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対人援助職こそ、行動経済学が最強の学問である。

対人援助職ならば是非にでも学んでおいた方がいいであろう学問。それが行動経済学だと思っています。行動経済学は経済学に心理学を掛け合わせた学問で、人間の無意識の行動や選択についても解き明かすことができる実学だからです。そして即効力があります。自己の中で無意識に潜む他者に対する偏見などに、いち早く気付くことの出来るスキルなのです。

また自己選択することの重要性については、対人援助職についている人ならば誰でも理解しているところです。人の自己実現には必ずや日々の自己選択が潜んでいて、自己選択は直近における自己決定というニーズ充足の第一歩でもあると考えられるからです。

たとえば我々のような介護職であれば、慢性的な人手不足にあります。同時に多くの利用者の安全を考えなければならず、一人の利用者に何度も何度も対応を繰り返さなければならない状況があります。人間であれば否応が無く負の感情が湧き出てくる事もあります。そしてこのままの意識を持った表情で対応すると、良い結果は生まれないわけです。

そのような理解は常識的にあると思うわけですが、実際にそのような対応を日頃から継続していると認知症高齢者にとっての行動心理症状は悪化するほかに考えにくいところです。そしてその対応が無意識下に行われているとすれば、改善点を見逃してしまう事に成りかねません。

たとえ認知症であっても、当たり前ながら感情は残っているんだと誰もが感じているのではないでしょうか。人間というのはそもそも全ての人が感情に無意識のうちに左右されており、これが一般社会においても重要で決定的な意味を持っています。普段から常に合理的で理性的な存在であると考えている人ですら、その生理的な反応には逆らえません。行動経済学では、この事も多く解き明かしてくれます。

例えば、相良奈美香「行動経済学が最強の学問である」という本は、これまで一見するところバラバラであった行動経済学の諸学説を網羅的で体系的にまとめた一冊になっています。この本は、行動経済学の入門書としても実に有益であり、実用書として実に使い勝手が良いものだと思います。

介護をしていると、その日の職員や環境などによって利用者の1日の表情、言動が大きく違うということも感じられると思います。また夜勤者によって、利用者が夜間帯に起きてくる回数が異なることもあったりします。しかし、これ自体が誰もが持っている後述するアフェクトの連鎖における結果だったりすることも往々にしてあるのです。

例えば、カルフォルニア大学のピオトル・ウインキルマンの実験では、笑っている人と怒っている人の顔写真を1/100秒、楔形文字を2秒見せるという内容でした。人の顔写真は瞬間的すぎて見えないのですが、笑っている人を見せた直後の楔形文字を「好き」だと答えた人が多かったという結果が出たといいます。つまり、笑顔の威力は明らかというわけです。

行動経済学では、喜怒哀楽などのはっきりした感情をディスクリートエモーション。そしてちょっと揺れ動く程度の淡い感情をアフェクトといって区別するようです。実生活においてはアフェクトのような曖昧模糊とした小さな感情の動きこそが、重要な観察対象になるという事です。

アメリカの行動経済学博士である相良氏が大学院時代に行った実験では、アフェクトプライミングと呼ばれる“特定の人や物に対する気持ちを書く“、アナリティカルプライミングと呼ばれる“簡単な計算“をする、“特に指示なし“。この3グループに分けたところアフェクトプライミンググループは、特に指示なしのグループに比べて、人に手助けする割合が2割ほど高かったと述べています。

つまり人に助けを求めるときには、「今日の調子はどう?」「晴天で気持ちがいいですね」などアフェクトに関する会話をしてからのほうが、お願いを聞いてもらえる可能性が高いのです。反対に、決算やデータ解析など、アナリティカルな仕事をしている最中にお願い事をしても聞いてもらえる可能性は低いでしょう。…特に、共感したり同情したりできる相手には、ただ最低限の助けを聞いてあげるだけではなく、より多くの助けを差し伸べる傾向があります。

相良奈美香「行動経済学が最強の学問である

生活リハビリを行う際や介護拒否の強い利用者をどのようにして、自己決定と自己選択を尊重して導くのか。これは介護職ならばいつも頭を捻って搾り出すような日常生活の課題でありますが、行動経済学を学べば様々なケースに応用することが可能になるのです。

暖かな飲み物を飲みながら会話をすれば、会話相手の印象も良くなることも分かっています。普通は難しい頼み事だったとしても、最初に小さなお願いをしてから、聞いてもらえたら次に大きなお願いをしても聞いてもらえる確率がとても大きくなる事も分かっています。また「どっちにしようか」と相手に選択肢を委ねるとお願いを聞いてくれることも分かっています。

他にも身の回りに本人のポジティブなアフェクト要素を置いておくと正の連鎖が起こっていく事もわかっています。とってつけただけでも理由をつけるだけで頼み事を聞いてくれる可能性が上がることもわかっています。自らがそこに必要な人間であることが分かると、3割以上の人が頼まれごとを聞いてくれることも分かっています。

たとえば私ならば、このコラムを記述しているときには好きなコーヒー豆をお気に入りのグラインダーで引き、お気に入りのコースターにおいて、お気に入りのカップに入れて、その暖かなコーヒーを飲みながら書いています。だとすれば、気持ちは前向きであり、積極的であることは間違いありません。

このように行動経済学は、対人援助を試みる人間にとっては非常に有益で学ぶに値する学問です。普段やっていること、当たり前にできていることの裏付けが行動経済学であると言い換えてもいいかもしれません。実証された理論に基づいているので有用性が大きく、応用が効きます。それ以上に気付きが大きいのが行動経済学です。普段の成功例や失敗例を分析する事もできます。

もちろん人間の心理的な行動が見えてくるので、働いている人のマネジメントや他職種連携におけるマネジメントなどでも大いに活用することができます。そして血と涙もない無機質な知識では全くありません。自己理解と他者理解への扉でもあるのです。孫氏の兵法でいうとすれば、「彼を知り、己を知れば、百戦危うからず」ということにもなります。

まだまだ行動経済学はビジネスパーソンのマーケティングスキルとしての位置付けであるように感じます。プロダクトマネジメントを行うわけでもない介護や看護の世界で行動経済学の有用性は十分に理解されていないように思われますが、対人援助を行う我々こそ、確実に学ぶに値する学問であると思うのです。

特に相良氏の著書は、認知のクセ、状況、環境が人間の意思決定にどれだけ不合理な意識をもたらしているかを分類に分けて説明してくれています。自らが勝手な解釈で行っていた他者理解も、随分と手前勝手な理屈の上で成り立っているのかもしれないということになります。

●次の二つのメッセージは日焼け止めの宣伝コピーです。あなたはどちらのコピーを魅力的に感じますか?

メッセージA:
"あなたならできる!A→B→Cの手順でとても簡単です。日焼け止めボトルを歯磨き粉のそばに置いて、毎朝使えばいいだけです"
メッセージB:
"研究によると、この日焼け止めは、たとえ短い時間だけで太陽の下で過ごすとしても、老化、日焼け、皮膚がんに対して効果を発揮します"

相良奈美香「行動経済学が最強の学問である

メッセージAを選んだ人は、促進焦点と呼ばれるタイプ。Bを選んだ人は、予防焦点と呼ばれるタイプの人になるといいます。これがあなた自身が物事を判断する基準であり、そのクセを理解する事が肝要なのだと思えます。これこそが、他者の見ている世界と異なることを理解する術でもあるのです。

わたしは人と接する職業であるからこそ、このような日々意思決定のプロセスについての学びの重要性について痛感します。なぜなら私自身が完璧な人間であるとは言い難く、実に不合理な人間であるからです。そしてその不合理さを理解しておくことは、自らの戒めの為にも必要な事であると考えています。

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