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【YouTube】「恐竜・怪鳥の伝説」70年代「大コケ映画」と戦後思想

【概要】

YouTubeの「東映シアターオンライン」で2週間限定で無料公開されている1977年の映画。
【配信期間】2024/1/26(金)21:00~2024/2/9(金)21:00

「恐竜・怪鳥の伝説」

公開日: 1977年4月29日 本編尺:92分 色:カラー


【解説】 プレシオザウルスVSランホリンクス! 神秘の富士五湖に潜む前世紀の謎! 1977年夏。神秘のベールに包まれた富士の青木ヶ原樹海で事件は起こった。やがて巻き起こる異変の数々…。化石収集家・芦沢節(渡瀬恒彦)が見たものは果たして何か? 雄大な富士を舞台に展開するミステリアスアドベンチャー。

【ストーリー】 1977年の夏。富士の青木ヶ原樹海で若い女性が発見された。その女性は苦しそうに「大きな羽・・・」と謎の言葉を残して死んでしまった。そのニュースをテレビで見たユニバーサル・ストーン社の社員・芦沢は富士へと向かう。古生物学者だった亡き父の研究のとおり、芦沢は恐竜がいるかもしれないと思い始めていた。一方、芦沢の恋人で水中カメラマンの小佐野も女子大生の園田を伴い西湖の洞窟を撮影に来ていた。一見、和やかな西湖の風景であったが、突如湖面に大きな波が立ち、黒い得体の知れないものが動いていることに誰も気付かなかった。8月2日、竜神祭りの日。芦沢が止めるのも聞かず、最後の写真を撮りに水中に潜る小佐野と園田。園田が下半身を食いちぎられるという大惨事が発生し、芦沢と小佐野は恐竜探査を決意。水中へと向かった。

【キャスト・スタッフ】 出演:渡瀬恒彦 沢野火子 清島智子 林彰太郎 牧冬吉 デビッド・フリードマン 監督:倉田準二/脚本:伊上勝/松本功/大津一瑯

(公式サイトより)



【評価】

「相対主義の季節」の映画


ヤクザ映画とポルノ映画に行き詰った東映の岡田茂社長が、

「『ジョーズ』てのが流行ってるから、そういうの作れ!」

と大号令をかけてできた、伝説の大コケ映画。


だれも見に行かなかったから、中身を知る人は少ない。

わたしも初めて見た。

案外、おもしろかったです。


古い映画だが、映像はきれい。

富士の樹海という舞台は、なかなかいい感じだ。当時から「自殺の名所」だったことが映画のなかでわかる。

富士山噴火という題材もふくめ、時代の先取り的で、悪くない。

見始めてすぐ、「ジョーズ」(1975)に影響されているのがわかる。(冒頭はむしろ「エイリアン」を思い出させるが、「エイリアン」は1979年だからが、こちらのほうが早い)

そのほか、パニック映画、ホラー映画、環境問題、ネス湖の怪獣など、70年代に流行ったいろいろなものが、ごった煮のように詰め込まれている。

ホラー映画のフォーマットで、日本の怪獣映画のノウハウを生かす、という着想は、悪くない。

スピード感ある展開にも、娯楽映画の老舗としての東映の伝統を感じる。


でも、しだいに、映画は空回りしはじめる。

登場人物たちが何をしたいのか、何を言いたいのか、わからなくなってくる。

ああ、これが70年代後半だなあ、と思う。

わたしが10代を送った、あの70年代後半の感じがよく出てるなあ、と思うのである。


「70年代の終わりほど、未来を予見できない時期はなかった」

と、ジャーナリストのクリスチャン・カリルは書いている(『すべては1979年から始まった』)。


いま話題の桐島聡らが起こした爆弾テロ事件が1974、5年。

そのあとの4、5年は、日本だけでなく、世界中が方向感を失っていた時期だ。

戦後秩序は、2度のニクソンショックで動揺した。

左翼運動の挫折やテロの蔓延、環境問題は、それまでの思想の転換を迫っていた。


この映画が公開された1977年、哲学者の吉田夏彦は『相対主義の季節』という本を出した。

1960年代には、人びとは確信ありげに動いていたが、最近はそれがなくなってしまった、という世情を哲学的に分析している。

その「相対主義」、何を言いたいのか、何をしたいのか、自分でわからなくなっている時代の感じが、この映画によく出ている。

人びとが、物質的豊かさに疑いをおぼえ、「心の豊かさ」を求め始めたのがこのころだ。(国民アンケートで、「心」を求める人が「もの」を求める人を逆転した)

それはオカルトブームの下地となり、1979年に「月刊ムー」が創刊される。


この映画のストーリーが破綻しまくり、方向感がさだまらないのも、だから時代が悪いのである。

あまりにわけがわからなくなるので、どういう結末になるのか、かえって興味が湧いて、最後まで見てしまう。

まあ、空前絶後の無責任な終わり方、と言っていいだろう。

だが、その点もまた、時代の空気をあらわしていて、わたしは感慨深く、少し切なかった。

(なお、肝心の「怪獣」は、「ジュラシック・パーク」の先取りと評価できなくもないだろう。でも、動かし方が、東映に怪獣映画の伝統が乏しかったからか、大昔のレイ・ハリーハウゼン的で、日本映画としてちょっと恥ずかしい。)


この映画で思い出したのは、同じ1977年公開の、角川の「人間の証明」だ。

あちらは大ヒットしたのだが、いまから振り返ると、やはり70年代後半的だったと思う。

「人間の証明」は、ジョー山中の主題歌が有名だが、こちらの「恐竜・怪鳥の伝説」では、沖縄のバンド「紫」の宮永栄一が歌っている。その起用のセンスには似通ったものがある。

どちらの歌も、退嬰的というか、「母性回帰的」というか、「人生に失敗して、しょんぼりしました。お母さんのお腹のなかに帰りたい」的な歌詞だ。


この映画の公開2年後、1979年になって、イラン革命やソ連アフガニスタン侵攻が起こり、世界は新しいフェーズに入る。

60年代左翼の時代が最終的に終わって、レーガン・サッチャーの新保守主義の80年代に入っていく。


桐島聡はじめ、いま生きている左翼の人たちは、この1970年代までの記憶を、いまだ引きずっている(その後の世界史はなくてよかったと思っている)。それは、マスコミのなかでわたしが左翼を観察してきて感じたことだった。

「60年代崩れ」みたいなファッションで、支離滅裂な行動をとる、この映画の渡瀬恒彦の姿が、彼らに重なる。

彼らにとって、思想的故郷を見るような、なつかしい映画であるはずだ。

べつの記事で指摘したように、それは桐島と同世代の麻原彰晃にとっても同じだったろう。麻原はもう映画を見ることはできないが、末期の桐島にこの映画を見せてあげたい。


わたしはといえば、青春期に「相対主義」の克服を思想的課題と考え、その後50年近く生きてきたが、克服できず・・このまま死んでいくだろう。

その意味で、長年しないで済ましていた宿題を、思い出してしまった映画だった。



<参考>


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