江戸の町に千手観音登場、奇想天外な絵本作品~大悲の千禄本
「大悲千禄本」芝全交作、北尾政演画(1785刊)
千手観音は、千の手を持って人々を救うといわれる。その尊い仏が、不景気のために手を貸し出すという奇想天外、荒唐無稽な物語の現代語訳。
円安不景気な現代の話ではなく、江戸時代の、絵と文が一体となった大人の絵本である黄表紙の作品。作者は、芝全交(1750~1793)。当時の代表的な黄表紙作家である。
挿絵は売り出し中の浮世絵師、北尾政演。後の大作家、山東京伝(1761~1816)の浮世絵師としての名前である。
大悲千禄本(1785刊)は、タイトルの前には、「御手料理」「御知而巳」(お汁の実)とある。このダジャレから内容も想像がつくことだろう。
こんな話を江戸の町の人々は楽しんでいた。
一
千本の手を持って人々を救うという仏、千手観音も不景気なのには是非もなし、いたわしや、千本の手を安く貸し出して収入を得ようとのこと。つらのかわ屋千兵衛、仏の手を、一本一両で計算して、金千両にて買い、自分で貸し出しをしようと、仏の手を切ってゆく。
観音「最初の三本切られるのをがまんしたら、もう痛くもない。中に悪い手があっても、もう契約済みだからお金は返さないよ」
手代てれめんてい兵衛「こちらは、おおかた手こずりました」
二
千手観音の「手」を貸し出すと聞くやいなや、まず薩摩守忠度こと平忠度を最初に、鬼の茨木童子、人形芝居の手がついていない捕手、手のない(手練手管のない)女郎、片腕の刀工・てんぼう正宗、無筆、三味線の初心者、そのほか手の必要な者、どんどん借りに来る。
貸し出し屋の手代、てれめんてい兵衛、帳面をつけている。
千兵衛「手相の良いのは一分がた高くなりまする」
千手観音の手がつるしてあるのは、たくわん漬の大根のようだ。
足のない男「もし、お足の余りがあればくださりませ」
忠度「拙者はご存じのとおり、『千載和歌集』に詠み人知らずと書かれているので、こちらも借り人知らずとご記入くだされ」
三
羅生門で源頼光四天王の一人、渡辺綱に片腕を切られた茨木童子は、観音の腕を借りたものの、毛のない腕は鬼らしくないと、毛をつける名人の与吉に頼んで、毛をはやしてもらう。
与吉「このごろはイノシシの毛は品切れで、シカの毛でつけました。私の妻は無毛だったのが、今ではむじゃむじゃとはえました」
与吉の女房「相手が茨木さんじゃ惚れる気がないよ」
四
平忠度が、平家の都落ちのときに切り落とされたのは右の腕、手を借りられるとは、あまりのうれしさに、あわてて左の手を借りてきてしまって、得意の短歌を短冊に書けば左右逆の左文字になり、これは困ったと、右の手を借りに行けば、もはや貸し切ってもうないとのこと、忠度、しかたないので左の手でむだ書きをし給う。
忠度「外聞が悪い。この歌は、『詠み人知らず』としておこう」(平家の都落ちの頃の歌集「千載和歌集」に、忠度の歌は「詠み人知らず」として載せられた)
五
手練手管のない傾城、すなわち遊女は、観音の手によって(手練手管を使って)客をだます。されども借り物の手なので、使用中に取りに来るのは困る困る。
傾城「この子は、客人の見ていさっしゃるのに取りに来るとは、気のつかねえことだ。さっさと持って行きやれ」
禿「それでもお店から取りに来られたものを」(禿は、遊女に使える子ども)
傾城「禿というものは、ポンポンと手が鳴ればお酒だと察し、客人は手がない女郎はどうしようもないと察しなんし」
客「おそろしく手のある傾城だ。手がタコの足のようだ」
六
文字の書けない無筆は、千手観音の手を借りて、自慢たらたら手紙や書類を書けども、仏の手なので、昔、お経を書いていた「梵字」ばかり出てきて、ひとつも役に立たず。
ケチなやつの考えは格別、このまま返すのも損なりと、ツメに火をともし、ロウソクのかわりにする(「爪に火をともす」は、ケチのたとえ)。
手「熱いよう、熱いよう」
男「はて、やかましいロウソクだ」
七
その頃、伊勢の国、鈴鹿山に鬼が住み、国民を悩ましているので、坂上田村麻呂こと田村丸に天皇より鬼退治の命令があれども、千本の手がなければ「一度放てば千の矢先」というお芝居ができず、手を借りに来る。
田村丸「一本南鐐銀一枚くらいで貸してくださらぬか」(南鐐銀一枚は二朱銀=一両の八分の一)
観音「貸し出し中で手は一本もござらぬが、取り集めてお貸ししましょう」
八
観音、千兵衛と交渉し、貸し出した手を集め、田村丸に貸して、また儲ける。
千兵衛、手をあらためる。女郎に貸した手は、客との約束でか小指がなくなり、握りこぶしのままで返るは、けんかの手傷。塩屋へ貸したのは塩辛く、紺屋(染め物屋)へ貸したは青く染まり、女中に貸したはぬかみそ臭い。あめ屋のは、ねばねばする。炊事場のはしもやけだらけ。もち屋に貸したは餅つきのマメだらけ。
千兵衛「人差し指と中指が変な匂いがする。こいつは合点がいかねえ。何に使ったんだ」
九
観音「そんなら田村丸殿、鬼神をみごと退治したら、利子をつけて千本の手を返しておくれよ」
田村「言うにやおよばず。大願成就したならば、利息をつけて手を千本お返し申さん」
観音「それまでは田村殿♪」
田村「かんのんさま~♪」
両名「さらば~♪」
手手手手
手手てんてんてんてんてててて手手手
てててててててててんてん手手手
てててててんてん
てんてんてん
特にストーリーがあるわけではなく、歴史上の人物や、現代のできごとをちゃかしている。それを読者はおもしろがっていた。細かいところに目を向ける、川柳にもつながる感覚。当時の江戸の町の人々の興味の中心がここにもあった。
そんな江戸の空気を感じてほしい。
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