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「照子浄頗梨」②江戸の黄表紙、小野篁地獄巡り顛末記
山東京伝(1761~1816)作画の黄表紙「照子浄頗梨」(1790刊)中巻の紹介。
小野篁の地獄巡りの話を使いながら、江戸の風俗を描いていく大人の絵本。
中巻
六
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そのころ娑婆においても、悪をさけ、善にすすむ者ばかりになり、男女ともに地獄に落ちる者少なく、極楽へ行く者多くなり、極楽も大繁盛して、新しく鉄砲浄土という場所ができ、お仙菩薩などという評判の菩薩ができる。
仏「♪ここの長屋の三日月お仙♪宵にちらりと見たばかり♪」
お仙「もしもし仏さん、これさ、寄っていきなよ。一杯飲んでいきなよ」
七
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篁は、死後、動物になってしまう畜生道を見物する。畜生道は、常に馬に乗せて責め、光陰の矢を射らせて責めるところなり。
馬をなでる男「こいつは馬ぶりはいいが、爪が平らで岩場は乗れねえ」
矢を持つ男「占い店と同じで、当たるも不思議、当たらぬも不思議。昔はよく遊んだものだが、今はこんなところで打つ打つうつ病だ」
弓を射る男「これはしまった、この矢は作りがよくない。それでも弓は作者名入りのいい弓だ。しかし惜しいことに弓の巻きが弱い」
馬上の男「とんだ暴れ馬だ」
馬は、くわえたばこで平気で走る。
見物の男「おお、しっぽをなびかせて走る馬だ」
馬「俺は娑婆で馬をいじめたので今の姿さ。まいったね」
八
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篁は、それよりまた、その次の修羅道を見物したまう。修羅道というところは、明け暮れ斬ったりはったり、シップをはったりしているところなり。そしてむやみに汗臭い地獄なり。色気のない地獄だと思うべし。
「よい技が出るぞ」
「一通り試合をしたら、後は練習練習」
「おいらは面倒だから面は打たないよ」
「やあやあ。こっちは剣術武芸免許皆伝ときてらあ。このうえおもしろい殺陣でも覚えれば、茶番劇にも出演できらあ」
「もう疲れた。いいかげんにたたき合ったら、夜は遊びに行こうじゃねえか。体が続かねえ」
九
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篁は、なおまた暗闇地獄というのを見物したまう。暗闇地獄というのは、勉強をせずに文字の読めない罪人を責めたまう所なり。まるっきりだめな罪人は、まず浄瑠璃本くらいの歌の本を読ませ、少しわかってくると貝原益軒の教訓本、道徳の本などを読ませ、それから少し明るい場所へ移動させ、難しい四書五経、歴史、詩集、当世はやりの心学の本を読む場合もあり。だんだん難しい本を読むようになると、満月の月のように明るい場所へ出る。この地獄の責めは、なかなか辛抱できかねる責めなれど、ただで勉強ができて知識がつき、はなはだありがたい地獄なり。
手前右「暗闇地獄の責めは、つらいぞつらいぞ。わしは忠臣蔵の物語を読みやす。おめえは小説を読んでるのか」
手前左「ねっから読めねえ。メールだって女房に読んでもらっている俺さ。もし、この字はなんと読むね」
手前右「わっちも知らねえや」
鬼の先生曰く「『春秋左氏伝』の筆頭というところは、天王河陽のかり、そして獲燐なぞでござる」
男「鬼の先生が何を言っているかまったくわからねえ。暗闇地獄に落ちたのが悔しゅうござる」
十
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また、それから篁は、飢えと渇きに苦しむ餓鬼道へ行き見物する。餓鬼道というのは、大盛りの飯からだけ火が燃えていると思っていたけれども、さにあらず、何ということなく、さまざまなものから火が燃えて、目の前に食べ物があっても何もできないのが餓鬼道なり。初鰹の刺身を食おうとすると火が出て食べられない。
「ああ、今までの報いか、しかたない、どうしたもんかなあ」
「ああ、頭からも火が出る。着物からも火が出る。こんなことなら服なんて買わなきゃよかった」
十一
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そのころ、極楽の浄土、歌舞の菩薩は地獄に知り合いがおり、やって来たら、罪人たち、いまだ菩薩を見知らぬゆえ、地獄に見ない美しさゆえ、いろいろ話しかける。
男「お盆になるまで待てねえや。ちょいとつきあいたいものだ」
男「サインしてくんなさるなら、かたじけ菜飯にお茶漬けだ」
菩薩「わたしゃスターの歌舞の菩薩じゃさかい、近寄って来なさんな」
十一場面の菩薩と罪人の台詞は、本当は男色関係のやりとりだけど、「18禁」にされてしまうので、意訳意訳。
江戸時代は、遊郭があたりまえにあったし、男の男娼もあたりまえにいた。男色は、戦国時代の男だけの戦場や、男だらけの僧侶の世界ではあたりまえにあった。こんな江戸の風俗や、当時評判だった「お仙」も菩薩にされてしまう。
地獄の様子を描きながら、そこに現実世界を戯画化して描く。
当時の人々には、「ああ、あのことか」とわかるものが多かったのだろう。現代の我々は、当時のできごとはよくわからなくても、「へえ」っと思いながら地獄の様子を楽しんで見てほしい。
また、「ウソをついたら舌をぬかれるぞ」というのは当時の常識。今は「
ウソも方便」どころか、詐欺でもなんでもウソが当たり前。
ウソも方便だが、地獄の恐ろしさを子どもたちに伝えたい。
ウソの物語でいい。「地獄少女」のアニメでもいい。子どもたちに見せたい。笑いの中の地獄の様子を伝えたい。
中巻はここまで。