いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
平泉澄先生の『芭蕉の俤』覚書も、いよいよ今回で最終回です。少し長くなりますが、最後までお付き合ひください。
前回は陶淵明と白楽天でした。今回は、韓退之です。そして最後の「芭蕉の俤」に入ります。「芭蕉の俤」は結論部分になります。
韓退之
まづは「第七 韓退之」です。
平泉澄先生は、韓退之を「歴史家」として捉へやうと試みてゐます。能文家としての韓退之の印象が強いので、不思議な感じがします。
ここでは主に、「晩節を汚さない」ことについて述べてゐます。韓退之は、その晩節を汚さない生き方をしました。
韓退之が柳宗元に批判されることになつた答書を書いた理由を述べてゐます。
ここは注目すべき箇所です。
平泉澄先生が歴史をどのやうに捉へてゐたのか、そのことが如実に現れてゐます。「歴史を作るもの、それは人格」。それを歴史家は、歴史を学ぶ者は如何に理解するか。深く深く自己を顧みます。
ここは、平泉澄先生が韓退之を歴史家と見て良い理由を述べてゐます。末尾の「歴史の伝統を継承し…」といふ点は特に重く響きます。
なほ、「拘幽操」は、山崎闇斎先生が高く評価されたことで知られてゐます。そして、「拘幽操」の精神は菅原道真公と通じると平泉澄先生は評価されてゐます。
ここから韓退之を離れ、芭蕉について論じます。
芭蕉と韓退之に直接の連絡はないのに、何故、平泉先生は韓退之を結論の「芭蕉の俤」の前に置いたのでせうか。それは、韓退之は「歴史家」であり、後に述べるが芭蕉は「歴史を呼吸した」人物だからである。そこに両者の共通点を見出したのです。
ここでは、芭蕉の歴史観が水戸の『大日本史』と重なつた点を述べてゐます。『大日本史』はきはめて科学的なる視点によつて作られた史書です。前に『おくのほそ道』には誤りが多いと指摘されましたが、芭蕉には歴史家としての優れた感性があつたと記してゐます。
なほ、水戸学については近年復刊した名越時正先生の次の書をお読みください。
平凡なる句に平泉澄先生は偉大なるものを見出すのです。これは、「人生の真実」に迫つてゐなければできない…。先生もまた「人生の真実」に迫つた情の人でした。
些細なものへの注意、平凡なるものへの驚嘆、本質の洞察…これらは和歌の世界でも大切であり、さらに歴史においても重要です。
この箇所も平泉澄先生の歴史観、芭蕉といふ人物を捉へる上で重要な点と思はれます。
しかしながら、本質の洞察、個性をつかむことは簡単にできることではありません。自分自身の心をまづ深めなくてはならない。そしてそれは決して楽なことではない。鍛錬を要することを先生は述べてをられます。そして、芭蕉はそれを為した人物だと次に述べてゐます。
平泉先生はこのやうに芭蕉を評価されます。芭蕉はただ風雅に生きたのではない。そこには厳しい鍛錬があつたのでした。
平泉先生は「歴史は復活」であると論じましたが、まさに西行は芭蕉の心の中で復活したのでした。私どもが各地の史跡を訪ねる際、かうした態度が必要でありませう。ただ、現地に行くのではない。身を偉人の立場に立てて、深き心の相伝を願ふ態度です。
ここにはまさに芭蕉の本質が描かれてゐます。この一節を導くために今までの論があつたと言つても過言ではないでせう。
芭蕉の俤
最後は本書の結論である、第八 芭蕉の俤です。全て、この章を述べるために前説がありました。
私はここに自身の人生の終着点を見出します。かうした境地に至れればと願つてやみません。
ここでは芭蕉といふ人物の特徴、そしてその特質を挙げてゐます。
ここでは「俤」といふ字を用ゐた意図が明らかになります。まさに、芭蕉は史上の人物を俤とし、古へを慕つたのでした。
本書の末尾で、蕪村と比較します。蕪村は歴史を客観的に見ましたが、芭蕉は歴史の世界に没入しました。
鑑真に対し、「若葉して 御目のしづく ぬぐはばや」の句は、まさにさうでありませう。私は芭蕉の情の深さ、そして偉大さを本書を通じて知り、そして心を打たれるのです。
附録 銀杏落葉 は平泉先生が大学時代、ことに先生の先生に当たる方々との関係を回想されたものです。今回は割愛します。
『芭蕉の俤』はとても素敵な本です。多くの人に読んでいただきたいと思ひ、この覚書を書きました。最後までお付き合ひいただき、ありがたうございました。
おくのほそ道をめぐる旅を合はせてお読みいただけると幸甚です。