく)