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【27年間のアメリカによる統治】~沖縄訪問レポート~

先日KRA(会宝リサイクラーズアライアンス)の沖縄セミナーを企画し、総勢17名で沖縄に行ってきました。
 ※KRAについてはこちらのリンクよりご確認ください。

今回の一番の目的は、沖縄のKRAメンバー企業様の訪問です。
その企業は、KRAサービスの1つである「千葉入札会」を最も活用されています。「千葉入札会」とは、当社の千葉営業所で開催している中古自動車部品のオークションであり、そこに効率よく出品ができるように、設備投資も行っているのがこの会社なのです。

そんな成功企業への訪問と共にもう1つのテーマがありました。
それは「沖縄に学ぶ」というテーマです。

同じ日本人として、沖縄に学ぶことは多くあると思っていました。
その理由の1つには、違う歴史を持っているということです。

沖縄は、太平洋戦争後から沖縄返還に至るまでの27年もの間、アメリカに統治されていました。

1945年(昭和20年)の太平洋戦争において「国内最大の地上戦」と呼ばれる沖縄戦の戦場となりました。米軍は4月1日に沖縄本島の読谷村の海岸に上陸後、瞬く間に島の北半分を制圧し、約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃しました。

沖縄戦後、GHQの指令により米軍軍政下となり、日本の施政権は停止、行政実体としての沖縄県は一旦消滅し、アメリカ合衆国による沖縄統治が始まります。(その期間が実に27年間)

1972年(昭和47年)に沖縄は日本に施政権が返還され、沖縄県が復活します。しかし同じ日本でありながら、こういう地域があるのです。

そしてご存じのように、米軍統治時代から続く基地問題や不発弾の問題、日米地位協定の問題は県の主要な政治課題となっています。

こうした歴史を頭に入れ、次の所に行ってきました。

●ひめゆりの塔
1945年の沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒や教師のための慰霊碑です。沖縄戦の翌年、両校で最も多くの犠牲者を出したガマ(鍾乳洞)の上に建てられました。

●沖縄県平和祈念公園
悲惨な沖縄戦の実相及び教訓を後世に正しく継承するとともに、平和創造のための学習、研究及び教育の拠点施設として活用されています。

平和の礎(いしじ)です。

●海軍司令部壕
日本海軍によって掘られた壕が当時のまま残っています。戦争の事実を今に伝える貴重な資料として整備、保存されています。

ここに行って感じたことは、戦争は悲惨であるということ。争いごとはよくない。
特にこの沖縄戦では、兵士だけでなく多くの一般市民が巻き込まれました。
当時の動画や写真を見ると、本当に惨いもので、成人する前に生き別れた高齢者のビデオが流れていましたが、涙が止まらなくなってしまいました。

一方で、沖縄戦終結50周年を記念して1995年に建てられた「平和の礎」には、沖縄戦で亡くなられたすべての人々の氏名が刻まれていますが、そこにはアメリカをはじめとした敵国の人の名前も刻まれていました。
沖縄県民の平和への強い意志を感じた瞬間でした。

昨今では、ダイバーシティなどと言われますが、自分自身の器が大きくならないと、相手を受け入れることができません。
そして、自分自身の器を大きくするためには、知らないことを知り、経験値を増やしていくことが必要です。
そうすることで、関心の輪が大きくなり、結果的に自分自身の器が大きくなっていきます。

沖縄から学ぶことは、たくさんあります。
皆さまも機会があれば、ぜひ!!

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