「心学早染草」中 善玉、悪玉はここから生まれた~江戸の黄表紙、その現代語訳
「南総里見八犬伝」の作者、曲亭馬琴(1767~1848)が弟子入りしたほどの、江戸の大作家、山東京伝(1761~1861)の「心学早染草」(1790刊)の紹介、上中下3巻の中巻。
善玉の善魂が入っている目前屋理太郎は、成人して評判の息子となる。そこからのお話。
中巻
六
人が寝ているとき、魂は遊びに出る。
理太郎が十八歳のとき、ある日、疲れてうたた寝をした。
善魂は、日々悪魂を近づけないよう守っていたので、少しくたびれて、理太郎のうたた寝を幸いに、そこらに遊びに出たところ、例の悪魂は、よき折りだと仲間とやって来て、善魂を縛り上げ、理太郎の体に入っていった。
善魂「ええい、残念な」
悪魂「よいきみ、よいきみ」
七
その日、理太郎は浅草観音へお参りし、帰る途中、「俺は今まで吉原の遊郭へ行ったことがないが、一度くらい見に行ってもいいだろう」と向かいけり。
これは悪魂が体内に入っているからこそなり。
理太郎「いやいや、行こうとは思うけど、家では心配してるだろうな。しかし、ここまで来たからには見ていこうか。やっぱり帰ろかな」
と迷いながら行ったり来たりしている。これは悪魂のせいなり。
悪魂「俺は服を着ていない裸の客引きみたいだ」「よしよし、しめたぞ。そこだそこだ」「おいらは車を引っ張っているみたいだな」
八
理太郎は悪魂に引かれ吉原に来、見るだけで帰ろうと思っていたのに、いよいよ悪魂に引かれて、三浦屋の怪野という女郎を呼んで遊ぶと、たちまち魂がうかれて、家へ帰ることを忘れ、正気を失った。
悪魂「よいよい」「ありゃありゃ」と裸で踊る。
理太郎「ああ、いい匂いがする」「ああ、おもしろい。こんなおもしろいことを今まで知らずにいたことが残念残念」
九
かくして床入りをすれば、かの悪魂どもは女郎の手をとって理太郎の服を脱がせ、体を密着させ、また、理太郎の手をとって女郎の服の中へさし込む。理太郎は体全体がとろけるようだった。
怪野「もっとこっちへ寄ってきなんし。おお、冷たい体だ」
悪魂「家に知られたって、どうってことないさ」「まずは今夜の場面はここまで。ドンドンドンドンドン」
十
長年理太郎の体に住み忠義をつくした善魂は、悪魂のためにつかまり、理太郎の身の上いかがかと心配すれども、誰も縄をほどいてくれる者もなく、一人気ばかりあせる。
善魂「俺は芝居でつかまっている役の役者のようだ」
十一
悪魂が踊り疲れてすやすや寝込むと、理太郎はしきりに家のことが気にかかり、「俺はどうしてここへ来たんだろう。なんでこんな気持ちになったんだろう」と、夢からさめた気になって、帰ろうとすれば、悪魂目を覚まし、帰すものかと理太郎の体に飛び込めば、また、心変わりで居続けようとしたところへ、かの善魂、縄をようやく引きちぎり、一目散にかけつけ、手を取って連れ帰ろうとする。
悪魂は帰すものかと引き留める。
理太郎は左へ引かれれば、「ああ、いっそ居続けよう」と言い、右へ引っ張られるときは、「いやいや、早く帰ろう」と言って、廊下を行ったり来たりしている。
魂の姿は人には見えないので、店の男は、「わけのわからねえ身振りをするお客だ」
怪野「お帰りなんすとも、居続けなんすとも好きにしなんしな」
悪魂「綱引きみたいだ。オーエスオーエス」「ヨイサア、ヨイサア」
十二
理太郎はもとのように善魂が入ったので、この前の出来事は夢のような思いで、せっせと仕事をしていると、遊女怪野から手紙が届き、なんとなく開いてみれば、また悪魂、この文の中に入っており、理太郎にとりつく。
店の男「初めてのお客なのに手紙が来るとは、神代の昔にもないことでござります」
善魂、手紙を見せないように気をもむ。
ここまでが中巻。
模写の挿絵では描けていないが、理太郎の服に「理」の文字があるように、他の人物の服の「紋」なども、当時の読者には、「ああ、このモデルは誰それだ」とわかっていたのだろう。まわりの小道具なども、見る人が見れば、ああ、あのことだ、とわかるようになっている。
黄表紙作者たちが創っていた「狂歌」(五七五七七)も、百人一首などを元歌として、そのパロディーなどが多い。
江戸の文芸は、まったく新しいものを創るのではなく、みんなが知っているものをアレンジした作品が多い。百人一首だって、みんな知っていた。
歌舞伎などについても、みんなが知っている話を、どう表現するのかというところにおもしろさを感じていた。
そういう細かい部分やダジャレを楽しんでいたのが黄表紙でもある。
江戸の狂歌については、こちらで紹介した。
馬琴の「八犬伝」の挿絵を模写したものは、こちらのシリーズ。
今回のお話の全体はこちらから。