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初恋。
先程2024年日本シリーズ第一戦が終了し、ソフトバンクが5-3で勝利した。今回の試合はお互いにとってとても良い試合だったと思う。ソフトバンクファンは「まあ、当然でしょ。」と思っているかもしれないが、9回裏2アウトからのDeNAの連打は(まあ、9回表も凄かったけど。)、ソフトバンクに対して「オスナ出して勝ちじゃないですよ!ウチだってちょっと隙見せたら3点ぐらい取れるんですからね!」と、とても良い威嚇が出来たと思う。まあ、けど最終的にはソフバンが勝つかな。(本文とは関係ないので、スキップOKです。)
5歳の頃、あのジャケ写に一目惚れした。
僕がまだ保育園の年長(5歳、月組)の頃、母が僕を毎週土曜日に地元の習字教室に通わせていた。何故なら僕が家でも、保育園でも、一切落ち着きが無かった為どうにか集中力を付けさせようと母が考えた案が習字教室だったからだ。(それまでにも兄、姉にも同じ様な作戦で習字教室に通わせて見事集中力を手にしたという実績も理由の一つ。)しかし僕は勿論父(ADHD.ASD.躁鬱.強迫性障害持ち)のDNAをもろに喰らって生まれてきたので、ADHDを持っており、そんな週一の1〜2時間の習い事では治ることは無く、結局小学卒業までやったので計7年ぐらい通ったのに、通う前の僕と何も変わらずに中学生になってしまった。(この事を後に母に聞くと「薄々気付いていたけど、取り敢えず小学卒業ぐらいまでやれば変わるかなと思っていた。」と当時を苦し紛れでの言い訳を聞かせてくれた。)なのでこの習い事は意味が無かった。という訳では無く、毛筆(筆あり)は八段(段位では最高位)ペン(筆なし)は特待生(試験受ければ習字の先生になれる)まで行く事が出来て周りと比べても明らかに字が上手い状態になる事が出来て凄く嬉しかったし、何よりその習字教室に行くまでの車内でかけられていた音楽が楽しくて楽しくて、それだけの為に「今日も頑張ろう。」と思っていた時期もあったぐらい好きな時間だった。特に好きなアーティストは「aiko」だった。いつも母が昔に買っていた「夏服」というアルバムを車の中でずっと流していて、僕の感覚では「なんだこの音の流れは!」みたいな事を感じていたのだろうけど、まだ幼いし、音楽も母が大好き(ファンクラブ会員)な嵐の曲しか聴いた事がなかったので、「なんかこの音新しいな!」とかをずっと言っていた事だけは覚えている。(どんな曲が好きだったとかは正直覚えていない。)そしてある日の習字終わり、母に「あの曲を歌っている人ってどんな人なの?」と聞いてみると母が「あの人はaikoって言って、シンガソングライターという自分で歌詞とメロディーを作って歌っている人なの。」とその「夏服」のCDの入れ物のジャケ写を僕に見せてきた。僕は「え、歌手は自分で作詞作曲するのが普通じゃないの?」と思いながら母が見せてきたジャケ写を見て、完全に心を打たれた。初恋。5歳。相手。aiko。
「可愛い!!」と叫んですぐに「この人今何歳?」と母に聞いた。そしたら「んーー。分からないけど35.6ぐらいじゃない?」と返してきたので僕が「じゃあ僕が大人になったら、その人何歳ぐらい?」と聞くと「まあ、コラムニスト(仮)が仮に20歳になったとしたら、aikoは50歳ぐらいかな」と言われた。その時、僕の様々な筋肉が機能を停止させ、僕はその場に倒れた。意識はある。ただ恋が無くなっただけ。「この人と共に生きていく事は確実に無理なんだ。」と分かっただけ。その日から数日間は涙が止まらず保育園も休んで好きなサッポロ一番の味噌ラーメン、お母さんのチャーハンを鱈腹食べた。僕はもう5歳にして自意識がここまできていた。恋という感情を完全に理解し、その恋が無くなった時の感情も完全に理解した。そして今でも偶に夢でaikoとセックスをして、起きて、夢だった事に絶望して、何日も布団から出れない日もある。
僕が大人になったら、
aikoは何になっているのだろう。
何故か僕の事を言っている様に聞こえる
様々なaikoの歌詞は
今もあの頃と変わらない。