ダイエットを受験勉強と同じやり方で始めるな!~管理・強制・説得の落とし穴~
学生時代、私は勉強が嫌いではなかった。
もちろん、一に部活、二に部活、三に遊びの日常ではあったが、テスト前の勉強に手を抜いたことはない。
それにはテストでいい点を取ることに幸せを感じていたのも理由の一つだが、それにも増して、勉強に対する解釈の仕方が影響していたと今では考えている。
すなわち、勉強=いい大学に入る為に必要不可欠なもの!というものだ。
「大学に入る為に必要なんでしょ!?だったら真剣に取り組みますよ!」という感じ。
結果的に、第一志望の国立大学に現役で合格できたので、受験というチャレンジには成功できた。
さてここでは多くの人がそうであるように、学生時代に受験のためにとやらされた勉強への取り組み方が、リバウンドする人が陥る特徴と同じであると主張していく。
学校教育システムの問題点とダイエット
ところで、学生中に学んだ方程式の解き方や日本史の年号を、大人になっても活用している人はどのくらいいるのだろうか?
おそらくかなり少数派なはず。
これは学校教育全体の問題で、今後改善すべき重要事項だと思うのだが、学校で行うほとんどの授業が受験に成功することに主たる目的を置いている。
つまり、その場限りの知識の詰め込みである。
しかも先生や親に管理・強制・説得されてやっている子供がほとんどだろう。
だが現状の大学受験の仕組みを考えれば、このやり方は正しい。
たとえその後の人生で、微分積分や原素記号を使わなくても、行きたい大学に受かれば選べる仕事の選択肢が増えるので。
(学歴が全てではないという意見に賛成ではあるが、やはりそうとも言えないのが世の中の仕組みである以上高学歴であるのに越したことはないと思う)
とはいえ、将来使うことがない知識の丸暗記より、コミュニケーション能力や自分のアイデアをプレゼンする能力、建設的に議論できる能力などを育めるような授業を、教育システムに加えていくのが望ましいし、現にそういった取り組みも開始されている。
日本の未来の為に、今後の学校教育の革新には期待しておこう。
話しを戻すが、このような学校教育による受験成功の為にやらされる勉強の仕方と、ダイエットにおけるリバウンドにはいったいどういう繋がりがあると言うだろうか?
リバウンドする人の唯一の特徴
そもそもリバウンドとは、成功者のみができる経験だ。
つまり、一度はダイエットに成功した証と言える。
しかし一度は理想の体重まで減らしたのに、なぜ元に戻ってしまったのだろうか?
リバウンド経験者ならこの答えを知っているはずだ。
それは、ダイエット期間中に実践できていたことが続かなくなったからに他ならない。
したがって、リバウンドをしてしまった人がすべき正しい問いかけはこれである。
「なぜダイエット中にはできた行動やふるまいを、今では選択できなくなったのだろうか?」
ちなみにこの問いに対して、「意志が弱かったから!」で片づけるのはもったいないし、専門的でも科学的でもない。
なぜなら私たちの脳は、脂肪を蓄えたい!や、幸せを味わいたい!といった本能に、簡単には逆らえないように設計されているからだ。
(日々多くのストレスの中を生き、手を伸ばせば甘いモノがすぐに手に入る現代社会においては特にそうだろう)
短期間に極端なダイエット法を実践した人は、特にその傾向が強いことも証明されている。
では何が原因で、ダイエットの為に実践していた行動を続けることができなくなってしまったのだろうか?
不健康をもたらす悪しきふるまいと金輪際おさらばし、健康的なふるまいを一生続けられるようになるにはどうすればいいのだろうか?
リバウンドと受験勉強の共通点とは
ここで再び、私の受験勉強に話しを移そう。
時は高校3年生、第一志望の大学に合格するために行った武者修行の話しだ。
当時私は、勉強に集中するためには何が必要なのか考えた。
その結果行き着いたのは、自身の身の回りの環境を整えることだった。
仲のいい友人と同じ空間にいてはダメ。
絶対集中できないので。w
そして自らの意志で決心し、祖母の家に泊まり込むと同時に知り合いなど誰もいない塾に身を置くことにした。(祖母の家は電車で1時間以上離れたところにある)
とにかく受験が終わるまでは、自分を追い込めるだけ追い込んで、知識を詰め込めるだけ詰め込んだのだ。
そう、大学に受かれば全て忘れてもいいから!と考えながら。
結果は冒頭に書いた通りだが、予想通りその時詰め込んだ英単語も物理の法則も数学の公式も、今では8割は忘れて残りは役に立っていない。
さて、このチャレンジのゴールが“大学に合格”ではなく、“ダイエットに成功”だったら私はおそらくリバウンドしていただろう。
今回の記事で私が言いたいのはこういうことである。
すなわち、大学にさえ受かればいいや!というスタンスで勉強に取り組むのと同様、体重さえ落ちればいいや!というスタンスで運動や食事制限を始めるべきではないということ。
なぜなら、社会人になると役立たずの数学や理科のように、3ヶ月だけならと無理やり行った運動や食事制限の効果は、1年後には全くの無駄になるのだから。(つまりリバウンドするということ)
ここで最も心に留ておきたい教訓は、運動を習慣にすることや食事に意識を向けることは、“たかが“ダイエットに成功するためだけの為に必要なのではないと知ることである。
あなたが“死ぬまで健康的に生きる為”に、一生継続すべき最重要事項だと認識すべきなのだ。
管理・強制・説得の落とし穴|ダイエット作業を習慣に
では次に、運動や食事制御を一生継続するためにはいったい何が必要なのか考えていこう。(食事制限という言葉はあまり好きではないので、この先は食事制御としていく)
ポイントは、運動や食事制御などの健康的な振る舞いを、一時的に行わなければいけない“義務”という位置づけではなく、意欲的に行う“習慣”にしなければいけないということ。
では運動や食事制御を、義務ではなく習慣に位置付けるにはどうすればいいのだろうか?
それには、運動や食事制御を「日々の楽しみ」という位置に置く必要がある。
その為には他人の管理・強制・説得のもとそれらに取り組んでいては、おそらく無理だ。
管理・強制・説得されて始めたことを、誰が楽しめるのだろうか?
ここは強調しておく。
他人に管理・強制・説得されながら運動や食事制御に取り組んでいては、自分の理想の姿を一生モノにすることは絶対にできない!
自らの意志で経験値を重ね、自身の変化を自分でよく観察し、自らの脳で分析してから仮説を立て、また自分の足で一段づつ階段を上がる。
これら全ての過程を“楽しみながら”やろう!
そうやって自らの選択によって試行錯誤を繰り返した先には、必ず明るい未来が広がっている。
私はそう確信している。
※私がオススメする運動の頻度は、週合計3時間かつ週3回以上。内容は多少息が弾むものであれば何でもいい。理想を言えば同じ動作を繰り返すものではなく、動きの多様性に富んだもの。ストレッチや軽めのヨガは含まない。
エピローグ~自力で飛び立つ~
さてここまで、管理・強制・説得のもと行われる短期間限定の運動と勉強を完全否定してきた。
しかし、どちらも全てが無駄というわけではない、という話しを最後にしていこう。
無駄ではないと言える根拠は“脳”にある。
勉強も運動も脳の機能を向上させることが、最新の研究で証明されている。(どちらも新規性・多様性・チャレンジ性があるほど効果的)
ニューロンの新生を促し、シナプス結合を強化することで、脳の容量を増やすのだ。
(その結果、成人では認知症やアルツハイマー病、うつ病などの予防になることもわかっている)
つまり学生時代に暗記するという行為自体に(あるいは熱中した部活動にも)、意味があったということができる。
だがこの事実を以てしても、この記事で私が訴えたかったことをさらに後押しするに過ぎないだろう。
要するに、運動(これに学習を加えたい)は太った人だろうが痩せた人だろうが、男だろうが女だろうが、若かろうが歳をとっていようが、全人類全ての人に必要不可欠なのである。
だから、未来の美と健康に向かって自らの意志で立ち上がろう。
あなたは変われるし続けられる。
健康的なふるまいを習慣にすることは可能なのだ。
この記事を書いた神尾健太という人物➤https://wp.me/P9oEaZ-41