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澄明にして難解:ノーベル文学賞ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(斎藤真理子訳)レビュー

 今年のノーベル文学賞発表と同時に書店たちまち全書籍払底となったハン・ガンの『ギリシャ語の時間』(斎藤真理子)を勤務先図書室で見つけて読了。描き出された世界は澄み切って静謐ながら、難度高く、一読では全容を理解できたとは言い難いが、ある意味メルクマールとしてレビューを記す。
 主要登場人物はふたり。ひとりは視力を失いつつある韓国で生まれドイツに育って帰国したギリシャ語講師、もうひとりは失語症ながら外国語でなら発語の可能性あって、現在はギリシャ語を学ぶ元詩人にして出版、編集も手掛けた文学を教える講師。それぞれの過去や現在が錯綜しながら語られ、ふたりの接近が描出されている。冒頭、ボルヘスに関わるエピソードが紹介され、その存在が作品の通奏低音のように最後まで寄り添う。また、ギリシャ語教室が舞台となることで、ギリシャ語の中動態という概念が投入され、物語世界を整えていく。
 おそらくそうした重層性が難解さを看取させるのだろう。読み進めながら、何度か前のページを繰ったりすることもしばしば。それでも、そうした行き来の繰り返しに、いつしか物語世界へと没入し、気づけば、ふたりの内側から発せられる言葉を受け止めるべく、澄み切った空気感の中で全体を包み込むような静謐に耳をすましている。ふたりが寄り添い合う終盤は、散文詩の装いで、澄明度、ひときわ濃密である。訳者斎藤真理子氏の訳出力によるところ大なのだろう。
 苦しく辛いキャラクター設定ながら、読了後もたらされるものは明るく解放的である。
 独特な味わいの一書だった。原書を読めないことが残念。

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