【能楽】忠度・三輪
2024年7月27日(土)、国立能楽堂で、能の『忠度)』と『三輪』を鑑賞しました。記録を残します。
■はじめに
通常、能楽の公演は、能と狂言が組み合わされて催されますが、今回は能が2本の公演でした。「女性能楽師による」と題名がつけられた女性のシテによる企画公演です。概要を記載します。
『忠度』、観世流、シテ:鵜澤久さん、使用した能面:笑尉、中将、95分
『三輪』、宝生流、シテ:松田若子さん、使用した能面:深井、泣増、95分
間に、20分の休憩をはさみますが、95分の2本。しかも、『三輪』は前回よく分からなかった演目であることもあり、集中力が持つか心配でした。しかし、途中、少しだけ眠ってしまった部分があったものの、両演目とも楽しむことが出来ました。それぞれの感想等に続きます。
■能『忠度』
(1)あらすじなど
私も、忠度については、(現代語訳)『平家物語』で、その人となりを押さえていたので、あらすじにバッチリついていくことが出来ました。
人物像と妄執について、公演プログラム等から少し引用します。
(2)感想など
私としては、詞章も、具体的で分かりやすい内容だったと思います。
(社会的に)抹殺されつつも遺るのが「和歌」というところが、繊細に感じられます。また、忠度は勇猛な武将であると同時に、優れた歌人であり、この対比が、美しさや儚さ(のようなもの)を感じさせるように思います。季節は、桜の花が出て来る春です。討死の場面もあります。
そして、鵜澤さんの武将としてのカッチリとした動きが、メリハリを出している気がしました。
金子直樹さんの解説の中に、「さすが世阿弥が自賛するだけのことはある作品」という記載があり、世阿弥のコメントにも触れてみたいなぁ、と思いました。
■能『三輪』
(1)あらすじなど
『三輪』の説明は難しいです。配布チラシから引用してみます。
①里の女性が、玄賓僧都を神木の杉のもとに誘う話と、②(里の女性は、実は三輪明神であり)三輪明神が、神話(昔いた夫婦の話)を語る話が二重構造になっています。しかも、三輪明神は伊勢の神(天照大神)と一体ということも示されます。
1回目観たときは消化し切れなかったのですが、今回は理解しながら話を追うことが出来ました。
(2)感想など
季節は「秋」。里の女(シテ)と僧都(ワキ)のやり取りの背景に、秋の寂しさを感じました。最近、私は、美術館で作品などを観て「これは秋かな。」と理解出来ることが増えて来ました。私は、春より秋が好きかもしれません。
後場で、三輪明神が神楽を舞います。白い衣装で、杉の木の作り物から出て来るのですが、清らかな印象で「はっ」とさせられる部分がありました。
(3)余談
以下の部分は、書くべきかかなり迷ったのですが、記載します。前場にて、里の女(シテ)と僧都(ワキ)のやり取りの一部です。
この衣が、話のキーアイテムとなります。
私は、この時、何を思ったか、僧都(ワキ)が自分の衣を1枚脱いで、里の女(シテ)に渡すのかと思ったのです。しかし、実際渡したのは、脇に置いてあった衣でした。
シテは、三輪明神でありますし、私の考えは、さすがに距離が近すぎるかもしれませんね。
今回の話はさて置き、最近、私は、シテとワキ、アドとワキが、向かい合って話をする時の「距離」に目が行くようになりました。絶妙の距離があるのでしょうね。面白いように思います。
■最後に
冒頭の写真は、「伊勢神宮」で検索し、てっちゃん(さん)の画像を使用させて頂きました。ありがとうございました。
余談は不要だったかもしれませんが、本日は以上です。