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単元を貫く問いの実際〜どんな問いを設定すべきか〜

【はじめに】
 前回の記事で「単元を貫く問い」について少し触れました。今回は、「単元を貫く問い」を考えていく上で、実際にはどんな問いを設定すべきなのかについて、書きたいと思います😃

単元を貫く問いがなぜ重要か

前回の記事より抜粋↓

「単元を貫く問い」とは、単元を通して考え続ける問いであると同時に、この問いに答えることができれば、単元の目標を達成できたと言えるような問いです。また、単元で学んだ知識や考え方などを総動員して考える必要のあるような問いになっていなければなりません。
 個人的には、授業をデザインしていくうえで、この「単元を貫く問い」を考えるステップが最も重要だと考えています

 上記のとおり、私は授業をデザインしていく上で、単元を貫く問いを考えることにもっとも時間を費やしています。

 なぜ、こんなにもこの問いを重要視するのかーー

 この単元を貫く問いは、基本的には単元の最初と最後に生徒に投げかける問いです。
 つまり、生徒たちは単元の総まとめとしてこの問いにとりかかるわけです。
 そんな問いが、もともと持っている知識やスキルで解けるような問いになっていたら授業なんて必要ありませんし、そもそもそれでは問いとしての完成度が低いと言わざるを得ないでしょう。
 単元の最後に答えるわけですから、単元で学んだ知識やスキルを総動員して答えられるような、生徒の学びの深まりを促す問いである必要があるわけです。

だからこそ、この単元を貫く問いを考えることにはかなりの神経を使うのです。

前回の記事では、

この問いが単元の目標とかけ離れてしまっていては意味がありませんし、内容が具体的すぎて答えやすいような問いではいけません。かと言って、問いの内容が抽象的すぎて何を答えたらいいのかわからないような問いでもいけません。

と書きました。
 まさにこの通りで、問いの内容が具体的すぎては、生徒がせっかく獲得した知識やスキルがごく狭い範囲でしか働きませんし、抽象的すぎてはあまりに考えを及ばせなければならない範囲が広すぎて生徒の思考がストップしてしまう恐れがあります。

生徒たちがちょうどいいレベルで思考できるような、そんな問いが理想です(言語化が下手くそですみません)。

単元を貫く問いの実際

では、少しではありますが、実際に私が考えた単元を貫く問いの表をご覧ください↓

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 どの問いも、まずは「生徒につけさせたい力(=単元の目標)」が上位にあり、それを達成するための手段という位置づけで設定しています。
 しかし、どうしてもこれに関しては主観的な見方を脱却することができないので、自分では問いの良し悪しの判断がつきません。

 そこで、先輩の先生にこの問いの良し悪しを聞いたところ、こんな答えが返ってきました。

これ、教材の中だけで完結している問いが多いね。

と。

 この先輩教員の言葉を聞いて、私はハッとしました。

教材の中だけで完結しない問い

 学校とは、あくまで生徒が社会に出たときに1人前の大人として生活できるよう、生徒を育てる場です。

 つまり、授業を通して学んだ知識やスキルを、日常生活や社会生活でどのように生かしていくかという観点が重要です。

 言い換えれば、社会に出てから役に立つ考え方やスキルを授業を通して生徒に身につけさせる必要があるわけです。

 このことを踏まえてから私が考えた問いを見ると、どれも教材の中だけで完結してしまっていて、教材を通して学んだことを日々の生活でどう使うか、という観点で考えられた問いではないことがわかります。
 また、教材の中に出てくる言葉を使えば解けてしまう問題が多く、自分の考えを自分の言葉で記述する問いが全くないことにも気づきます。

 例えば、羅生門の「下人の心情は、場面ごとにどのように変化しているだろうか」という問いは、羅生門本文に出てくる言葉を使えばそれで解けてしまうでしょう。

 もちろん、学習指導要領にも人物の心情を理解するといった指導事項があげられているので、そこを目標にするのは間違っているとは言えません。より高度な問いを考えていく上でも、人物の心情を理解したり、必要に応じて文章を要約したりする力は必要になってきますから、特に高校1年生の前半は、教材の中だけで完結するような問い=基礎的な知識やスキルの習得を目標にした問いでも問題ないでしょう。

 しかし、高校1年生の後半、2年生になっても、教材の中だけで完結するような問いでは、明らかにもったいないのではないでしょうか。

 前述のとおり、「下人の心情は、場面ごとどのように変化しているだろうか?」という問いは「羅生門」という教材の中だけで完結している問いですし、教材に出てくる言葉だけを使えばそれで解ける問題です。

 これをたとえば、「生きていくための悪は許されるだろうか?老婆の論理や、下人のとった行動をもとに、自分なりに考えを述べてみよう」といった問いにしてみるとどうでしょうか?

 もちろん羅生門で学んだ知識や考え方がベースにはなるのですが、「生きていくための悪は許されるか」という、羅生門という教材の枠組みを超えた問いになっていることに気づきます。

 こうした、教材で学んだ知識やスキルを外の世界や自分に当てはめて考えることができるような問いが理想なのではないでしょうか。

 さらに、私は以前の記事(noteを始めた理由:自分軸を見つける!)で、自分軸を持つことの大切さについて触れました。

 これからの社会では、自分軸を持つこと、つまり自分の価値観や信念に従って行動することが重要です。

 そうした自分軸を明確にするためには、自分の考えをアウトプットして、自分の価値基準や信念を客観的に捉えることが必要でしょう。

 羅生門の例で出したような問いは、教材の中に出でくる言葉だけではなく、自分の言葉を使って、自分の考えを書かせることができるので、自分の価値基準や信念を浮き彫りにさせることができます。

 だからこそ、教材の言葉だけを使って済んでしまうような問いではなく、自分の考えを記述できるような問いを設定できるのが理想なのではないでしょうか。

【おわりに】
 ここまで、教材の中だけで完結しない「単元を貫く問い」について書いてきました。

 こうした問いは、日常生活や社会生活でも役に立つような考え方を育成できるとともに、自分軸を明確にすることにも一役買うことができるのではないかとも述べました。

 そこで次回は、私の「徒然草」の実践をもとに、「教材の中だけで完結しない単元を貫く問い」の実際について、ご紹介したいと思います。

ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました😊

もしよろしければ、次回の記事もお読みください🙇🏻‍♂️

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