一夜城を築くことの意味
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まさに一夜城であった。
私がここ1ヶ月で体験してきたことは。
秀吉が築いた一夜城も確か、実際には2ヶ月ほどかけて築かれたと言うではないか。
この一夜城跡(小田原にある石垣山城)へ一度訪れたことがあるのだが、それまで抱いていた「簡単な張りぼて」みたいなイメージは一瞬にして消し飛んだ。
なんせ400年以上が経った今でもその石垣が残っているほど、しっかりと造られたものなのだ。
※木を伐採せずに築城し、完成と同時に伐採したため一夜にして築かれたように見えたのだと言われている。
【石垣山城について詳しくはこちら↓】
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というのも、私はほんの1ヶ月だけ滞在するつもりですべての荷物を携えて実家に戻ったわけではなかったからだ。
今思えば心のどこかで「ここに安住できるはずがない」と知っていたのかもしれない。
でも今はそうするしかない、と。
私は先のことは考えず、ただ目の前のことに全力を尽くすことにした。
実家の6畳間に入りきらないほどの荷物を、一つ一つ丁寧に開梱してはベストと思える場所へそれぞれ配置していったのだ。
実用的でないものもすべて開梱した。というか、むしろ実用的で無い物にこそ私のアイデンティティが込められているのだと思い、今までしまい込んでいた自作のインテリアまで飾った。
なぜ、そこまでしたのか。
自分自身のためである。
🌿🌿
自分自身を心地よくするために。
信じがたいほどの大きな決断をし、覚悟を持って行動を起こした自分をねぎらうためにも。
そして気がつけば、「私の一夜城」は
たった1週間で完成していた。
2週間後には撤収作業が始まるとも知らずに。
嘘のような、本当の話である。
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私が築いた一夜城にはどんな意味があったのだろうか。
私は自分の覚悟を見せるために一夜城を築いたのではあるまいか、と思う。
誰に見せるために?
家族に。自分に。世界に。
私は「どんな環境にいようが、これからは私の望み通りの人生を自分の責任で築いていきます。」と宣言したのだ。
それは自分の選択に責任を持つことであり、行動の結果に責任を持つことである。
「結果に責任を持つこと」とは、特定の結果を出すことではない。
どんな結果も受け入れることである。
しかも、喜んで。
なぜならすべてのことは自分の最善のために起きているのであり、「自分にとって完璧である」と知っているからだ。
だから今回も(さすがに一瞬は戸惑ったものの)、「いやぁ、なるほどですねー。」とどこか他人事のようにニヤニヤしながら納得している自分がいるのだ。
できる時はできるし、できない時はできない。
動ける時は動くし、動けない時は動けない。
「あったりまえでしょ!」と言われるかもしれないが、それでいいのだということがよーくわかったし、それが最善なのだということもよーくわかった。
ただ、「やります」と意図するだけでいい。
「どうやって」は考えなくていいのだ。
なんだかわからないけど目の前に出て来るものにフォーカスしていればいいのだ。
それらを「課題」「問題」と捉えるのではなく、「新しいゲーム」や「変わった料理」だと思ってとりあえず手を出してみる。そうすることで、初めは魅力的に思えなかったことの本質が見え始め、なんだか楽しくなってくるのだ。
そして、「なんだかわからんけど楽しい状態」は「もっと楽しい状態」や「思いもよらないラッキーなこと」を次々に引き寄せてくる。
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一夜で城を築いて、一夜で崩す。
なんと無茶なことだろうか!
そして、なんと楽しいことだろうか!
そう。これは実際にやったものにしかわからない楽しさなのだ😃🎵。
もしかしたら、いつの間にか私は
自分の「イエスマン」になったのかもしれない。
♡♡♡最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの幸せのヒントが見つかると嬉しいです^^!
いっっぱいの愛をこめて。♡♡♡
桑田華名
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