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「フィリピン虐殺を忘れるな」宮崎駿監督の言葉がよくわかる映画「汝の敵、日本を知れ」(閲覧注意)

宮崎駿監督が、アジア地域での傑出した功績に与えられる、フィリピンで創設されたマグサイサイ賞を受賞。

宮崎監督は11月16日、マニラで開かれた授賞式に、「フィリピンでの日本による多数の市民殺害を忘れてはいけない」というメッセージを寄せました。

「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞の授賞式が16日、マニラで開かれた。受賞したアニメ映画監督の宮崎駿氏(83)は式典を欠席。代わりに寄せたメッセージで、太平洋戦争時にフィリピンで日本による多数の市民殺害を「日本人は忘れてはいけない」と強調。そうした歴史がある中、フィリピンから贈られる賞を「厳粛に受け止めている」と述べた。
(共同通信 2024/11/16)


私はちょうど、太平洋戦争末期のマニラ市街戦の映像を見て、改めて衝撃を受けていたところでした。

フランク・キャプラ監督の「汝の敵、日本を知れ Know Your Enemy: Japan」(1945)です。

これは、アカデミー監督賞を3度受賞した名匠キャプラが、戦中にアメリカ陸軍で作った、反日プロパガンダ映画です。


その映画の最後の方(動画57:00あたり)に、日本人がいかに残虐かを示すため、マニラ市街戦でのフィリピン人犠牲者の映像と、「万歳」を繰り返す日本兵の姿が写っています。

それは、この映画を作っている最中の出来事、まさに戦闘が起こった直後にフィリピンで撮られた映像です。


「汝の敵、日本を知れ」は、現在、アメリカ国立アーカイブ提供で、YouTubeで見ることができます。

YouTubeなので、英語字幕や、自動翻訳の日本語字幕も使えます。

ただし、子供の無惨な死体など、非常にショッキングな映像を含むので、見るには覚悟が必要です。


フランク・キャプラ「汝の敵、日本を知れ Know Your Enemy: Japan」(1945)(US National Archives)本編↓


フランク・キャプラは、1930年代のトーキー初期から戦後にかけて活躍した監督です。

上記のとおり、アカデミー監督賞を3度(「或る夜の出来事」「オペラハット」「我が家の楽園」)受賞し、アカデミー会長を務め、他に「スミス都へ行く」「素晴らしき哉、人生!」などで、アメリカ最高の映画監督の一人とされました。


Frank Capra(1897−1991)


そのキャプラが戦中に陸軍で作った「汝の敵、日本を知れ」は、有名ですから、宮崎駿氏なら当然見ていると思います。

宮崎氏も、この映画のマニラ市街戦の部分を見て、忘れられなくなったのかもしれません。


「マニラ大虐殺」は、日本占領下のフィリピンが、アメリカ軍に包囲された、1945年1〜2月に起こりました。10万人のフィリピン人が亡くなったとされます。

アメリカの砲撃による死者もいましたが、「ゲリラの疑いがあれば女子供でも殺せ」と命令されたとされる日本軍の虐殺が問題となりました。

女性は、惨殺される前に強姦されたという証言もあります。

戦後、大虐殺の責任により、山下泰文大将がマニラ軍事法廷で死刑(絞首刑)になりました。


この「汝の敵、日本を知れ」は、太平洋戦争末期、日本本土での決戦を想定して作られたプロパガンダ映画です。

現在では偽書と確定している「田中上奏文」(田中義一が秘密裏に天皇に世界征服の必要を説いたとされる文)を真に受けたり、頭山満を「非公式な天皇」とするなど、荒唐無稽な部分を含みます。

全体としては、「日本は強いから侮るな」「日本が強いのは、神格化された天皇と、国民とが疑似血縁関係で結ばれた、カルト国家だからだ」ということを、アメリカ軍人に説いています。

資料映像、戦前の日本映画、アニメを巧みにつないで、日本の「異常性」を説得する、その語り口は、さすがにうまいです。

そして、アメリカ陸軍で作っているだけあって、使われている実戦の記録映像が生々しい。生々しすぎるほどです。

ただし、完成したのが日本の敗戦直前だったので、プロパガンダ映画としては出番がなく、戦後しばらくしてから公開されました。

(本作を1944年の作品とする記録もありますが、1944年10月の頭山満の死を扱ったり、上述のごとく1945年1月のマニラ市街戦を扱ったりしていることからも、間違いです)


私は25年ほど前、フランク・キャプラ論を書くために、この「汝の敵、日本を知れ」のVHSビデオをアメリカから取り寄せました。当時は、この映像を見るには、そうするしかありませんでした。

その後、本作を含むキャプラの戦中プロパガンダ映像は、「ドキュメント 第2次世界大戦」の名で、日本語字幕付きで発売されました。


ドキュメント 第2次世界大戦(DVD10枚組)


いくらフランク・キャプラが監督だといっても、軍のプロパガンダ映画を「ドキュメント」と言ってはいけないと思いますが。

しかし、このDVDで見た方も多いのではないでしょうか。


今回、YouTubeで25年ぶりくらいに見て、私は以前には感じなかったような衝撃を受けました。

年をとって、死体の映像に、非常にセンシティブになっている自分を感じました。若い時は、わりに平気に見ていたのですが。


最後の方に出てくるフィリピン市街戦の死体もひどいですが、最初の15分ほどで出てくる、日本兵の死体の数々にも、心が痛みました。

それは、キャプラが、日本兵の死体を、同じ人間ではなく、あたかも動物の死体であるかのように、冷たく扱っているのがわかるからでもあります。殺すべき「敵」ですからね。それが、日本人としてはつらいです。

プロパガンダ映画だから、製作者のそういう「敵意」まで記録されています。

そういう意味では、プロパガンダ映画が、一周まわって、アメリカ人の日本への敵意を忠実に記録した「ドキュメント」になっています。

あの、温かいヒューマニズムを感じさせる作風のキャプラだけに、そのギャップに驚きます。(実際にはオランダ人ドキュメンタリー作家のヨリス・イヴェンスとの共同監督で、人種差別的な部分には軍の意向が強く反映しているから、キャプラの「作品」とは言いがたいですが)


他に、以下のような箇所が印象に残りました。

裕仁天皇は神のように崇拝されていると説明される(動画7:00あたり)


「田中上奏文」が日本版の「我が闘争」として紹介される(動画42:00あたり)


フィリピンの子供たちの死体映像のあと、日本兵の万歳が延々と写る 日本の残虐さを印象づける演出(動画58:00あたり)


日本軍による虐殺を、フィリピン人は恨みに思っているはずですが、今では忘れたふりをしてくれているそうです。フィリピンは現在、日本と友好的な国です。

それに甘えて、日本人まで忘れてしまってはいけないでしょう。


なお、この映画でも触れられていますが、フィリピンで日本人は、「バターン死の行進」など、連合軍捕虜への虐待もおこないました。

それも忘れてはいけません。

でも、アメリカについては、こっちも色々やられていますから。フィリピン人に対する関係とは違います。

戦争前、アメリカ領フィリピン時代には、日本人は移民として、フィリピンに住んでいました。バギオ開発では、日本人移民がアメリカ人にこき使われ、虐待されましたからね(虐待により日本人労働者の半分が死んだとされる)。アメリカに対しては、どっちもどっちです。

でも、フィリピン人には、宮崎監督が言うとおり、申し訳なかったです。


<参考>


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