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人生の主導権を自分が握るには

最近前にも増して「自分の人生を生きてるなぁ」と思うようになりました。
昔の私はただ「生かされている」「死ねないから生きてる」ような人生だったのに、

変わったなぁと思って、その理由を考えてみました。
そしたら「人生の主導権を自分が握ったから」だと分かったので、今日はそんな話をできたらと思います。

こんにちは!Kanaです。

普段はジャーナリングアドバイザーとして、ジャーナリングを使いこなして幸せに近道するアドバイスやイベント講師、コミュニティ運営、起業サポートをしています。

人生の主導権を自分が握るってどういうこと?
と思った方もいるかもしれません。

自分の人生なんだから、そりゃ主導権は自分にあるでしょ?って思う人もいれば、自分の人生とはいえ、全部自分の思った通りにはできないと思う人もいるかもしれません。

もしくは昔の私のように、他人に人生を任せてしまっている人もいるかもしれません。


私はずっと誰かが「正解」だと言ったことを追いかけて、真面目に一生懸命他人の成功例をたどりました。

だからずっと人生は誰かに主導権を取られていて、「生かされている」ような生き方でした。

何一つ自分で選んでいるようで、選んでいない。
自然と選ばされていたんです。

そのことに気づいてから

今の私は「自分で選んで」生きています。
そうすると何をしていても「生きてる」って思うんです。


例えば、辞めたい習慣は何ですか?
と問われた時、今の時代は多くの人が「ついスマホを見てしまうのを辞めたい」とか「ダラダラSNSを見るのを辞めたい」と答えるんじゃないでしょうか。

私は辞めたい習慣はありません。
だって全部自分で選んでいるから。

確かにダラダラSNS見ることもあるし、ついスマホを見てしまうこともあります。
でもそれをしていいと決めた日だけやります。

今日は休みだ〜何してもいい!ダラダラするぞ〜

と決めた日はどれだけショート動画に時間を溶かしても、「そういう日だからね」と罪悪感は0です。

逆に

今日は作業頑張る日!やってやるぞ〜

って日はスマホを全く見なくなります。


全部自分で選んで時間を使ってるんだと思うことで、ある意味責任をとっているわけです。

これを「人生の主導権を自分が握る」と表現してみました。


堅苦しい言い方ですが、要は

自分で決める

ことを徹底しているだけです。

些細なことさえも、自分が決めて、自分が選んでいるんだと自覚することで、時間やお金、自分のコストをどこに投資しているのか認識する。

そうして、人生は自分の手に返ってきたのです。


続けたい習慣はたくさんあります。

今のジャーナリングはもう生活の一部なので、習慣って感じでもないですが、書くことは一生していきたいし、

読書、探究、執筆。
このへんも今後の人生に大きなコストを投資したい。

始めたい習慣もあるにはあるけど、「今自分がしたいこと」を大事にしたいと思ってるので、無理に”習慣”って括る必要もないかなと思ったりしています。


自分軸をしっかり作って、価値観を明確にしないと、自分の人生生きられないなんてこともありません。

確かに自分軸はあった方がいいのかもしれないし、価値観が明確な方が決める時の労力は減ります。

でも、本当に必要なことは「自分の人生なんだから、ちゃんと主導権を自分が握るんだ」って決めて、少しずつ、小さなことからでもいいのでやってみることなんじゃないかなって思いました。

自分で決めることは訓練です。練習すればすぐできるようになります。
なんかこっちがいい、という感覚を頼ってもいいんです。

ジャーナリングをしているとついつい出てくる欲や願望があるはずなので、それにしたがってみたり、感情のままに決めてもいい。

自分で決めるのは慣れてないと怖いかもしれないけど、意識するだけで変わります。



※この記事は我がままパーク「本音発信ゲート」のアトラクション内で書いたものです。

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