問われないと考えられない現代人
つい大きな主語をタイトルにつけてしまったんですが、『問いかけられて初めて自分で深く考える』にするか悩んで、前にも似たようなタイトルつけた気がする・・・とこっちにしてみました。
今日は問いの重要性について書いてみたいと思います!
こんにちは!Kanaです。
「大人になると叱られない、叱ってもらえるのは幸せなことだよ」と誰かが言っていました。
大人になると一定の関係性まで「無駄なトラブルは起こしたくないし変だと思うけど、言わないでいっか」と叱ってもらえることはないように思います。
だから自分のやっていることを客観的にみて、意見をもらえるってあんまりないのかなと思います。だからありがたいよね〜って話なんですが、
なんでいきなりこの話をしたのかというと、私はこの話を初めて正社員で採用された会社の上司からこっぴどく叱られた時にされたんです(笑)
そして、「叱られたくないのなら、”自分で考えて動きなさい”」と言われました。
私は元々自分で考えて動くことは得意な方だと思っていました。
だから「え?なんで?自分で考えて動いた結果、怒られたんだけど?」と内心では少し反抗していました。
でもその上司から「お客様はどうして欲しかったと思う?」「お客様はなんであの言葉を言ったと思う?」と問われるたびに、答えられない自分がいたんです。
その時に「あぁ、私の”考えた”は独りよがりだったのか」と気づいたんです。
問いかけられて、初めてそのことについて深く考えられる。
今の時代って【これがいいよ!!!】という情報が溢れていて、その情報の価値や真偽を見抜くのは難しくなっているように思います。
”自分でしっかりと考えて”それを選んでいるようで、実はその情報のほんの一部分からなんとなく判断しているかもしれないのです。
自分で考えるって思った以上に難しいことなんだと実感しました。
私はそんな経験もあって、ジャーナリングをしているときも必ず自分に問いかけて、自分の言葉でしっかりと答えられるまで考えます。
重要なのは【私はどう思っているのか】という部分。
その意見が正しいか正しくないか、良いか悪いか、ではなく、「自分の意見はどうなっているのかを観察すること」だと思っています。
それがやがて自分の”判断基準”になり、”行動理由”になっていきます。
だから、あの時上司に問われた言葉に今なら「私はこれこれこういう理由で〇〇をしました。しかし、それはお客様の立場に100%寄り添った行為ではなかったと思います。このような時はどんな対応を取るのが会社として正解でしたか?」と言い返したかもしれません(笑)
(これはわかりやすくしたくて書いた例なので、こんな強気な言い方しないですけどねw)
世の中には情報も溢れていますが、問いも溢れています。
大きな問いで言えば、どうして戦争はなくならないのか?とか、到底私たちが考えたところで、と思うような問いもありますが、
だからと言って、
考えなくていいわけじゃない
どんな問いにも、自分なりの考えや意見を持っておきたいと思うことが「自分で考える」ということにつながっていくんじゃないかと思います。
こんなこと言ってる私も、もちろんまだまだ答えられない問いがたくさんあります。
日々少しでも考えて自分の価値観を知って、自分の人生に活かせしていきたいなと思いますし、自分で考え続けた先には
「最期の時まで大満足してる自分」がいると信じています。
私は納得して生きていきたいんです。
死ぬ時に後悔したくないんですよね。
だから、面倒でも、疲れても、自分で考えて動いた結果、人生を楽しんだぞ!!って言いたい。
誰かが代わりに考えてくれた、なんとなく過ごすKanaの人生なんて嫌です。
これからも日々、自分との対話、誰かが問いかけてくれたことに出来るだけ向き合っていきたいと思います✨
そのためにもたくさんジャーナリングして記録もつけながら、楽しく続けていくつもりです。
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最後まで読んでいただきありがとうございます!
今日の話があなたにとってお役に立てれば嬉しいです❤️
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