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市街地ギャオ『メメントラブドール』(太宰治賞受賞作&野間文芸新人賞候補作)読書会

スマホで読むと質感がよい

「表紙がいいっすよね」
「イラストじゃなくて写真でビビッドピンクで。目を惹きますしね」
「と、装丁の話をしておいてなんですが、電子と書籍どっちもで読んで、なんか電子で読んだ方が質感がよかった
「それはわかるかも」
ツイッターみ?
ツイッターみ
「特にスマホで読むのおすすめです」
「わかるって言ったのは、わたしは読んでて『ツイッターのおすすめ欄だな〜』と思ったからです。マジでそんなに興味もないし、自分の生活に一個も関係ない風俗の人間関係とかパパ活の愚痴ツイートをうっかりクリックしちゃったみたいな。すごい長いツリーが連なってて、でも我々って一回読み出した文章を最後まで読まないと気が済まないタイプの人間じゃないですか? そのせいで最後まで読んじゃって『あれ……いまの時間なんだった?』ってなる。謎に一瞬だけよく知らない界隈に詳しくなって、3秒後に忘れる。そういう感覚を覚えましたね」
「あ〜あるある」
「世の中にはそんな世界もあるんだな〜ってなるやつ」

画面♡ペルソナ

「わたし、この中だと『ノンケ食いのゲイ』の部分よりも『コンカフェで男の娘として働いてるのに男の娘にならないやつ』が面白いな〜と思いました」
「コンカフェって空間がいいですよね」
「しかも、アキバじゃなくてゴールデン街にある」
「あとシンプルに健やかおじさん好きすぎる」
「好き〜。健やかでいてね。好き〜」
「ただ、そういうコンカフェの部分はツイッターで見られる部分だけで終わってしまったのが寂しかったなあ。多分これは作者の意図通りなので『寂しかったなあ』でしかないんですが」
「生感がない……というか、その場に身体としての実体がない感じはずっとしたかな。身体性がない」
「うん。それは狙いなんだろうなあ。ノンケ喰いをしているマッチングアプリ、Teamsで繋がるテレワークの職場、裏垢男子としてのツイッター、コンカフェのライングループ。コンカフェで働いているときとカズとのセックス以外の部分は、徹底的に画面を通したコミュニケーションがなされている。それが最後の主題にもつながってくるわけで……」
「昼サロってなに?」
「聞いてないなこの人……」
昼の日焼けサロン?
日サロって……夜なんすか!?
「もうおしまいだ〜」

1999年生まれ is 何

「これは……現代の25歳なの?」
「我々の学年の1個上ないし2個上ですね」
うちらの1個上って、こんなに平成に縛られてるの?
「パンチラインじゃん」
「てへ。1999年生まれと2000年生まれってこんな違うんですか?」
「この人、『男子校の姫だった時代=平成』な訳じゃないですか」
「あ、いまちょうどパッと開いて、『私の青春とかモラトリアムが平成とびっしり結びついているからなんだろうか?』って文章が見えましたね。確かにこれはちょっと違和感があるかも?」
「高専をでて修士2年行っていま社会人2年目、我々の1つ上……? まじ?」
「なんか、ここで平成を引き合いに出してるのもツイッターみがあるかも」
「そうなの?」
「最近のツイッターの人々すぐ平成っていいません?」
「平成レトロ?」
「こう……薄い。おすすめ欄に流れてくる、薄いまとめ。懐かしのサンエックスのキャラとかが画質の荒い一枚の画像にまとめられてるやつ。ツイッターにはそういうのが溢れている気がする」
「見てない界隈の話だ……」
「これ、帯に『新宿在住20代裏垢男子の令和5年』って書かれてるから、令和のZ世代を書こうとしているのかなって先入観が一個あって、でも読んでいくと、こいつは平成を引きずっている25歳ってことがわかっていき、で、ここで想起される『新宿区在住20代の令和5年に生きる若者』って紺野なわけだけれど、紺野は別に若者代表ではないから、読んだときの質感が帯や表紙から想起するものと違うのかも
うたちゃんの釣りに、わたしも釣られちゃったってコトー!?
「そこまで意図してたらやだよ……」

若者文体というテクスチャー

「これは……悪口ではないんですけど、大都市圏の同世代の作家から30くらいまでの純文学の書き手って『こういう文章書くよね』っていう漠然としたなにかがありませんか? えーと、帯文に『パンチライン』って言葉が出てくるタイプの
「純文学のわりにポストモダン的だよね〜小さな物語の消費」
「でも、それぞれに違うバックグラウンドがあって、それぞれ別の文章を追求しているのに、表出したものが似てくるのってなんでなんですか?」
「わからん」
『文体』って意味では明らかに違うんですよね」
「そうそう。メメラブと『みどりいせき』は違うし、『モモ100』も違うし、ちょっと離れてるけど若者文体でいえば金原大先生とも違う。みんな違うものを希求しているのに、表出されたときのテクスチャー似てるときがあるのはなんでなんだろう?

みどりいせき、腹を空かせた勇者ども、モモ100%(文藝)

「インプットが似てるから? いまの若者ってツイッターとかインスタとか、その辺だから?」
「でも、ツイッターとかインスタとかって、それぞれにパーソナライズされるじゃないですか」
「じゃあ、00年代インターネットから受け継がれてきた文脈? ツイッターがカルチャーになっていって、ムラ社会ができて、構文があって。えっ、それが現代性として捉えられて……!?」
「我々も『純度100パーセント♡00‘女子のツイッター小説』を書こう」
「エロ漫画のタイトルみたいだよ〜」

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