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【歌舞伎】夏祭浪花鑑

 2024年9月7日(土)、新国立劇場・中劇場で、歌舞伎の『夏祭浪花鑑なつまつりなにわかがみ』を鑑賞しました。記録を残します。

■本作について

 自分の文章で書いてみようかと思ったのですが、そこは感想の部分に回して、国立劇場のプログラムから引用させて頂きました。

 (『夏祭浪花鑑』では、)大阪の侠客きょうかく(義侠心を信条として生きる人)の達引たてひき(義理や意気地いきじを貫くこと)が描かれます。
 初演(1745年)から約50年遡る元禄期に、舅殺しの事件を起こしたとされる団七九郎兵衛が本作のモデルです。
 (全九段の作品で、今回上演される)三段目(住吉鳥居前すみよしとりいまえ)・六段目(釣船三婦内つりふねさぶうち)・七段目(長町裏ながまちうら)からなる上演が定着しています。

国立劇場のプログラムより抜粋して引用。

■感想

(1)全体を通して

 私は『夏祭浪花鑑』を文楽で観たことはあったのですが、歌舞伎で観たのは今回初めてでした。
 感想を結論からいうと、本作には、(後述しますが)舅を殺す場面など生々しい場面もあり、人間が演じることにより、実感として、深みが増すように感じる部分もありました。
 次に、舅殺しの場面について記載します。

(2)舅殺しの場面①:どこまで言語化するか

 七段目(長町裏)で、団七(演:坂東彦三郎)が泥にまみれた義平次(演:片岡亀蔵)を殺害する場面があります。イヤホンガイドによると、「官能的」「(繰り広げられる数々の見得が)歌舞伎の様式美」など、語られていたように思います。

 この「官能的」という部分ですが、私は鑑賞しながら、「自分は十分に掴み切れているかな?」と考えたりしました。
 また、こうした部分は「あまり深入りして言語化せず、役者の表現(演技)について記載するのが、よいのだろうか?」と考えたりもしました。

 「官能性」の要素としては、以下のような点が考えられます。挙げるとキリがありません。
・場面:夏祭りの夜(静寂と賑やかさ)、神輿
・団七:入れ墨、(赤い)ふんどし、解けて乱れた髪、脛ぐらいまで泥につかった足、見得
・義平次:泥まみれ、血まみれの姿、死
などなど。

 こうした部分を、どれだけ言語化するか、他の観客と言語化して共有するかは、人それぞれでありますし、共有を考える相手との距離感の問題でもあるように思います。なかなか難しいですね。

(3)舅殺しの場面②:どちらにがあるか

 江戸時代に義父であれ親を殺すことは、現代に比べ、より重い罪に問われたと思います。挑発する義平次と堪える団七の心理戦が続きます。
 結局、団七は義平次を手にかけてしまう訳ですが、どちらにがあるでしょうか。江戸時代では、義理人情の世界において、団七の気持ちに寄り添う観客が多かったかもしれません。
 一方、私は鑑賞しながら、将来の100両より目先の30両を取ろうとする義平次と、そこに誘導しようとする団七のやり取りに、経済合理性を感じたりもして、面白く見る場面もありました。
 話を戻しまして、どちらにがあるかと考えた場合、どっちもどっちのような気もして、これからも考えていきたいテーマです。

(4)その他

 歌舞伎として、生身の人間が演じる姿を観ることで、特に、三婦(演:市川男女蔵)が、いつ数珠を引きちぎるのかなど、迫力を感じました。 
 徳兵衛(演:坂東亀蔵)、おつぎ(演:中村歌女之丞)、お梶(演:澤村宗之助)、お辰(演:片岡孝太郎)なども、印象的でした。
 観る回数を重ねることで比較が出来て、「あの時の〇〇さんの△△の演技がよかったなぁ。」など、役者に目が行くようになるかもしれないなぁ、と思いました。

■最後に

 だんだんと涼しくなってきましたが、夏の終わりに、本作『夏祭浪花鑑』を観ることか出来てよかったです。季節が夏で、登場人物が浴衣の胸をはだけたり、団扇であおいだり、任侠の世界観が伝わってくるような気もしました。
 冒頭の画像は「蓮」で検索し、ぶどうさんの作品を使用させて頂きました。ありがとうございました。
 本日は、以上です。

〈おまけの画像〉

 2024年9月は、新国立劇場で歌舞伎、文楽ともに『夏祭浪花鑑』を上演しています。

新国立劇場前の看板より

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