
教科書の短歌③ 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 若山牧水
光村図書中学国語2年に載っている短歌作品。教科書には、有名な作者の有名な作品ばかり載っている。
短歌の代表作が並んでいるので、これらを暗記すれば短歌についてちょっと知っている気分になれる。
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 若山牧水
白鳥は悲しくないのだろうか。空の青色、海の青色に染まらず、白く漂っている。
白鳥は、ハクチョウではなくカモメだろう。ハクチョウは田んぼや湖にはやって来るけど、海には来ない。
白い鳥は悲しくないのだろうか(いや、悲しいはずだ)。「白鳥はかなしからずや。」と五七五七七の五七で「。」がくる二句切れ。「や」は、意味の切れ目の切れ字であり反語になっている。反語は、「○○だろうか、いや、そうではない」という意味があり、漢詩からきている。つまり中国語。中国の詩が、日本の表現にも生きている。「かなしくないのだろうか」という意味の疑問ではないかとの説もある。ここでは、「白い鳥よ、おまえはかなしいのだね。私もかなしいのだ」、という意味にとっておく。
空と海の青い色の中で、おまえだけが白い色でいる。ひとりぼっちで漂っているんだね。私も一人だ。
空は「青」、海は「あを」と文字を変えている。同じ青でも、少し色が違っている。それを文字で表現している。色つきの絵に描きたい。カモメもどんな様子だろう。波に漂っているのか、空を漂っているのか。
若山牧水(わかやまぼくすい1885~1928)は、旅を愛し、酒を愛した歌人。旅をしながら歌を作った。この歌も、ひとりぼっちの旅で詠んでいる。実は失恋の後の歌だともいわれている。自分のかなしみを白鳥に託して詠っている。
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく 若山牧水
いくつの山や川を越えて旅していけば、寂しさの終わる国があるのだろう。今日も旅をしている。「終てなむ国ぞ。」と五七五七七の五七五七で「。」のくる四句切れ。こんな歌を詠みながら旅を続けた。
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心 石川啄木
盛岡城の別名、不来方城。城跡の草原に寝転んで、心が空に吸い込まれそうになった15歳の心。青春の心情を歌っている。
石川啄木(いしかわたくぼく1886~1912)は26歳で亡くなり、純粋な文学青年のような顔をしているが、妻子を田舎に残し東京へ出て作家を目指していた。けれど酒を飲んでは女を買っている。
お金がないので故郷の先輩に金を借りる。そんな啄木に何度も金を貸したのが同郷で4歳年長の言語学者、金田一京助(きんだいち きょうすけ1882~1971)だ。国語辞典に息子の金田一春彦とともに名前がよく出る。今は孫の金田一秀穂がよくテレビに出ている。
三行書きの短歌を作った啄木は、「一握の砂」と、死後に出版された「悲しき玩具」、2冊の歌集を残している。
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る 石川啄木
有名なこの歌は、「~生活楽にならざり。」と五七五七で「。」がくる四句切れ。「。」で一息ついてから自分の「手」を見つめる。
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく 石川啄木
東京へ出てきて、故郷の訛りがなつかしい。地方からの客の集まる東京駅に、その言葉を聞きに行く。停車場は地方からの路線が集中する当時の東京駅。「そ」は「それ」、「ふるさとの訛」のこと。電話やテレビのない時代の話。「ふるさとの訛なつかし。」と五七で「。」がくる二句切れ。
教科書には、時代を超えて残った作品も載せてある。そういう作品を学校を卒業してからも忘れず、日本人の一人として覚えておきたい。声に出して言えるようにしたい。
今回で、「教科書の短歌」は終了。たくさん見ていただき、ありがとうございます。