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してもいいし、しなくてもいい「やりがいのある仕事という幻想」

この記事は以下のような方に参考になるかと思います。
・仕事にやりがいを感じない方
・仕事が楽しくない、退屈な方
・仕事を通して自分を高めたいと考えている方

この記事は森博嗣さんの下記書籍4冊を読んだ感想とともに、その内容へ自分を当てはめ、考え、行動した記録を書いています。

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してもいいし、しなくてもいい「やりがいのある仕事という幻想」

ただいまミステリー小説家 森博嗣さんのエッセイにハマっている私。
そこで今日は、最近の私の悩みをネタに、
森博嗣さんの本を読んで至った意外な境地について書いてみたい。

今回の本

なぜ悩むのか

私の最近のぼんやりとした考え事。
仕事がなんとなく退屈だということ。
ここで考え事と書いたのは別に「悩んでいる」というほど困ってもいないからだ。
でも漠然と不安というか不満がうっすらと浮かんでいる。

どうしてかなあと思う。

今年の春、転職して今の会社に入った。
転職理由は仕事へのやり甲斐だった。

前職で大きなプロジェクトを担当した私。
思い返すと恐ろしいほど毎日が忙しく、
扱う仕事も自分の能力より上ばかりで苦労した。
そしてなんとかやりきり大きな達成感を得た。
仕事が楽しいと心から思った。

だから転職先にも同じものを期待していた。

「やり甲斐」

そもそも「〜甲斐」とは「〜しにくさ」という意味があるそう。
森博嗣の「なにものにもこだわらない」で記されていた。
例えば食べ甲斐があるというと、
固い、苦い、多いなど食べにくさが伴った先に
美味いなどの満足にたどり着くようなイメージだ。
すると「やり甲斐」にも何らかの苦労や進めにくさなど
障害があることが「やり甲斐」を成立させるための条件となる。
仕事で大変だった前職を思い出すと納得がいった。

そう考えていくと、
今の私に「やり甲斐」はたぶん成立しえない。
今、仕事にこれといった障害はないからだ。

職場の人はみんな優しく、
仕事内容も難しくないものばかり。
プレッシャーを感じるほどの責任や裁量もない。
嫌だなと感じることは何にもない。

未来が不安になるのは、今が良い状態だからだ。

やりがいのある仕事という幻想

(あぁ、そうか)

気がついた。
森氏の、たしか別の書籍にも同じことが書かれていた。

仕事が嫌すぎるけれど辞めることもできないという
悩みを相談する読者に対して森氏は答える。

将来仕事を辞めて無職になることが、
今より悪い状態だからという理由で踏み込みまないのだとすれば、
仕事を辞めていない今現在はそれより良い状態だということだ、と。

(森さんらしくて面白い)

今が「良い」のに、未来が「不安」
今が「良い」から、未来が「不安」

なんだか不思議だが、そういうことだ。

書籍「孤独の価値」にはこうある。

人間は、現在の状態ではなく、現在むかっている方向、その「勢い」によって感情を支配されている場合が多い。

こんな図もついていた。

(なるほど〜確かにそうだ)

感情は「今」ではなく「これから」に影響されがちだ。

多分私は今、この波線のうち、
上に飛び出すカーブの頭あたりにいる(と思っている)。
そして、少し先に自分が“下る”可能性を予感しているのだ。

今、何のストレスもない仕事へ
私がなぜ不満、不安を感じていたのか。

森さんの本を読んで分かった理由のひとつだった。


こだわり

当たり前なのに気がつかないこと。
それは何気ない一文だった。

人生の生きがいを仕事の中に見つける必要はどこにもない。もちろん、仕事に見つけることもできるかもしれない。それと同じように、仕事以外にも見つけられる。好きなことをどこかで見つければ良い。どうして仕事の中でそれを探そうとするのか、自問してみよう。

(あぁ、そうか)

生きがいは
仕事の中に見つけてもいいし、
仕事の中に見つけなくてもいい
のだ。

『してもいいし、しなくてもいい』

そんなのほとんどの事柄に言えるじゃないか。
でも確かにそうだ。
自分の人生を決めるのは自分。
だから、どちらでもいいことに
『こうでなければならない』と決めているのも自分だ。

仕事にはやりがいを感じていないと
仕事を通して自分を高めないと
仕事が人生の楽しみに繋がっていないと

ここ数年、そう考えてきた私。
でも、そうじゃなくてもいいし、そうであってもいい。

結局は、生きていくうえで大事なことは、この思考の身軽さというものではないだろうか。

森氏のことばに、私の考えも悩みも軽くなる。
そして思い至った。

私の向上心を満たすのは、
常に仕事でなくても構わない。

今まで考えもしてこなかった場所だった。


仕事とは

ミステリー小説で活躍する森氏だが、
彼は小説を書くことをビジネスだと言い切る。
好きなことはそれとは別にあり、
好きなことをするために必要な、資金稼ぎの手段なのだそう。

(へー!)

自分の子どもについての話でも、彼の仕事への考えがわかる。

彼ら(自分の二人の子ども)が何をしていようと、どんな生活をしていようと、生きているならば、自分の子供であるから嬉しい。
仕事というものは、今どんな服を着ているのか、というのと同じくらい、人間の本質ではない。

人は働くために生きているのではない

(わお)

仕事は人生、仕事はその人そのものだ
なんていう考えに多く触れてきた私には衝撃的なことばばかりだった。

「やりがいのある仕事という幻想」
読んでいてあることに気がついた。
今まで自分がこだわっていた考えの後ろに
隠れていたものだった。(隠していたのかもしれない)

お金を稼ぐ手段としての仕事。

(!)

ブログの最初に書いた「やり甲斐」ということばの意味。
苦労などの障害を乗り越えた先に感じる喜びや達成感。
ここに私があえて書かなかった
「やり甲斐」の意味がもう一つある。

「やり甲斐」
=何らかの報酬があって、苦労をしただけの価値が認められること

仕事を対価(もらえる報酬)ではかるということだ。
これはたぶん、今まで私が気にしてこなかった面だ。

仕事について考えるとき、私はいつも
「こうあるべき」と「実際はどうか」を比べてばかりいたと思う。
つまり「仕事で自己成長するという理想」と
「それが叶うような仕事ができている今か」を比べて評価する。

でも、

「投下した労力」と「報酬」を比べるという考え方もあるのだ。
どちらの考えが良いとか悪いとかではない。
これもまた、してもいいし、しなくてもいいもののひとつだ。


ならば今は報酬で考えることにする。

かけた労力と報酬は釣り合っているか。
もしくは成果と賃金。
私の働きは、もらっている賃金に見合っているのか。

先日、上司へ半期の目標進捗を報告した。

「うん、順調だね」
「引き続きその調子でね」

そんなコメントをもらった。
私は会社から求められていることはできているのだ。
受け取っている報酬も、
釣り合っていると思う。

考えを変えるということ

仕事は楽しいもの
仕事を通して成長する

ここ数年ずっとこれで走ってきた私が、
今は仕事を、労力と対価で評価している。
考えを変えている。

これは
都合のいいように思想を変えているということなのか。
そう思うと悲しくなる。

そのつど、好きなものを選ぶことに価値がある、と思っている。

泣きそうになった。
喫茶店でひとり、きゅーっと喉が痛くなる。

今回私は“これから仕事を金で考えます”と
宣言するわけじゃない。
もう仕事を頑張らないとかでもない。

ただ、今、自分で考えてそう思いました
ということだ。

仕事でキラキラする自分は良くて
そうじゃない自分は良くないという思い込み、
こだわりに気がついた。


森さんの本を読んで、自分で驚く境地に至った。
ただいま4冊目。

まだまだ私の森博嗣は続く気がしているが、
その数は三百冊以上だということをさっき知った。

(ひぇ~!)

今週の記事はここまでです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
私のブログはnote以外で下記にて毎週月曜に更新しています。
https://ykakizoeblog.com/
ちらっと覗いていただけたら嬉しいです。

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ではっ

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