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「バイオとローダ」その5
「罪が赦されることは、本当にあるのかな」
『珍しいな。お前からおれに話しかけるなんて。』
普通列車しか止まらないホームで。
やけに今日は、音が大きい。傍にあるダクトも、遠くを走る車も、人の声も。
『どんな罪だ?』
「大切な人を、傷つけた。そして、関係性は、修復不可能になった。」
『・・・自分で決めた罪は、厄介だな。』
「自分で決めた?」
『ああ。関係性ってのは、本来
「バイオとローダ」その4
僕は、学校の教員だ。
今日は、物語を書く授業をした。
『なぜ、人間は基本や型を破った方がカッコいいと思うのだろう。』
ローダは、いつも僕に話しかけてくる。
「型破りって言葉もあるし、ね。我流でやりたいって気持ちをもつことは、よくあるよね。確かに、我流で奇抜な作品を作ってしまう芸術家とかの話を聞くと、型を学ぶことが、逆に先入観になってしまうと感じるんだね。」
『そうそう!そんな
バイオとローダ その3
帰りのバスが丁度目の前で発車してしまった。溜め息とともにベンチに座ると、ローダが話しかける。
『でもさ。やっぱり、おかしいよ。』
「何が?」
『記憶よりも、記録。
生よりも死を選んだときにさ。
彼女くらい優秀なら、「生きていればいつか幸せ」くらいのセオリーは、知ってたハズじゃん。それに、生きてこその人生なんだとしたら、死には、何の意味も無いって言うのかい?彼女の決断は、何もかも間違
バイオとローダ その2
※「serial experiments lain」のネタバレも微妙
にあるから、気をつけてね。
『あのさ、記憶と記録って、何が違うんだろうねえ』
ローダは、レインちゃんの話が、まだ気になっているようだ。
『あの娘は、記録に全てを託して、生物としての肉体は消すことを選んだ。それが、幸せな決断かは分からないけど、娘の存在は、記録として残る訳だから、半永久的に存在することになるのでは?』
バイオとローダ その1
小さい頃、人形に話しかけたことはあるかい?
10代なら、いや、大人でも、ゲームや、小説の主人公になりきったり、自分を重ねたりしていたかな。
僕にとっては、『彼』が対話の相手。
夜。図書館への道を歩いていた。
延滞してしまった本を、職員さんに面と向かって返すのは気恥ずかしいので、閉館するのを待ってから出かけた。
地下鉄を降りたところで、彼は話し掛けてきた。
「さっきのゲーム、面
僕の物書きの仕方(ルース・カップリングの応用)
久しぶりに、noteに書こうと思います。
最近、ずっと別の場所に書いていて、こっちに書くことは何だろうと思っていました。
ずっと物書きには憧れていましたが、自分のスタイルが見つからず、色んな形で創作は続けていました。特に、論文を書く機会に最近は恵まれていたので、カタイ文章は元々得意ではあったけど、なんとなくその書きぶり?が掴めてきました。今年度は大学院を目指すので、その為にも、沢山の研究機会
特定の概念のうち、社会的な営みとしての側面をもつもの(支援、協力等)の、分析の視点
①その営みが行われる場が、公式(オフィシャル、つまり公的な場や関係性、取引や行政サービス等)か非公式(アンオフィシャル、つまり私的、家庭や友人関係等)か。
昨日の事件解決後の殴り書き
ホンモノが何なのか。
本心が何なのか。
やりたいことが何なのか。それは、本当にやりたいことなのか。
仲間が探すのは真っ直ぐで完全に一つな真実みたいなもの。
別に僕は、自分らしい虚構で、複数のパラレルな自分がいても、作られたストーリーが自分の人生でも、構わないと思う。本当を知らないまま進み続けて、望む形さえ見えなくなってしまうのはマズイけど。一本道でホンモノを辿るというよりは、幾つ
世界青年の船に向けて②
昨日、大学の頃の友人と飲みに行った。(三時間も付き合って、酔った僕を車で送ってくれた彼に本当に感謝なんだけど)、話して分かったのは。
僕は決してもう、独りぼっちじゃないし、もう昔の自分とは全然違う。僕のことを励まして、応援してくれる人は沢山いて、実はそれは、昔からそうだったんだけど、僕が気付かなかっただけのこと。こんなに不可解で普通と違う僕を、確かにバカにしたり拒絶したりする人も沢山いたけど
魚は、自由に泳がせるのも、また美しい。
休むことへの罪悪感に悩まされながら過ごす春休み。何度も電話がなるけど、強い意志を持って、休まないといけないのだ。
こういうとき、孤独を強く感じるなあ(休んだからといって、リフレッシュもできないし)。自分には、休む権利があるくらいに、仕事ができる人間なのか、不安になる。でも、不安が伝染するからこそ、今の現場は物凄く忙しくなってると思う。これからの後輩やこの仕事を目指す人にとっても、良くない。どん
「夢の溜まり場」をつくる。その4
「夢の溜まり場」は、2021年5月頃から大曽根商店街に住み始め、半年間かけて作った自分的なこの街への関わり方のビジョンで打ち出したものだ。
日本においては、住民参加型のアートプロジェクトによって街づくりや町おこしに取り組む例が多い(ex.越後妻有、瀬戸内、別府市;秋元(2019)「アート思考」参照)。
しかし、大曽根商店街(オズモール)は、オズの魔法使いを主題としたモニュメントや石像が立ち