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古川柳つれづれ 催促も質屋はゆるりゆるりとし 柄井川柳の誹風柳多留二篇④

 江戸時代に柄井川柳が選んだ誹風柳多留はいふうやなぎたる二篇の古川柳作品紹介。
 読みやすい表記にしたものの次に、記載番号と原本の表記、前句を記す。自己流の意訳を載せているものもあり。
 


地獄でも目明めあかしをする首二つ

150 地ごくじごくでも目あかしをする首二つ  ぎやうさんぎょうさんなことぎやうさんぎょうさんなこと


 目明めあかしは、同心の配下の岡っ引きのこと。悪人を捕まえる。
 地獄の閻魔大王の左右には、男女二つの「見る目」「かぐ鼻」という首が乗っている。女の首は臭いをかいで、男の首は相手を見て、生前の善悪全てを見分けて閻魔大王に告げるといわれる。それを目明かしにたとえている。
 ウソの話だと思いつつも、地獄の閻魔大王のことを考えたら、罪を犯すことのストッパーとはなっていたのだろう。それも一つの教育。子どもたちに地獄の話も聞かせたい。



 天知る地知る己知る。
 地獄が存在すると、嘘も方便で教えた方がよいのかもしれない。いや、嘘ではなく「歌」で伝えることもできる。
 


隅田川すみだがわ所の人はかもめなり

303 角田川すみだがわところの人はかもめなり  かく別なことかく別なこと


 在原業平は隅田川に来て、

名にしおばいざことと都鳥みやこどりわがおも人はありやなしやと  「伊勢物語」

と詠んだ格別な場所だが(「かく別なこと」)、地元の人にとっては珍しくもないただのカモメがいる場所。「都鳥」なんて名前でもない(本当はカモメではなく、小型のユリカモメだそうな)。

名所でも地元の人にはただの場所
 


二十五と四十二で込む渡し舟

316 廿五にじゅうごと四十二でこむわたし舟  つれ立ちにけりつれ立ちにけり


 男の25歳と42歳は厄年。厄除けで有名なのは川崎大師。そこに行くには六郷ろくごうの渡しで舟に乗る。厄除けに連れだって参詣する人で舟が込んでるという句。
 男の厄年は数えで25歳、42歳と61歳。女性は19歳、33歳、37歳をいう。厄年には、体調を崩したり、災難を受けたりしやすいといわれる。また、六郷の渡しは、東京都大田区と神奈川県川崎市を分ける多摩川にあった。

厄年の25と42の人だかり
 


催促さいそくも質屋はゆるりゆるりとし

411 さいそくも質屋はゆるりゆるりとし つもりこそすれつもりこそすれ


 質屋は、八ヶ月は預かるが、それが過ぎれば流れてしまう。そこで売れるので、質屋の催促はゆっくりでかまわない。催促が「つもれば」質流れするだけ。
 現代の金融機関も、無茶な催促はせずに、ゆるりゆるりと借金額が大きくなるのを待っている。おいおい。金貸し業者を全部銀行が合併していく。

金貸しの催促ゆるりゆるりとし
 


かるたの絵我が敷島しきしまの道ならで

558 かるたの絵わが敷島しきしまの道ならで  まめな事かなまめな事かな


 「敷島しきしまの道」は和歌、短歌の道のこと。短歌を詠むのは公家、貴族が多かった。庶民は川柳を作り、ちょっと裕福な庶民は俳句を作っていた。公家は短歌を作っていたがお金がない。そこで内職をする。ちょうど百人一首のカルタが庶民の間で流行っている。公家の内職はカルタの絵を描くこととなる。
 「まめに(まめな事かな)」細かい絵を描いているけれど、それは本来の和歌の道(敷島の道)ではないでしょう。と皮肉っている。身分社会の江戸の町では、川柳で武士を皮肉ったり、時代が時代なら「貴族」として権力をにぎっていた公家に対しても皮肉っている。そういうことができたのが江戸時代でもあった。

アルバイト本当にしたいことでなし

 現代ではこんなことかな。本職でも本当にしたい仕事ができている人はしあわせだろう。
 

タイトル画像はぱくたそからお借りしました。

 


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