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高校野球:夏将軍・松山商業の衰退から考える日本の教育

スポーツジャーナリスト元永知宏さんの新しい記事に対して、良くも悪くも大きな反響があるのだという。

すでにご存じの方もいると思いますが、元永さんは、私の小学・中学・高校の1つ上の先輩、というかお互いの実家の距離「徒歩2分」という「近所のお兄ちゃん」だ(笑)。

特に、大洲南中学野球部では、2つ上の学年が四国大会で準優勝というレベルの高いチームで、一緒にプレーした。

私が初めて自らの人生を語った本を書いた方でもある。

元永さんは、立教大学野球部で、あの長嶋一茂さんとプレーをしたこともあり、現役時代は明治神宮大会(秋の全国大会)で2年連続準優勝。現在は、六大学の同期である小宮山悟早稲田大学監督や広陵高校の中井哲之監督など全国の野球指導者とさまざまな人脈を持ち、取材・執筆活動をされている。

その元永さんの記事なのだが、「夏将軍」の異名があった高校野球の古豪・松山商業について書いたものだ。

元永さんは松山商業の元監督、「奇跡のバックホーム」で全国に知られる澤田勝彦先生についての著書も執筆しており、松山商業とは元々親交がある。

前述の通り、今回の記事は地元愛媛を中心に反響があるという。「よくも悪くも」というのは、よい方は「よくぞ言ってくれた!」というもので、悪い方は「痛いことを言われた」という怒りだという。

どちらも松山商業の現状が、うまくいっていないということは一致している。松山商業は2000年夏を最後に、24年も甲子園から遠ざかっているのだ。

その低迷には、様々な理由が指摘されている。少子化で地元にいい選手が少なくなった。その上、愛媛は高校が多すぎる。

特に松山地区は、松山商、済美、新田、聖カタリナ、松山聖稜があり、その他の地域にも宇和島東、今治西、西条、川之江、丹原、小松、新居浜商、八幡浜、帝京第五、。。。と、甲子園出場経験のある高校がズラリ。おっと、忘れてはいけない、今年21世紀枠候補になったわが母校・大洲もいる(笑)。

おそらく、全国的にもこれだけ有力選手が分散している県はほとんどない。

さらに、いい選手がいても、近ごろは他県の私学に進むのだという。

松山商の問題でいえば、地方の衰退で、野球部の後援会を仕切ってきた松山の経済界の低迷がある。資金面でも人材面でも野球部に対する十分なサポートがない。

その結果、指導する環境が十分ではないので、人材豊富なはずのOBで指導者になりたい人がいない。今では、ライバル校の今治西出身の教員が監督を務めている。大野康哉監督は今治西時代何度も甲子園に出たが、松山商では苦労されているようだ。

私は、こういう時代の流れ、環境の変化はある意味仕方ないことだと思う。その中でも、伝統の灯を消さないように、努力を続けられていたことは間違いない。

しかし、私がインターネット等で松山商の試合を観たり、実際に現場にいかれる元永さんの話を聞いて、1つ問題だと思うことがある。

「いい選手がいない」とか「弱い」とか、それはいいと思うのだ。一生懸命やればいい。ただ、気になるのは、明らかに「野球が古い」ということだ。

今年、松山商は県内では無敵。全国的にみても好投手といっていい林楓太投手を中心にまとまり、盤石の強さを感じさせるチームだ。ところが、秋も春も四国大会では初戦で信じられない大敗。

林投手はいいのだが、とにかく打線が非力で点がまったく取れないまま、林が後半に捕まるというパターンだった。だが、投手は責められない。いまや全国レベルの高校野球は「先発完投」の時代ではないからだ。

例えば、昨年夏の甲子園で優勝した慶應高校の小宅雅巳投手。林投手と同学年だが、投手としての技量は変わらないように思う。違うのは、後半、継投できる2、3番手の投手がいるかいないかだ。

小宅投手は昨年の甲子園の準決勝が、入部以来初完投だったとTVで言っていた。それに対して、林投手は1年生の時から完投完投だ。

元永さんの記事にあるように、明徳義塾との練習試合、林投手は第1、第2試合に連投したという。投手の健康を第一に考える現代野球ではありえない話だ。「伝統をすべて背負って完投するのがエース」という精神論がまかり通っているのだろうか。

打線も非力だ。YouTube等で松山商の攻撃の映像も多く流れているが、叩きつけてゴロを打っている。

今、流行の「縦振り」はまったくやっていない。縦振りとは、大谷翔平選手のように、ボールの軌道に合わせてバットを振ることだ。重力があるので、ボールは落ちる。それに合わせるように振るので、アッパースイングのようになり、フライを打つことになる。いわゆる、フライボールヒットだ。

現代野球は、「ゴロを打ったらアウト」という考え方なのだという。データ野球で、打者の特徴によって守備位置を変える。大谷選手の打席でしばしばみられるように、「大谷シフト」で守る野手の正面にゴロが飛んでアウトになる。だから、ゴロを打つのは確率が悪いというのだ。

そもそも、重力で落ちるボールを上から叩くというのは、ボールの軌道に合わせて振り上げるより、当たる確率が低い。端的にいえば、テニスのスイングのように下から上に振ったほうがいいというのが現代野球の理論だ。

昔の野球は、「ゴロはエラーとか悪送球とかいろいろ起こる。だからゴロを打て」と教わった。松山商は、いまだにそういう野球をやっているのではないか?

もちろん、縦振りは全員できないという指摘はある。しかし、身体の大きな主軸までゴロを狙うあまり、明らかに打撃が小さくなっている。

そもそも、監督が画一的に縦振りを禁じている可能性がある。叩け、叩け、とやっている以上、長打は出ずらいし、貧打になるのも当然だ。

さらに言えば、試合に負けた後に全員直立不動にして監督が説教したことだ。

元永さんによれば、その時、広島の達川さんが来ていて、明徳の選手を指導していたという。なぜ、一緒に指導を受けさせないのか。こんな機会、そうあるものでもないのに。

そもそも、説教するより、にぎりめしでも食べさせた方がいい、いわゆる「食トレ」だ。今の高校野球は、練習の休憩時間に補食して身体を大きくするのが当たり前だ。

松山商の選手は明らかに他県の選手に比べて身体の線が細く、小さいではないか。

私は、この現状をみると悲しくなる。元永さんの記事にある澤田先生の「松商の野球は守りの野球とこだわってしまった」旨の話は残念に思う。

第51回大会の決勝戦延長18回引き分け再試合の末に優勝した時、大会全体9本の本塁打のうち、4本が松山商。準決勝まで、一試合平均5点の大会一の強打のチームだったのだ(もちろん、4試合で失点わずかに1だったが)。

また、窪田欣也・澤田両監督時代は、今でいう「機動破壊」をやっていた。甲子園での浦和学院戦の11連打は有名だ。水口栄二選手の最多安打記録はいまだに残っている。

「機動破壊」は、今年の春の選抜で優勝した健大高崎の代名詞だが、松山商はそれよりはるかに強力な「機動破壊」をやっていたことを忘れてはならない。

繰り返すが、地方の衰退や少子化などの影響で、いい選手が集まらないとか野球をやる環境が、都会の私学より劣ってしまうのは仕方ないとおもう。しかし、だからといって、「古い野球」をやり続けるというのは怠慢でしかない。

前述のように、YouTubeでもなんでも、最先端の情報はいくらでも手に入るのだ。知らないということはありえないのだから。

ここから教育論に移りたいのだが、うちの大学は名門校だが、はっきり言えば日本のトップクラスのエリート学生がいるわけではない。だが、上久保ゼミは「社会科学日本一のゼミ」を標榜し、常に最先端の学びを追求せよと学生に言ってきた。

例えば、2020年新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起こった時、ZOOMなどを使った遠隔授業が導入された。だが、上久保ゼミはその8年前の2012年に、既に遠隔授業をやっていたんです。

当時のゼミ長が、北野天満宮の前でハーレーダビットソンに乗って事故って(自損)、京都第二日赤病院に入院した。当然、ゼミは長期欠席と思っていたら、教室でゼミ生のパソコンの画面に病室で脚を吊ったゼミ長が映っている。そこから研究発表を始めたので、私はひっくり返った。

当時のSKYPEを使って、ゼミに参加してきたのだ。

それにしても、ハーレーで事故る女子大生って(笑)。まあ、そういう女傑だったのです。

その後、うちのゼミは「衣笠留学」「おおさか茨木留学」を標榜した時期があり、香港の学生とのスカイプを使った日本語・英語(中国語)の語学エクスチェンジ、学園祭での香港中文大学とのオンラインディベート、香港民主化運動のアグネス・チョウ(周庭)氏とのオンラインディベートなど、沿革でのプログラムを練り上げてきていた。

香港中文大学とのオンラインディベート

アグネス・チョウ氏とのオンラインディベート

また、名古屋出身のゼミ生が、地元で就職活動をしていて、学期の間、一度も教室に来なかったが、スカイプを使ってすべてのゼミに参加したこともあった。以降、うちのゼミでは「就活での授業欠席」という概念は、原則的になくなった(笑)。

それだけの経験を積み重ねてきたので、新型コロナのパンデミックが起こった時、ゼミでは「これまでの経験を生かして、大学の学びを守ろう」ということになった。いや、それだけではない。「危機は好機」だ。「今こそ、新しい大学の学びを創る」と宣言した。

その時の経緯は、こちらに書いてある。

要するに、うちのゼミでは、遠隔授業、ハイブリッド授業の手法の様々なバリエーションを学生主導で創り出した。これらは、コロナ禍が収まった後も、ゼミの学びの手法として残るだけではない。そのすべてが、これから新しい学びの形となった。

私は当時、「デジタルネイティブ」である学生が中心となって、教員とともに新しい学びのスタイルを創るべきだと主張していた。ゼミではそれを実践できたが、他ではほとんどが、私も含めてもう退職に近い老体の教員が、マニュアルを観ながら慣れないZOOMなどの危機の使い方を覚えて、学生に与えるという形になった。

学生は指をくわえて、教員が与えるのを待つという、いかにも日本的な形となったのだ。だから、コロナ過が終焉すると、文科省の号令で、一斉に元の大学に戻ろうという動きになってしまった。残念なことである。

うちのゼミでは、10年前から、私が「おい、こんなものがあるぞ(例えば、スカイプ、Discord、Slack、ZOOMなどなど)」と見つけてくる(私は、そういう勘はある)。あとは学生に任せると、きれいに授業の手法を開発する。その繰り返しである。

その中の1つが、ゼミ生を助手にしながら開発した「反転授業」である。

前述の上久保ゼミnoteも、SNS時代に対応して、大学の学びを公開し、社会とシェアし、ネットワーク化していくという取り組みだ。

うちのゼミは、昨日なども学生が集まって、Chat GPTなどをいかに使い倒して学びのレベルを上げるか議論し合っていた。常に新しい学びを追求し続けているのだ。

繰り返すが、うちの学生は日本のトップエリートではない。でも、常に最先端の学びを追求する姿勢を持っている。

松山商に強引に話を戻すと(笑)、少子化だ、地方が衰退した、だから勝てないとしても、「古い伝統を守る」というのは、指導者の甘えでしかない。最先端の理論・技術を学び、選手に示さなければならない。たとえ選手が才能に欠けていても、その才能を最大限に引き出せるように導くのが指導者の役割だ。

















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