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インド瞑想旅が私を変えた 12|今の自分に満ち足りて生きる

【インド瞑想旅が私を変えた】
静かに瞑想三昧の日々を送るはずが、次々と非常事態に見舞われた私。ところが、人生を変える新たな世界が待っていました。連載トップはこちら

突然、人生を変える出会いとこれからの私が生きる道について、二つの想いがやってきた私(第11話

夕闇が迫る中、瞑想会場の中を風が吹き抜ける。まるで、風と自分が一つになったように感じた時の出来事だった。

多くの体験をもたらしたこの旅も、ついに終わりの刻を迎える。

帰国の日。私は思いがけない心境に至った。


最後の試練

帰国があと数日に迫った頃。突然、私の身体に異変が起きた。

つい先程お手洗いに行ったはずなのに、すぐに行きたくなってしまう。どうにもコントロールができないのだ。

「これは一体なんだろう」

私は生まれて初めての体験に戸惑った。こんな状態で帰国できるのかと、思わず不安になる。

次の日になっても一向に回復する気配がない。人知れず困っていたが、ついにNさんに伝えた。旅の間一緒に行動していた、看護師の方である。

「あー膀胱炎みたいな症状かなあ」

彼女は言った。

そういう名前の病気があることは何となく知っているが、どんな症状なのかは全く知らない。

すぐに携帯で調べてみると、今まさに私が悩んでいる症状の数々が載っている。記事には、ある薬が紹介されていた。

「この薬が欲しいけど、風邪薬や解熱剤ならともかく、こんなインドの片隅で手に入るはずがない」

私は絶望的な気持ちになった。

ここから空港まではバスで30分ほどかかる。その間すら我慢できるか自信がない状態なのだ。

ところが、事態は急展開する。

「薬あげようか?」

Nさんがそう言ったのである。

その手には、つい先程まで欲しいと願っていた薬があった。奇跡のようだ。

「神様、どうもありがとう!」

思わず、心の中で叫ぶ。

これまでの人生で一二を争うほどの幸運。大袈裟ではなく、そう思った。

同時に「もう、あらかじめ不安になる必要はないんだな」と思い知らされた。

それは、帰国の道中でも感じることになる。

不安が消えていく

この旅に出る前、不安に思っていたことがある。

帰国の際、ひとりで6時間、デリー空港で待つ必要があったことだ。皆と同じ便の航空券を買うつもりが、1本前のものしか取れなかったのである。

7年前にインドへ来た時。国内線に乗り換える途中、突然何人かの男性が近づいてきて、無理矢理スーツケースを運ばれそうになったことがある。

あの時は他の方と一緒だったが、それでも怖かった。海外のひとり旅は経験がなく、英語も片言しか話せない私だが、大丈夫だろうか。

旅慣れた友人に伝えると、

「見た目が幼いし、舐められるタイプだから、サングラスをしたりして、いかつくした方がいい」

と真顔で言われた。不安は増すばかりである。

だが、その割になぜか気が進まない。結局何も準備しないまま、出発日を迎えてしまっていた。

それから2週間あまりが経った、帰国日当日。

瞑想会場から最寄りの空港に行くバスに乗れるか不安な状態だったが、予定通りデリー空港に着いた。

さらに、この旅で闇が光に転じる体験を繰り返した私は、出発前と心境が変わっていた。

不安はあるが、どう転んでも何とかできるという、自分に対する心強さがどこかあったのだ。

この頃には「ひとりで6時間も待てるだろうか」という不安は消えていた。むしろ心は弾んでいる。

久しぶりに麺料理が食べたい。ゆっくりお茶がしたい。残っているルピーでお土産を買いたい。

そんな、胸に湧き出てくる気持ちに従って過ごしていたら、あっという間に皆と合流する時間がやってきた。

防犯対策の記事を探し過ぎて疲れていたのが、遠い昔のように感じる。あとは成田に向かうだけだ。

体験はすべて完璧

私は、ただ運が良かっただけなのかもしれない。

あらかじめ不安を感じるのは、生存本能のようなもの。そのこと自体は否定しないし、これからも時々は心配して生きていくのだろう。

だが、こうも思うのだ。

何があっても大丈夫な自分だと信じることができれば、はじめから不安になる必要はないのだと。

この旅は、想像以上の非常事態で始まった。一言でいえば「過酷な旅」だった。

だが、過酷な状況が自分の中のプラスの部分を引き出してくれたかのように、結局は楽しく過ごせた。そのことで、自分自身への信頼感が増した。

「この自分で生きていけば良い」と、心から思ったのである。

自分を信じる気持ち。

それが、この旅で手に入れた宝物。快適な旅だったら、恐らく得られなかったものだ。

「自分にやってくる体験は、良いことも悪いことも全てが完璧」

身体中でそう感じることができた。

もう望む体験を得るために心を砕く必要はない。

これからは、前からやってきた体験を安心して受け止めれば良い。泣いたり笑ったりしながら、生きていけば良いのだ。

「この旅に来て、本当に良かった」

一点の曇りもなく、そう思う自分がいた。

張り詰める日本人

数時間後。ついに私は成田空港に到着した。

ここを出発してから2週間程だが、数ヶ月ぶりに帰って来たような気分である。

思いがけないことが、余りにたくさんあった。旅に出て、ここまで無事を喜んだのは初めてだ。

久しぶりの日本。穏やかな冬の日差しを浴びながら、電車で東京へ向かう。

最寄駅に着くのは、ちょうどお昼時だ。旅の間ずっと待ち焦がれていた、うどんを食べに行く。

「そう言えば、7年前にインドへ行った時も同じお店に行ったな」と思い出した。

だが、今回初めて感じたことがある。

電車に乗っている人たちが、ものすごく張り詰めているように見えたのだ。

心がざわざわして落ち着かない。自分の国のはずなのに、まるで違う星に来たように感じてしまう。

「これは一体なんだろう」と不思議になった。

ふと瞑想会場にいた現地の方々を思い出す。

彼らは、カースト制度の国で、選択肢のないまま、決められた道を生きていくのだろう。そう思うと、やるせない気持ちになることがあった。

だが、私の目には、彼らより自由なはずの日本人が、緊張に包まれているように見えた。囚われの身のように見えたのだ。

それは、もしかしたら、かつての私と同じ気持ちを抱いているからなのかもしれない。

大きな転機

私には、8年近くにわたり、お世話になってきた山伏の方がいた。45歳で突然早期退職し、不思議な体験をするようになった私を支えてくれた方だ。

その方は月に一度、護摩祈祷をされている。私はほぼ欠かすことなく通ってきた。

だが、インドから戻って以来、行っていない。なぜか行こうと思わなくなったのである。

初めは自分でも理由がよく分からなかった。

神事に関心がなくなった訳ではない。今でも毎日、神棚に手を合わせている。

それでも、時が経つにつれて、ようやく分かってきた。蓋をしていた気持ちに気づいたりもした。理由はひとつではない。

だが、一番の理由はとてもシンプルなことだった。

インドに行く前の私は、「今のままでは足りない」と思っていた。その気持ちがなくなったのである。

私は、神の島と言われる久高島で「神様事を伝えて困っている人を助ける」という人生の指針を得た。

それから7年あまり。あれだけの体験をしたのに、結局何者にもなっていないという葛藤があった

いま思えば、その葛藤を何とかしたくて護摩祈祷に通っていた。だが、インドに行って、憑き物がとれたように、葛藤自体がなくなってしまったのだ。

「今のままでは足りない」という気持ち。

それは「こうしないとうまくいかない」「そのためには自分を変えないといけない」と思う気持ちだ。その根底には不安があった。

私の場合、神様事を生業にしないといけない、普通のままではいけないと思っていた。その思いに縛られていたのだ。

帰国の日に張り詰めているように見えた人たちも、同じような気持ちなのかもしれない。

今の自分に満ち足りて生きる

今の日本には「こうするとうまくいく」という情報があふれている。

それは「うまくいっていない」と思っている人が多いことの裏返しなのだろう。

幸せに生きるのに、自分には足りないものがある。私もどこかそう思っていたし、同じように思っている人は多いように見える。

でも、本当にそうだろうか。

今の私は、うまくいくために自分を変える必要があるとは、もう思っていない。

人から見てどうかは分からないが、少なくとも私は今の自分に満ち足りてしまった。

もっとすごい自分になる必要なんてない。そう思うと、たまらなく自由な気分だ。

「この自分で生きていけば良い」

「自分にやってくる体験は、良いことも悪いことも全てが完璧」

インドで手に入れたこの確信を胸に、これからは生きていく。

旅の前は、静かな環境で早期退職後の日々を振り返り、この先の人生に想いを馳せたいと思っていた。

実際には、過酷な事態が押し寄せ、その願いは叶わなかったが、だからこそ大きな転機となる体験ができた。

人生は奇跡に満ちている。今回のインド瞑想旅が、私を変えたのだ。

おわり

写真(敬称略):
大谷由美子(1枚目)

★第1話はこちら

★40代独身女性が先を決めずに早期退職したら、不思議な体験をして、自分の使命に気づく話


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村瀬香奈子
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