【歌舞伎・文楽】双蝶々曲輪日記(感想前編)
12月も半ばを過ぎ、今年も残り僅かとなりました。今年、なかなか上手くまとめられず、ボツにした記事もあります。「双蝶々曲輪日記」の感想もその一つです。年末最後に投稿しようかと思いましたが、頑張って投稿してみようと思います。
■作品『双蝶々曲輪日記』について
(1)作者等
寛延2年(1749)7月、大阪・竹本座で人形浄瑠璃(現在の文楽)として初演された作品。作者は、二代竹田出雲、三好松洛、並木千柳の三人による合作です。
初演時は不評であったようですが、翌年8月には、「義太夫狂言」として京都で歌舞伎化され、人気が出たようです。
(2)あらすじ
外題にある ①「双蝶々」と②「曲輪」をもとに、後掲する参考文献からまとめてみました。
①「双蝶々」については、濡髪長五郎と放駒長吉という、二人の<長>の字を名にもった角力取りを主人公にしていることに由来します。喧嘩早い角力取りの達引(義理や意気地を立て通すこと)を中心とした話です。
②「曲輪」については、与五郎と遊女・吾妻、与兵衛と遊女・都という二組のカップルの大阪新町の廓での色模様を描いたことから名づけられたようです。
つまり、『双蝶々曲輪日記』は、①と②の話が組み合わせって構成された作品です。①②に、それほど貫通するテーマは無いようですが、そこが面白いという見方も出来るようなことが、参考とした本には書かれてありました。
■侠客と角力について
(1)感想をまとめづらかった理由
Wikipediaによると、『双蝶々曲輪日記』は、『夏祭浪花鑑』に続く「男の侠気を描く世話物」とあります。
鑑賞後に感想をまとめづらかった理由としては、(現代にも繋がるのかもしれませんが、)江戸時代の角力取りの位置づけがよく分からなかったことがあげられます。
そこで、図書館で調べてみると、以下のような本に遭遇しました。
(2)侠客と角力
『侠客と角力』は、三田村鳶魚(1870-1952)を書いた本を、柴田宵曲(1897-1966)が編集したものです。まだ読み終えていないのですが、紹介と引用をしてみます。
まだきちんと理解出来ていないのですが、江戸時代の角力取りには、侠客と近い部分があったことが分かります。
(3)「侠客」の世界
手持ちの辞書を引いてみると、以下のような意味の記載でした。
ここからは、慎重に記載したいと思います。
定義にもよりますが、「侠客」という言葉には、①義侠心に富んだ人に、②喧嘩賭博を渡世とする遊興無頼の徒も、概念として交じっているようです。
そして、こうした「強きをくじき弱きを助ける」という世界は、公の法(律)とはまた別次元で存在し、また違った価値尺度で、助けられた人もいたように思います。
他方で、行き過ぎた暴力等を抱える面もあり、現代では狭められている世界です。
今後、もう少しきちんと本など読んで、理解していきたいです。
ここまで記載してきましたが、いつも自分が書く分量より長くなりつつあるので、一旦区切りたいと思います。
次回は、『双蝶々曲輪日記』八段目「引窓」の感想を中心に書いてみたいと思います。
■参考文献
・『双蝶々曲輪日記、本朝廿四孝(歌舞伎オン・ステージ19)』(白水社、権藤芳一編著)
・『現代語訳 歌舞伎名作集』(河出文庫、小笠原 恭子訳)
・『侠客と角力』(ちくま学芸文庫、三田村 鳶魚 著、柴田 宵曲 編)
また、今回は、「角力」でもなく、「蝶々」でもなく、七段目にある「菜種(菜の花)」の写真を、manamimushiさん(まなみんさん)から借りて、使用させて頂きました。(七段目を観たことがないのですが、イメージに合っているか少し心配です。)
本日は以上です。
なお、後編の記事は、こちらです。