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【読書・演劇】葉桜、命を弄ぶ男(女)ふたり(岸田國士)

 2024年7月、岸田國士くにお作の演劇を観て、戯曲を読む機会がありました。記録を残します。

■はじめに(きっかけなど)

(1)きっかけ

 今年の7月、近くの大学の学生による舞台発表(自主上演実習)がありました。
 大学生が戯曲を書いたグループもあれば、プロの劇作家の作品をもとに上演するグループもあり、その中に、岸田國士の作品が2本ありました。『葉桜』と『命を弄ぶ女ふたり』(「命を弄ぶ男ふたり」をアレンジした作品)です。

(2)岸田國士について

 岸田國士くにお(1890年(明治23年)11月2日 - 1954年(昭和29年)3月5日)は、日本の劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家です。
 これまで私は、岸田國士さんについて、岸田今日子さんの父親であること、そして、岸田國士戯曲賞という賞があること、ぐらいしか知りませんでした。そして、同賞についてインターネット検索すると、株式会社白水社が主催する戯曲賞で、新人劇作家の登竜門・「演劇界の芥川賞」とも称されるとありました。

 今回、岸田氏の作品を観て「(現代から振り返っても)すごいなぁ。」と思いました。同氏については、もう少し掘下げて調べてみたかったのですが、日にちが過ぎるばかりだったので、とりあえず感想の記載を優先することにしました。
 作者や作品の批評を読むのは、後でコツコツやっていこうと思います。

■『葉桜』について

(1)あらすじと青空文庫

大正時代、岸田國士が妹のお見合いを題材に書いた言われる戯曲『葉桜』。娘の見合い相手の態度が気に入らない母と煮え切らない気持ちの娘。娘の結婚を巡ってとりとめのない会話が繰り広げられる。

配布パンフレットより抜粋。

(2)感想

 無駄のない、引き算で構成されたような戯曲・舞台で、すごく感動しました。六畳の居間、母と娘の二人舞台。戯曲を読むと、二人の台詞の間に「間」や「沈黙」が多く挿入されていました。こうした「有」と「無」のバランスが余韻を醸し出しますし、観客・読み手の想像力を促すように感じました。

 もう少し具体的に書くと、母と娘の会話の中から、娘のお見合い相手の人物像が浮かび上がって来ます。そして、両者がそれぞれ彼をどのように思うか、その目線や評価が描かれます。母と娘の会話が想像力を掻き立て、そのためには、背景として、余計なものは少ない方が良いように思いました。

■『命を弄ぶ男ふたり』

(1)あらすじと青空文庫

ある日の夕暮れ時に、死を決意した女ふたりが、同じ線路脇のベンチで奇遇にも出くわしてしまう。眼鏡をかけた女と、顔中に包帯を巻いた女。互いに(自分の)死の正当性について主張し合い、その場を譲ろうとはしない。〈後略〉

配布パンフレットより

(2)感想

 大学生の上演作品の題名は『命を弄ぶ女ふたり』(原作の「命を弄ぶ男ふたり」をアレンジ)でした。こちらも会話劇なのですが、線路脇から列車に飛び込むためには思い切りが必要であり、緊張感や勢いを感じる部分もありました。

 戯曲と比べてみて、主人公2人の性別が変わっていることに加え、時代設定が現代に置き換えられているようでした。1つだけ記載すると、戯曲上、眼鏡をかけた男は俳優を生業としていますが、今回の舞台では、女性アイドルの設定でした。

 社会的背景などから「ここは男性の方がよかったなぁ」とか、逆に「女性に変えるとこうなるのか」など、原作の枠組みとずれる部分があり、面白かったです。
 また、おそらく、役の設定上、包帯の人の方が眼鏡の人より年上で、死を決意しながらも、2人の行動に微妙な違いがありました。包帯の人が眼鏡の人を包容するように感じる場面がありました。

■最後に

 私は、岸田國士さんを古い戯曲家とばかり思っていましたが、今回の観劇や読書を通じて、現代に通じる作家だと痛感しました。これから別の作品も読んでみたいと思います。また、こうした有名な作品を、脚色する面白さも感じたように思います。

 最後になりましたが、今回、冒頭の画像は、めぐすりさんの春の夕焼けを使用させて頂きました。ありがとうございました。
 本日は、以上です。


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