
老人の妄執 フレイルティについて
その人は、とても柔和で、ものわかりのいい作家だった。
だが、一緒に本をつくっている最中に、異常な行動をとるようになった。
原稿のある部分にこだわり、「表現が間違っている気がする」と、何度も書き直そうとする。ゲラになっても、それが続くのだ。
編集者の私からすれば、なぜその箇所にこだわるのか、わからなかった。
芸術性にも、書物の質にも関係のない部分で、校了が遅れるだけだから、はっきり言って迷惑だった。
その作家自身も、「変だと思うだろうけど、気になって仕方ないんだ」と言っていた。
なんとか本は完成して出版された。
それから数カ月して、その作家は突然、脳出血で他界した。まだ60代だった。
亡くなってから、
「あの異常な行動は、病いの症状だったのではないか」
と思った。
いつまでも、ひとつのことが気になり、異様にこだわる。
いわば「精神」の流れがよどんでいる。それは、脳の血管が詰まったことと、なにか関係があるのではないか、と。
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埼玉県で86歳の男が立てこもり事件を起こしたときーー人びとはもう事件を忘れ始めているかもしれないがーー、あの作家の異常な行動を思い出した。
郵便局員の態度が気に入らなかった。警察官の対応が気に障った。医者の態度がーーなどなど。
ーーそういったことに異常にこだわり、被害妄想をふくらませ、異常な行動を引き起こす。
「妄執(もうしゅう)」というやつである。「心の迷いによって、ある特定の考えに執着する」こと。もとは仏教用語のようだ。
もちろん、あの作家が亡くなる前の行動とは、性質もちがい、行動の深刻さがちがう。
また、私は、あの立てこもり犯のことを、病気だとか、責任能力が疑わしいとか、言いたいわけではない。
ただ、あんな歳で、あんな行動をとることに私も驚いたけれど、歳をとり、身体が弱り、脳も弱ってくるからこそ、「妄執」が生じやすいのではないか、と思ったのだ。
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いま、加齢による衰弱、いわゆる「老衰」を、「フレイル」と言うようになっている。
英語の「フレイルティ frailty」から来た言葉だが、フレイルティは、身体の衰弱だけでなく、暗示にかかりやすいといった、性格的・道徳的な脆弱、メンタル的な弱さも意味する。
だから、老いの「妄執」も、フレイルの一種かもしれない。
実は、そう思ったのには、1本の映画の影響もある。
「フレイルティー 妄執」という、そのものずばりの邦題をもつ映画があるのだ。原題は「Frailty」。
マシュー・マコノヒーが主演して、俳優のビル・パクストンが監督を務めた2001年のホラー映画だ。

特定の人びとに悪魔がとりついていると妄想し、殺人を繰り返す男の話で、なかなか面白かった。
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一般に、歳をとると、人はこだわりがなくなっていくと言われる。
若い時にメンタルの問題をかかえた者も、歳をとると自然に寛解していくことを、「老いの利点」ととらえる精神科医もいる。
ボーダーラインの患者を前にしてまずわれわれ精神科医は,「30代まで生き延びること(自殺既遂をしないこと)」を目標とする.30歳を過ぎ,40,50と歳を重ねるごとに症状が軽くなることを知っているからである.(中略)
加齢でそのエネルギーが低下するからという単純な理由だけではないかもしれないが,多くの精神疾患の症状に対して,年をとるということは症状緩和の方向に働く.
新里和弘「高齢者のいわゆる心因性について考える―加齢の疾患に対する影響―」(『臨床神経学』、2020)
しかし一方で、歳を重ねるほどに、「妄執」をふくらませていく老人もいるように思う。
それも、最初に述べたように、身体的・生理的な老いに、根拠があるように感じる。
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こだわりをなくしていく老人と、こだわりを強化していく老人。
老人は、この2つにわかれていくのだろうか。
これが気になるのは、私も老人になり、その2つの傾向が、自分の中にあることを感じるからだ。
むかしこだわっていたことが、どうでもよくなった側面と、どうでもいいことのはずなのに、いつまでもこだわってしまう側面と。
上の論文でも触れられているが、「こだわりがなくなる」方向の一つの帰着が、認知症である。
いつまでもこだわってしまう、忘れられないイヤなことを、忘れるために、人は認知症になる、という話も聞いたことがある(医学的に正しいとは思わないが)。
できれば、認知症になる手前で、こだわりを捨てた老人になりたいと思うのは私だけではないだろうが、そううまくいくだろうか。
長生きすれば、フレイルティは避けられない。
「こだわり」に関して、なにが老人を2つのタイプにわけるのか。
それはコントロールできるのか。
そうした研究があれば知りたいものだと思う。